右隻
/12
桐松鳳凰図屏風
作品名よみ | きりまつほうおうずびょうぶ |
---|---|
作品名(欧文) | Phoenixes by Paulownia and Pine Tree |
作者 | 狩野伊川院栄信 |
種別 | 日本画 |
受入番号 | 1124 |
枝番号 | 0 |
分類番号 | J-272 |
員数 | 6曲1双 |
形状 | 屏風装 |
寸法(cm) | 各160.3×355.8 |
材質 | 紙本金地着色 |
材質英文 | Color on gold-leafed paper, a pair of six-fold screens |
制作年(西暦) | 1802 - 1816 |
制作年(和暦) | 享和2 - 文化13 |
記銘、年紀 | (右隻表右下・左隻表左下)「伊川法眼栄信筆」 白文方印『伊川法眼』 |
受入年度(西暦) | 1996 |
受入年度(和暦) | H8 |
受入方法 | 購入 |
備考 | 両面屏風(裏面は「月夜葡萄図屏風」) |
キーワード | 狩野派 |
解説 | 右隻には松樹の下に、左隻には桐樹の下に雌雄の鳳凰を描いた作品である。 本作の図様の淵源には、徳川家綱の婚礼調度として制作された可能性が指摘されている、狩野探幽《桐鳳凰図屏風》(サントリー美術館)があり、本作も、探幽本を先例として制作された婚礼調度である可能性が高い。 探幽本の図様は、本作の他にも狩野常信《鳳凰図屏風》(東京藝術大学)などに用いられており、江戸狩野派の規範として描き継がれていた。栄信は、本作以外にも、探幽本に忠実に倣った《桐鳳凰図屏風》(法然院)を制作しており、栄信得意の画題であったようである。 常信本は、探幽本の鳳凰の図様を反転させたり、左右両端の樹木の枝ぶりを延ばしたりするなどの変更を行っており、本作の図様は、鳳凰の姿態は探幽本に、樹木の形態などは常信本に近い。 本作において、栄信は水流を描かず、背景を総金地に変更しており、左右両端の樹木を、画面空間を縁取るように、画面前景に配置している点が注目される。これらの変更により、本作は、桃山時代狩野派の花鳥図にみられる特徴が看取される作品となっている。たとえば、桐や松の枝は大きくうねり、松の枝は画面を貫くように枝を広げている。枝先が絡みつくように広がる動感に富む表現や、樹幹に金泥を強く入れ、輝きを強調する表現などは、狩野永徳《檜図屏風》(東京国立博物館)に代表される、桃山時代の花木図の表現を意識したものであろう。探幽本には描かれていない笹や桐の葉の輪郭は、濃墨線でかたどられ、墨と色が互いに強調しあい、モチーフがくっきりと金地から浮かび上がるように描かれている点も、栄信が桃山時代の総金地屏風の表現をよく学んでいることを示唆している。 一方、鳳凰の描写には、桃山時代の花鳥画に看取される、荒く力強い筆線は用いられていない。鳳凰の羽は張りのある筆線で描かれているが、その上から濃彩が施されており、線よりも色を重視した探幽本の表現に近い描写と言える。 本作の特徴は、桃山時代の花鳥画の様式と探幽様式を融合させている点にあると言えよう。栄信は、探幽本の奥底に潜む桃山時代の花鳥画の特徴を強調することで、狩野派の黄金期の象徴と言うべき、桃山時代の花鳥画の輝きを想起させる作品にアレンジしているのである。本作は、探幽本の特徴を引きだし、強調することで、狩野派のアイデンティティーを高らかに主張した、栄信らしい作品とみなせよう。 ※田中敏雄「桐鳳凰図について」 (『花鳥画の世界四』学習研究社 一九八二年。同氏『近世日本絵画の研究』 (作品社 二〇一三年)に再録) 山下善也 作品解説(『狩野派の世界 静岡県立美術館蔵品図録』 (静岡県立美術館 一九九九年)) 榊原悟「狩野探幽筆 桐鳳凰図屏風」(『国華』一二五八号 二〇〇〇年) 山下善也 「模写された狩野探幽の絵画―当館蔵探幽画に関連する東京芸大蔵模本の紹介と展開」 (『静岡県立美術館』二〇号 二〇〇四年) 山下善也「「型」の継承-桐鳳凰図の場合」 (『狩野派決定版 別冊太陽一三一』(平凡社 二〇〇四年)) 板倉聖哲 作品解説『不滅のシンボル鳳凰と獅子』(サントリー美術館 二〇一一年) 石田智子「狩野探幽筆《桐鳳凰図屏風》と鳳凰図用の伝搬 木下京子「江戸狩野派の源氏絵屏風の展開お画面屏風についての考察」 (『畫下遊樂二 奥平俊六先生退職記念論文集』藝華書院 二〇一八年) 2018年『幕末狩野派展』、p. 160 |