狩野伊川院栄信

作者名よみかのういせんいんながのぶ
作者名欧文KANO Naganobu Isen
生没年1775 - 1828(安永4 - 文政11)

略歴・解説

18世紀末から19世紀前半に活躍した江戸狩野派の画家。
木挽町家の狩野惟信の長男として江戸に生まれる。幼名は栄次郎。伊川、伊川院と称し、玄賞斎(げんしょうさい)と号す。
寛政3(1791)年、徳川家斉に御目見。享和2(1802)年、狩野派で最も早く法眼となった父・惟信よりも一歳早い28歳で法眼に叙される。
文化5(1808)年、惟信が没し、その跡を継いで8代目当主となる。
同年、文化8(1811)年度の贈朝屏風を制作。文化13(1816)年には法印に叙される。
江戸城や上野本坊学問所の障壁画制作をはじめ、幕府による大規模制作を舞台に活躍。
中国絵画を中心に、古典名画の研究を通じて新様式を確立し、江戸狩野派の画風を刷新した。
模写事業を大規模に展開し、写生図の制作にも優れた才能を発揮しており、木挽町家を継いだ狩野養信に先駆ける試みがあらゆる点で看取され、画域は幅広い分野に亘っている。
栄信の長男の養信は木挽町家を継いだが、『古画備考』を著した次男の朝岡興禎は朝岡家の養子、五男の狩野中信は浜町家の養子、六男の狩野立信は中橋家の養子となり、それぞれ家を継ぎ、幕末狩野派の組織的な基盤は栄信とその息子たちによって築かれた。栄信は、江戸狩野派の体制を根底から変革し、探幽以来、はじめて自らの新様式を流派内に浸透させた画家と言える。
栄信の現存作品はボストン美術館、大英博物館、東京国立博物館などに数多く残っており、模本を含め、膨大な数の作品が世界中に散在しているため、その全体像を把握することは容易ではない。
代表作としては、《四季山水図屏風》(個人蔵)、《春秋山水花鳥図》(静岡県立美術館)、《四季山水図》(三井記念美術館)、《楼閣山水図屏風》(静岡県立美術館)、《平家物語図》(板橋区立美術館)、《(倣王淵)牡丹図》(個人蔵)、《百島図》(永青文庫)、惟信と合作した《十二ヶ月月次風俗図》(江戸東京博物館)、狩野寛信と合作した《天女図天井画》(静岡浅間神社)、養信と合作した《唐画流書手鑑》(静岡県立美術館)などがある。

※田中敏雄「続・障壁画の旅二一 静岡浅間神社の障壁画 狩野栄信・寛信」(『日本美術工芸』648号 1992年)
 平林彰「狩野伊川院栄信筆『百島図』」(『狩野栄信 百鳥図(複製品)』インペリアル・エンタープライズ 2002年)
 宮崎もも「江戸時代後期における江戸狩野派の模索と展開」(『江戸の狩野派』大和文華館 2007年)
 玉蟲敏子「狩野養川院惟信・伊川院栄信筆《月次図屏風》(東京都江戸東京博物館蔵)」(『美術フォーラム21』29号 2014年)
 『幕末狩野派展』(静岡県立美術館 2018年)
 『富士山絵画の正統―伊川院栄信と晴川院養信』(静 岡県富士山世界遺産センター 2018年)
 野田麻芙「狩野栄信筆 春秋山水花鳥図」(『国華』1487号 2019年)
※薄田大輔「静岡浅間神社と日光東照宮をつないだ天井画―狩野栄信・寛信筆『天人図』『迦陵頻伽図』の図 様を巡って」(『徳川将軍と富士山』ことのは社 2019年)

2021年『忘れられた江戸絵画史の本流―江戸狩野派の250年/江戸狩野派の古典学習―その基盤と広がり』、p. 160を加筆修正

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