検索トップ 検索結果一覧 キーワード 全ての語を含む いずれかの語を含む 分類 名所・旧跡・伝承 > 名所選択... その他の検索条件その他の検索条件 資料名 資料名(よみ) 解説 画像有のみを表示 再検索 リセット 検索条件[分類:名所・旧跡・伝承 > 名所]で41件ヒットしました。 1件目~10件目を表示しています。 並べ替え 並べ替え ★資料名 昇順 ★資料名 降順 資料名 昇順 資料名 降順 資料名(よみ) 昇順 資料名(よみ) 降順 大分類 昇順 大分類 降順 中分類 昇順 中分類 降順 小分類 昇順 小分類 降順 ★時代・時期 昇順 ★時代・時期 降順 解説 昇順 解説 降順 表示件数 5 10 20 50 100 件ずつ表示 文字画像一覧 画像一覧 文字一覧 «最初 前へ 1/5 次へ 最後» 大和田氷川神社 資料名:大和田氷川神社 資料名(よみ):おおわだひかわじんじゃ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:神社 解説:社伝によると、延暦21年(802)の創建と伝わる大和田一帯の鎮守です。祭神は素戔嗚尊で、武蔵国の一宮である大宮の氷川神社から招霊されたと言われています。本殿は江戸時代の享和年間(1801-1804)に再建されたものですが、一間四方の入母屋造りで正面に千鳥破風と唐破風の向拝を付けています。本殿周囲の壁面には見事な素木の彫刻が彫られ、作者は江戸の名工・嶋村源蔵で「鞍馬山の天狗と牛若丸」「養老の滝の伝説」「神功皇后と武内宿禰」の三題が、風格ある江戸彫りの刀法によって透かし彫りにされています。毎年7月末の夏祭りでは、はだか神輿が担ぎ出され、大和田囃子とともに町を練り歩きます。 野火止氷川神社 資料名:野火止氷川神社 資料名(よみ):のびとめひかわじんじゃ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:神社 解説:野火止氷川神社は野火止村下分の総鎮守です。祭神は素戔嗚尊で、創建は野火止新田が開拓された承応年間(1653年頃)と言われています。現在の本殿は明治時代に氏子である約50世帯が、平林寺の弁天堂を現在の場所に移転し、お祀りしたという記録が残ります。また、境内には祭事で使われた「力石」や「山積講」の石碑も見られ、祭礼では武州里神楽も奉納されます。 若宮八幡神社 資料名:若宮八幡神社 資料名(よみ):わかみやはちまんじんじゃ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:神社 解説:若宮八幡神社は菅沢の氏神で、誉田別之命を祭神として祀っています。正平9年(1354)、愛宕裏に愛宕神社が創建され、延宝元年(1673)に武蔵国池上領から移転された神社と合祀し、現在の場所に祀ったと伝えられています。境内には、江戸時代の若者達が力比べに用いた「力石」や、明治6年(1873)に出された断髪令を受けて髷(まげ)を落とした40名の村人の奉納額、昭和24年(1949)に新座で最初の水道が布設されたことの記念碑などが見られます。 神明神社 資料名:神明神社 資料名(よみ):しんめいじんじゃ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:神社 解説:神明神社は野火止上分の総鎮守で、祭神は天照大神と倉稲塊命です。昭和初期には神社の横を流れる野火止用水で、旱ばつ時の雨乞いが行われたり、重病人が出たときには病気平癒のための祈願の百度参りをしている人の姿を見かけていたと言われています。 馬場氷川神社 資料名:馬場氷川神社 資料名(よみ):ばばひかわじんじゃ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:神社 解説:馬場氷川神社は天明元年(1781)の創建と伝わり、祭神は素盞嗚尊で、下片山・馬場・畑中・池田・辻・堀ノ内地区の総鎮守として崇められています。社殿の左脇に安置してある大杉の切株は樹齢700年の「御神木」の名残で歴史と信仰の重みを感じさせてくれます。現在は見られませんが、斜面の脇に立地していることから、湧水点のそばに社が鎮座したと考えられ、市史には「水源地として市に土地を貸している」という記述もあります。 武野神社 資料名:武野神社 資料名(よみ):たけしのじんじゃ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:神社 解説:野寺にある武野神社は、古くから「北向きの八幡社」として近隣の人々から崇敬されてきました。創建年代は不明ですが、満行寺の縁起によると、源義家が奥州合戦にあたり、戦勝を祈願して北向に再造したものといわれています。明治時代末、それまでこの地に祀られていた八幡神社に、栗原の氏神であった浅間神社と石神の氏神であった氷川神社を合祀され、武野神社となりました。境内の崖下からは今も湧水が流れています。 番星寺 資料名:番星寺 資料名(よみ):ばんしょうじ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:寺院 解説:清立山番星寺は日蓮宗の寺院です。以前は、西東京市の福泉寺の住職が兼務していました。年間の行事としては、お会式という日蓮上人の供養日があり、池上本門寺では10月12日に行いますが、番星寺では1か月遅れの11月20日に行います。日中にお経をあげ、夜に万燈行列を行っていました。また、12月31日には古いお札を納め、年が明けたときに新しいお札を受取り、その年の無事を祈る祭事もあります。「正徳六年『草庵再造記』」に記載された「草庵」が、番星寺の起源と考えられます。 普光明寺 資料名:普光明寺 資料名(よみ):ふこうみょうじ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:寺院 解説:福壽山普光明寺は真言宗の寺院です。寺伝によると、大同元年(806)に開山されたと伝えられており、新座市内でも古い寺として挙げられます。正安3年(1301)には東大寺の高僧・湛睿が「武蔵国新倉郡大和田郷普光明寺」で「観経玄義分見聞集」を写本したことがわたっています(金沢文庫)。また、この地域には両墓制という風習があり、昭和期まで境内にある墓地には墓などの石塔を建て、岾上と三本木に遺体を埋葬していました。 満行寺 資料名:満行寺 資料名(よみ):まんぎょうじ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:寺院 解説:八幡山満行寺は新義真言宗智山派の寺院で、石神井の三宝寺末でした。開基・開山・創建年代ともに不詳です。本尊は不動明王、脇侍二童子像。檀家は石神、野寺、栗原を中心に畑中や東久留米の方面にもあります。昭和50年(1975)代には、満行寺の檀家総代は3名で、世話人は8名となっており、いずれも旧家で経済力のある家が選ばれ、本人が辞退するまで努めました。続いて息子が引き継ぐ例も少なくありません。寺の行事として、1月1日の元旦護摩、5月4日の節供護摩、8月14日の施餓鬼、8月14-16日の棚経があります。『新編武蔵国風土記稿』によれば、野寺山弥陀院滝本坊と号し、十二天村にあって、七堂伽藍を誇り、30以上の末社と300もの僧坊があり、念誦の声が絶えなかったといいます。寺伝によれば、もとは現在の武野神社のある山上に、八幡神社と並んでありましたが、火災に遭い現在地に再建されたといいます。なお、戦前はこの境内に祀られている榛名山満行宮で雹祭りが行なわれていました。檀家とは関係なく、野寺のムラの行事として、雹が降らないようにと住職及び野寺の人々が祈願しました。群馬県の榛名神社の本社よりも御利益があり、野寺に榛名講がないのも雹祭りをするからそれでよいとしていたからだといいます。 東福寺 資料名:東福寺 資料名(よみ):とうふくじ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:寺院 解説:十王山東福寺は真言宗智山派の寺院で、本尊は薬師如来で日光菩薩・月光菩薩が脇侍として並ぶ三尊形式になっています。かつては寺の南に位置する荒沢不動尊の辺りにあったとされ、当時は養福寺と呼ばれていました。現在の位置は、奥の院があった場所と考えられています。養福寺は永享7年(1435)に開山し、天正2年(1574)に東の方向へ移動して東福寺と呼ぶようになりました。山門をくぐると右側に室町時代の板石塔婆(板碑)が安置されています。その中には、冬の寒中に念仏を唱える「寒念仏供養」の珍しいものもあります。 «最初 前へ 1/5 次へ 最後» 新座市文化財データベースは、埼玉県にあるれきしてらす(新座市立歴史民俗資料館 が運営・管理しています。 れきしてらすの開館日やアクセス方法、展示・イベント等の情報については、新座市公式ホームページをご覧ください。 「新座市文化財データベース」の利便性向上のため、アンケートへのご協力をお願いいたします。 資料に関するお問い合わせは、新座市公式ホームページのお問い合わせフォームからお願いします。特定の資料についてお問い合わせいただく場合は、その資料のIDや番号、または該当ページのURLなどを転記してください。 スマートフォン向けアプリ「にっぽん風景なび」・「ポケット学芸員」でも情報を公開しておりますので、併せてご利用ください。アプリの利用料は無料ですが、別途、通信費が必要となります。 「ウェブサイト版にっぽん風景なび」も併せてご利用ください。掲載内容はアプリ版と同じです。 PageTop
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大和田氷川神社 資料名:大和田氷川神社 資料名(よみ):おおわだひかわじんじゃ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:神社 解説:社伝によると、延暦21年(802)の創建と伝わる大和田一帯の鎮守です。祭神は素戔嗚尊で、武蔵国の一宮である大宮の氷川神社から招霊されたと言われています。本殿は江戸時代の享和年間(1801-1804)に再建されたものですが、一間四方の入母屋造りで正面に千鳥破風と唐破風の向拝を付けています。本殿周囲の壁面には見事な素木の彫刻が彫られ、作者は江戸の名工・嶋村源蔵で「鞍馬山の天狗と牛若丸」「養老の滝の伝説」「神功皇后と武内宿禰」の三題が、風格ある江戸彫りの刀法によって透かし彫りにされています。毎年7月末の夏祭りでは、はだか神輿が担ぎ出され、大和田囃子とともに町を練り歩きます。 野火止氷川神社 資料名:野火止氷川神社 資料名(よみ):のびとめひかわじんじゃ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:神社 解説:野火止氷川神社は野火止村下分の総鎮守です。祭神は素戔嗚尊で、創建は野火止新田が開拓された承応年間(1653年頃)と言われています。現在の本殿は明治時代に氏子である約50世帯が、平林寺の弁天堂を現在の場所に移転し、お祀りしたという記録が残ります。また、境内には祭事で使われた「力石」や「山積講」の石碑も見られ、祭礼では武州里神楽も奉納されます。 若宮八幡神社 資料名:若宮八幡神社 資料名(よみ):わかみやはちまんじんじゃ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:神社 解説:若宮八幡神社は菅沢の氏神で、誉田別之命を祭神として祀っています。正平9年(1354)、愛宕裏に愛宕神社が創建され、延宝元年(1673)に武蔵国池上領から移転された神社と合祀し、現在の場所に祀ったと伝えられています。境内には、江戸時代の若者達が力比べに用いた「力石」や、明治6年(1873)に出された断髪令を受けて髷(まげ)を落とした40名の村人の奉納額、昭和24年(1949)に新座で最初の水道が布設されたことの記念碑などが見られます。 神明神社 資料名:神明神社 資料名(よみ):しんめいじんじゃ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:神社 解説:神明神社は野火止上分の総鎮守で、祭神は天照大神と倉稲塊命です。昭和初期には神社の横を流れる野火止用水で、旱ばつ時の雨乞いが行われたり、重病人が出たときには病気平癒のための祈願の百度参りをしている人の姿を見かけていたと言われています。 馬場氷川神社 資料名:馬場氷川神社 資料名(よみ):ばばひかわじんじゃ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:神社 解説:馬場氷川神社は天明元年(1781)の創建と伝わり、祭神は素盞嗚尊で、下片山・馬場・畑中・池田・辻・堀ノ内地区の総鎮守として崇められています。社殿の左脇に安置してある大杉の切株は樹齢700年の「御神木」の名残で歴史と信仰の重みを感じさせてくれます。現在は見られませんが、斜面の脇に立地していることから、湧水点のそばに社が鎮座したと考えられ、市史には「水源地として市に土地を貸している」という記述もあります。 武野神社 資料名:武野神社 資料名(よみ):たけしのじんじゃ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:神社 解説:野寺にある武野神社は、古くから「北向きの八幡社」として近隣の人々から崇敬されてきました。創建年代は不明ですが、満行寺の縁起によると、源義家が奥州合戦にあたり、戦勝を祈願して北向に再造したものといわれています。明治時代末、それまでこの地に祀られていた八幡神社に、栗原の氏神であった浅間神社と石神の氏神であった氷川神社を合祀され、武野神社となりました。境内の崖下からは今も湧水が流れています。 番星寺 資料名:番星寺 資料名(よみ):ばんしょうじ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:寺院 解説:清立山番星寺は日蓮宗の寺院です。以前は、西東京市の福泉寺の住職が兼務していました。年間の行事としては、お会式という日蓮上人の供養日があり、池上本門寺では10月12日に行いますが、番星寺では1か月遅れの11月20日に行います。日中にお経をあげ、夜に万燈行列を行っていました。また、12月31日には古いお札を納め、年が明けたときに新しいお札を受取り、その年の無事を祈る祭事もあります。「正徳六年『草庵再造記』」に記載された「草庵」が、番星寺の起源と考えられます。 普光明寺 資料名:普光明寺 資料名(よみ):ふこうみょうじ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:寺院 解説:福壽山普光明寺は真言宗の寺院です。寺伝によると、大同元年(806)に開山されたと伝えられており、新座市内でも古い寺として挙げられます。正安3年(1301)には東大寺の高僧・湛睿が「武蔵国新倉郡大和田郷普光明寺」で「観経玄義分見聞集」を写本したことがわたっています(金沢文庫)。また、この地域には両墓制という風習があり、昭和期まで境内にある墓地には墓などの石塔を建て、岾上と三本木に遺体を埋葬していました。 満行寺 資料名:満行寺 資料名(よみ):まんぎょうじ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:寺院 解説:八幡山満行寺は新義真言宗智山派の寺院で、石神井の三宝寺末でした。開基・開山・創建年代ともに不詳です。本尊は不動明王、脇侍二童子像。檀家は石神、野寺、栗原を中心に畑中や東久留米の方面にもあります。昭和50年(1975)代には、満行寺の檀家総代は3名で、世話人は8名となっており、いずれも旧家で経済力のある家が選ばれ、本人が辞退するまで努めました。続いて息子が引き継ぐ例も少なくありません。寺の行事として、1月1日の元旦護摩、5月4日の節供護摩、8月14日の施餓鬼、8月14-16日の棚経があります。『新編武蔵国風土記稿』によれば、野寺山弥陀院滝本坊と号し、十二天村にあって、七堂伽藍を誇り、30以上の末社と300もの僧坊があり、念誦の声が絶えなかったといいます。寺伝によれば、もとは現在の武野神社のある山上に、八幡神社と並んでありましたが、火災に遭い現在地に再建されたといいます。なお、戦前はこの境内に祀られている榛名山満行宮で雹祭りが行なわれていました。檀家とは関係なく、野寺のムラの行事として、雹が降らないようにと住職及び野寺の人々が祈願しました。群馬県の榛名神社の本社よりも御利益があり、野寺に榛名講がないのも雹祭りをするからそれでよいとしていたからだといいます。 東福寺 資料名:東福寺 資料名(よみ):とうふくじ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:寺院 解説:十王山東福寺は真言宗智山派の寺院で、本尊は薬師如来で日光菩薩・月光菩薩が脇侍として並ぶ三尊形式になっています。かつては寺の南に位置する荒沢不動尊の辺りにあったとされ、当時は養福寺と呼ばれていました。現在の位置は、奥の院があった場所と考えられています。養福寺は永享7年(1435)に開山し、天正2年(1574)に東の方向へ移動して東福寺と呼ぶようになりました。山門をくぐると右側に室町時代の板石塔婆(板碑)が安置されています。その中には、冬の寒中に念仏を唱える「寒念仏供養」の珍しいものもあります。 «最初 前へ 1/5 次へ 最後»