検索トップ 検索結果一覧 検索条件[PICK UP]で52件ヒットしました。 1件目~10件目を表示しています。 並べ替え 資料名 昇順 資料名 降順 資料名 昇順 資料名 降順 時代 昇順 時代 降順 資料解説 昇順 資料解説 降順 5 10 20 50 100 件ずつ表示 文字画像一覧 画像一覧 文字一覧 «最初 前へ 1/6 次へ 最後» 越前焼片口壷 資料名:越前焼片口壷 時代:[鎌倉・室町] 資料解説:14世紀から15世紀にかけて生産された越前焼の壷です。 口縁部の一部を外側に引き出して「片口」と呼ばれる注ぎ口にしています。 胴体には判読不能な刻文が施されています。刻文を有する越前焼は少なく、貴重な資料です。 越前焼は「ねじ立て技法」という粘土紐を積み重ねていく技法で作られましたが、本資料の内部には「ねじ立て」をする際に付いた陶工の指痕が残っています。 越前壷 資料名:越前壷 時代:[鎌倉・室町] 資料解説:14世紀に生産された越前焼の小壷で、頸部から上を割り欠いています。埋葬に用いられるやきもののなかには、割り欠きや穿孔を施されたものがあります。意図的に破壊することで、この世の存在とは切り離す意思があったと考えられています。 肩には記号と木の枝に見える文様が刻まれています。樹木や枝、草花をモチーフにした刻画文は越前焼だけでなく渥美焼・珠洲焼など中世に生産された陶器に見られるもので、単に樹木や草花が身近な存在であったというだけでなく、豊かな生命力を象徴する文様として求められていたようです。 本資料は昭和39年に越前町織田に所在する法楽寺裏山の法楽寺中世墓遺跡で発見されたもので、頸部の割り欠きは本資料が埋葬に伴っていたことを示しています。法楽寺中世墓遺跡から出土した越前焼の中には瓶子や水注のような宗教的意味合いが強い特殊品が発見されており、中世の越前窯の生産の様相を考えるうえで重要な資料となっています。 解体新書 資料名:解体新書 時代:[江戸] 資料解説: 越前焼 甕 資料名:越前焼 甕 時代:[江戸] 資料解説:江戸時代に現在の丹生郡越前町平等で作られた甕です。 甕は壺・鉢(すり鉢)とともに中世窯の基本三種と呼ばれ、越前窯でも主力製品でした。本資料には取り扱いを容易にするための取っ手がついていますが、これは中世までの甕には見られないもので、陶工の工夫がうかがえます。また、表面には赤土を水に溶かしたものを塗って焼成することで表面がコーティングされ、水漏れを防いでいます。 底部に「丹生郡 たいら仁右衛門」の刻銘があり、近世の平等で活動した「仁右衛門」なる陶工(陶家)によるものだとわかります。仁右衛門は明暦4年(1658)には平等村百姓として名が現れており、平等村で越前焼を生産していた「瓶屋連中」の一員でした。仁右衛門の銘が入った大甕が兵庫県豊岡市で発見されており、有力な陶工だったと思われます。 越前焼/片口壷 資料名:越前焼/片口壷 時代:[鎌倉・室町] 資料解説:15世紀後半に生産された越前焼の片口壺です。 越前焼の特徴である赤褐色の地肌の上に、淡緑色から白色まで多彩な変化を見せる自然釉がたっぷりとかかっており、地肌と自然釉のコントラストが美しい作品です。 自然釉は陶工が人為的に掛けたものではなく、窯焚きに用いた薪の灰が壺や甕に降りかかり、高温で粘土と反応してガラス状に変化したものです。 自然釉は焼成中の温度や酸素濃度、灰と粘土の成分により色彩や様子が変化するため、同じ釉調のものはふたつとなく、古越前の見どころのひとつとなっています。 室町時代の越前焼の特徴である丸みを帯びた肩には、窯印が2つ刻まれています。これらは直角文に分類され、古越前でしばしば見られる窯印です。 六曲一双 江戸福井往還図屏風 資料名:六曲一双 江戸福井往還図屏風 時代:[江戸] 資料解説: 越前焼/壷 資料名:越前焼/壷 時代:[奈良・平安],[鎌倉・室町] 資料解説:口縁部が横に伸びて端部が折り曲がること、全体的に細く端正な形をしていることから、12世紀末~13世紀初頭に生産されたものだと考えられます。 この時期は越前窯の開窯期にあたり、越前焼の歴史を解明するうえで貴重な資料です。 越前焼の特徴でもある、赤褐色に焼きあがった器肌と、そこにふりかかった黄土色の自然釉の対比が美しい作品です。 紙本著色六曲一隻 姉川合戦図屏風 資料名:紙本著色六曲一隻 姉川合戦図屏風 時代:[江戸] 資料解説:元亀3年(1570)6月28日、近江国姉川(現 滋賀県長浜市野村町付近)を挟んで、織田・徳川軍と浅井・朝倉軍が戦った「姉川合戦」を描いた合戦図屏風。高さ110cmの中屛風に、徳川軍と朝倉軍の戦いが描かれている。落款から、天保8年(1837)に絵師・林義親により描かれたことがわかる。 越前焼片 一括(土屋窯) 資料名:越前焼片 一括(土屋窯) 時代: 資料解説:越前町小曽原にかつて所在した、土屋2号窯で発見された越前焼の陶片です。 越前焼は12世紀末に常滑焼などの技術により成立しましたが、土屋窯は越前焼の中でも最初期に操業した窯です。 土屋窯から見つかった越前焼には薄緑色の釉がかかっているものもあります。 薄緑色の釉は灰釉陶器と呼ばれるやきものの特徴であることから、土屋窯は灰釉陶器の技術も導入していたのではないかと話題になりました。 土屋窯は圃場整備により破壊され、現在は水田となっているため詳細は不明ですが、現在ではこの説は否定されています。 しかしながら、残された陶片は謎に包まれた初期の越前焼を検討するうえで欠かせない重要な資料となっています。 肥前系陶磁器片 一括 福井市九十九橋右岸河川敷 資料名:肥前系陶磁器片 一括 福井市九十九橋右岸河川敷 時代: 資料解説:福井市 九十九橋右岸の河川敷で採集された陶磁器です。 江戸時代に佐賀県とその周辺で生産されたと思われる肥前磁器が大半を占めていますが、古代に生産された須恵器や、明治以降のものと思われる磁器も含まれています。 九十九橋右岸の河川敷では本資料とは別に大量の陶磁器片が発見されており、昭和57年に福井県陶芸館が行った調査では、肥前磁器が全体の62.5%を占め、次いで瀬戸焼が12.4%、美濃焼が6.2%、越前焼は5.3%などとなっています。 河川敷に住居があった痕跡がないことから、江戸時代から大正時代にかけ、付近の住民が廃棄したものであると考えられています。 «最初 前へ 1/6 次へ 最後» ・当サイトは、福井県立歴史博物館所蔵資料を公開しています。 ・画像の無断での使用・転載は固く禁じております。 ・資料原本の閲覧、画像の利用を希望する場合は、福井県立歴史博物館(0776-22-4675)までお問い合わせください。 ・原本の閲覧に際しては、資料の状況(整理中、保存状態等)により、ご希望に添えない場合もあります。 PageTop
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越前焼片口壷 資料名:越前焼片口壷 時代:[鎌倉・室町] 資料解説:14世紀から15世紀にかけて生産された越前焼の壷です。 口縁部の一部を外側に引き出して「片口」と呼ばれる注ぎ口にしています。 胴体には判読不能な刻文が施されています。刻文を有する越前焼は少なく、貴重な資料です。 越前焼は「ねじ立て技法」という粘土紐を積み重ねていく技法で作られましたが、本資料の内部には「ねじ立て」をする際に付いた陶工の指痕が残っています。 越前壷 資料名:越前壷 時代:[鎌倉・室町] 資料解説:14世紀に生産された越前焼の小壷で、頸部から上を割り欠いています。埋葬に用いられるやきもののなかには、割り欠きや穿孔を施されたものがあります。意図的に破壊することで、この世の存在とは切り離す意思があったと考えられています。 肩には記号と木の枝に見える文様が刻まれています。樹木や枝、草花をモチーフにした刻画文は越前焼だけでなく渥美焼・珠洲焼など中世に生産された陶器に見られるもので、単に樹木や草花が身近な存在であったというだけでなく、豊かな生命力を象徴する文様として求められていたようです。 本資料は昭和39年に越前町織田に所在する法楽寺裏山の法楽寺中世墓遺跡で発見されたもので、頸部の割り欠きは本資料が埋葬に伴っていたことを示しています。法楽寺中世墓遺跡から出土した越前焼の中には瓶子や水注のような宗教的意味合いが強い特殊品が発見されており、中世の越前窯の生産の様相を考えるうえで重要な資料となっています。 解体新書 資料名:解体新書 時代:[江戸] 資料解説: 越前焼 甕 資料名:越前焼 甕 時代:[江戸] 資料解説:江戸時代に現在の丹生郡越前町平等で作られた甕です。 甕は壺・鉢(すり鉢)とともに中世窯の基本三種と呼ばれ、越前窯でも主力製品でした。本資料には取り扱いを容易にするための取っ手がついていますが、これは中世までの甕には見られないもので、陶工の工夫がうかがえます。また、表面には赤土を水に溶かしたものを塗って焼成することで表面がコーティングされ、水漏れを防いでいます。 底部に「丹生郡 たいら仁右衛門」の刻銘があり、近世の平等で活動した「仁右衛門」なる陶工(陶家)によるものだとわかります。仁右衛門は明暦4年(1658)には平等村百姓として名が現れており、平等村で越前焼を生産していた「瓶屋連中」の一員でした。仁右衛門の銘が入った大甕が兵庫県豊岡市で発見されており、有力な陶工だったと思われます。 越前焼/片口壷 資料名:越前焼/片口壷 時代:[鎌倉・室町] 資料解説:15世紀後半に生産された越前焼の片口壺です。 越前焼の特徴である赤褐色の地肌の上に、淡緑色から白色まで多彩な変化を見せる自然釉がたっぷりとかかっており、地肌と自然釉のコントラストが美しい作品です。 自然釉は陶工が人為的に掛けたものではなく、窯焚きに用いた薪の灰が壺や甕に降りかかり、高温で粘土と反応してガラス状に変化したものです。 自然釉は焼成中の温度や酸素濃度、灰と粘土の成分により色彩や様子が変化するため、同じ釉調のものはふたつとなく、古越前の見どころのひとつとなっています。 室町時代の越前焼の特徴である丸みを帯びた肩には、窯印が2つ刻まれています。これらは直角文に分類され、古越前でしばしば見られる窯印です。 六曲一双 江戸福井往還図屏風 資料名:六曲一双 江戸福井往還図屏風 時代:[江戸] 資料解説: 越前焼/壷 資料名:越前焼/壷 時代:[奈良・平安],[鎌倉・室町] 資料解説:口縁部が横に伸びて端部が折り曲がること、全体的に細く端正な形をしていることから、12世紀末~13世紀初頭に生産されたものだと考えられます。 この時期は越前窯の開窯期にあたり、越前焼の歴史を解明するうえで貴重な資料です。 越前焼の特徴でもある、赤褐色に焼きあがった器肌と、そこにふりかかった黄土色の自然釉の対比が美しい作品です。 紙本著色六曲一隻 姉川合戦図屏風 資料名:紙本著色六曲一隻 姉川合戦図屏風 時代:[江戸] 資料解説:元亀3年(1570)6月28日、近江国姉川(現 滋賀県長浜市野村町付近)を挟んで、織田・徳川軍と浅井・朝倉軍が戦った「姉川合戦」を描いた合戦図屏風。高さ110cmの中屛風に、徳川軍と朝倉軍の戦いが描かれている。落款から、天保8年(1837)に絵師・林義親により描かれたことがわかる。 越前焼片 一括(土屋窯) 資料名:越前焼片 一括(土屋窯) 時代: 資料解説:越前町小曽原にかつて所在した、土屋2号窯で発見された越前焼の陶片です。 越前焼は12世紀末に常滑焼などの技術により成立しましたが、土屋窯は越前焼の中でも最初期に操業した窯です。 土屋窯から見つかった越前焼には薄緑色の釉がかかっているものもあります。 薄緑色の釉は灰釉陶器と呼ばれるやきものの特徴であることから、土屋窯は灰釉陶器の技術も導入していたのではないかと話題になりました。 土屋窯は圃場整備により破壊され、現在は水田となっているため詳細は不明ですが、現在ではこの説は否定されています。 しかしながら、残された陶片は謎に包まれた初期の越前焼を検討するうえで欠かせない重要な資料となっています。 肥前系陶磁器片 一括 福井市九十九橋右岸河川敷 資料名:肥前系陶磁器片 一括 福井市九十九橋右岸河川敷 時代: 資料解説:福井市 九十九橋右岸の河川敷で採集された陶磁器です。 江戸時代に佐賀県とその周辺で生産されたと思われる肥前磁器が大半を占めていますが、古代に生産された須恵器や、明治以降のものと思われる磁器も含まれています。 九十九橋右岸の河川敷では本資料とは別に大量の陶磁器片が発見されており、昭和57年に福井県陶芸館が行った調査では、肥前磁器が全体の62.5%を占め、次いで瀬戸焼が12.4%、美濃焼が6.2%、越前焼は5.3%などとなっています。 河川敷に住居があった痕跡がないことから、江戸時代から大正時代にかけ、付近の住民が廃棄したものであると考えられています。 «最初 前へ 1/6 次へ 最後»