勝文斎(四代目)

人物名(ヨミ)カツブンサイ
人物名(別名)勝川文吉(本名)、勝川椿月
生年(西暦)1835
生年(和暦)天保6年
没年(西暦)1908
没年(和暦)明治41年

略歴・解説

本名は勝川文吉。江戸に生まれ、浮世絵勝川派の二代目勝川春山(三代勝文斎)の養子となる。押絵細工の名手として知られ、羽子板や扁額作りを業としていた。日本橋新乗物町(現・中央区堀留町)に店を持ち、「人形町の勝文」と呼ばれた。また、淡島椿岳の弟子でもあり、絵師として勝川椿月とも称した。河鍋暁斎、柴田是真、川端玉章、飯島光峨、佐竹永湖などの一流絵師とも交流を持っていた。野田の醤油醸造家からも押絵の製作依頼を受けており、押絵扁額「野田醤油醸造之図」(野田市指定文化財)や様々な歌舞伎の場面を描いた押絵行灯(41点)などが残されている(いずれも当館蔵)。

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