略歴・解説
奈良県出身の考古学者。幼少期より考古学に興味を持ち、國學院大學入学後は、人類学者・鳥居龍蔵の元で研究を重ねる。昭和6年(1931)に考古学者・大山柏が主宰する史前学研究所の貝塚発掘調査に参加し、初めて野田を訪れる。昭和21年より國學院大學教授。同22年、野田町立高等女学校(現・千葉県立野田中央高等学校)教員の田中則雄より講演依頼を受けたことがきっかけとなり、野田地方文化団体協議会(現・野田市文化団体協議会)の人々と親交をもつ。その後、同会の文化活動や、同会を中心に行われた博物館建設運動を後押しした。昭和29年に野田市郷土博物館設立準備会が発足すると、樋口は博物館の資料収集に携わる一方で、自らの所持品も数多く寄贈し、様々な立案を行いながら、その理想について人々と語り合った。昭和34年、千葉県で最初の登録博物館である野田市郷土博物館が開館。自身も開館式に出席し、その門出を祝った。