検索トップ 検索結果一覧 検索条件[PICK UP]で58件ヒットしました。 1件目~10件目を表示しています。 並べ替え 並べ替え 資料名 昇順 資料名 降順 資料名 昇順 資料名 降順 時代 昇順 時代 降順 資料解説 昇順 資料解説 降順 表示件数 5 10 20 50 100 件ずつ表示 文字画像一覧 画像一覧 文字一覧 «最初 前へ 1/6 次へ 最後» 刀 銘 (葵紋)康継以南蛮鉄於武州江戸作之 資料名:刀 銘 (葵紋)康継以南蛮鉄於武州江戸作之 時代:[江戸] 資料解説:2代康継の没後、家督争いが起きて家が分立し、2代の弟(初代の3男)が越前にて松平家に仕え、2代の嫡子が江戸にて将軍家に仕えました。2代の嫡子は右馬助・市之丞と称し、江戸3代康継となりました。 本刀はその江戸3代康継の作で、刃長は71.9cmです。江戸3代康継の作は現存するものが少ないとされています。なお、『康継大鑑』の著者・佐藤寒山による鞘書があります。 刀 銘 (表)(葵紋)以南蛮鉄於武州江戸越前康継 (裏)ふしひきし 資料名:刀 銘 (表)(葵紋)以南蛮鉄於武州江戸越前康継 (裏)ふしひきし 時代:[江戸] 資料解説: 2代康継の作刀です。2代康継は初代の長男で市之丞と称し、康悦入道とも名乗りました。初代にならぶ名手として謳われ、越前松平家や徳川将軍家に破格の待遇で仕えました。 刀長は70.9cmで、裏銘に「ふしひきし」とあります。これは、「富士低し」を意味し、「この刀に比べれば日本一の富士山も低く見える」という、2代康継の強烈な自信をうかがうことができ、実際の出来栄えも白眉と言われています。 刀 銘 (菊紋)山城守藤原国清(太刀銘) 資料名:刀 銘 (菊紋)山城守藤原国清(太刀銘) 時代:[江戸] 資料解説:国清は信濃国松代を生国とし、駿河国嶋田の刀工・3代島田助宗の子と伝えられ、上洛して堀川国広の門に学び、国清と称しました。のち、越後国高田を領していた松平忠昌のお抱え工となり、忠昌の移封に従って越前国へ来ました。朝廷より山城守の受領名を拝領し、菊紋を茎に切り、優美な作風を多く遺しました。国清の系統は、越前康継の門とともに、越前を代表する刀工として代々続いていきました。 本刀は初代国清の作とされ、刃長は77.3cm、腰反りにして優美な姿を見せています。 刀 銘(表)越前国康継二ツ胴落末世剣是也 なんはんかね (裏)あたきさたむねのうつし 本多飛騨守所持内 資料名:刀 銘(表)越前国康継二ツ胴落末世剣是也 なんはんかね (裏)あたきさたむねのうつし 本多飛騨守所持内 時代:[江戸] 資料解説:康継は近江国下坂に生まれ、慶長年間初頭に越前北庄へ移住し、結城秀康に仕えました。のちに秀康の推挙により徳川将軍家のお抱え刀工となり、徳川家康から「康」の字を賜り、徳川家の葵御紋を作刀の茎に切ることを許されました。また、大坂夏の陣で大坂城が落城した際、家康の命により、焼身となった名刀の再刃や写しの製作を行いました。 本刀は、康継が当時高級品であった外国産の南蛮鉄を用いて、名物安宅貞宗を写したものです。安宅貞宗は通称「水に降る雪」と呼ばれた名刀で、小早川秀秋のち徳川将軍家の所有でしたが焼失し、現存していません。刃長は70.0cmで、刀身の表裏に樋や梵字、素剣などが彫られています。銘に「本多飛騨守所持内」とあるように、越前松平家を支えた丸岡城主の本多成重の所有物でした。 越前焼片口壷 資料名:越前焼片口壷 時代:[鎌倉・室町] 資料解説:14世紀から15世紀にかけて生産された越前焼の壷です。 口縁部の一部を外側に引き出して「片口」と呼ばれる注ぎ口にしています。 胴体には判読不能な刻文が施されています。刻文を有する越前焼は少なく、貴重な資料です。 越前焼は「ねじ立て技法」という粘土紐を積み重ねていく技法で作られましたが、本資料の内部には「ねじ立て」をする際に付いた陶工の指痕が残っています。 越前壷 資料名:越前壷 時代:[鎌倉・室町] 資料解説:14世紀に生産された越前焼の小壷で、頸部から上を割り欠いています。埋葬に用いられるやきもののなかには、割り欠きや穿孔を施されたものがあります。意図的に破壊することで、この世の存在とは切り離す意思があったと考えられています。 肩には記号と木の枝に見える文様が刻まれています。樹木や枝、草花をモチーフにした刻画文は越前焼だけでなく渥美焼・珠洲焼など中世に生産された陶器に見られるもので、単に樹木や草花が身近な存在であったというだけでなく、豊かな生命力を象徴する文様として求められていたようです。 本資料は昭和39年に越前町織田に所在する法楽寺裏山の法楽寺中世墓遺跡で発見されたもので、頸部の割り欠きは本資料が埋葬に伴っていたことを示しています。法楽寺中世墓遺跡から出土した越前焼の中には瓶子や水注のような宗教的意味合いが強い特殊品が発見されており、中世の越前窯の生産の様相を考えるうえで重要な資料となっています。 刀 銘 大和大掾藤原正則 資料名:刀 銘 大和大掾藤原正則 時代:[江戸] 資料解説: 正則は京都の刀工・三条吉則の末流と伝えられ、丹後国宮津から福井へ移住し、一説には松平忠直のお抱え鍛冶と言われ、慶長末年以降、同名数代に及び、越前康継とならび越前新刀を代表する刀工の一人となりました。 本刀は初代正則の作とされ、刃長は73.0cmで、表に三鈷柄剣、裏に鎬樋に爪の彫り物が見えます。その作風から越前康継との密接な関係が想定されています。 解体新書 資料名:解体新書 時代:[江戸] 資料解説: 越前焼 甕 資料名:越前焼 甕 時代:[江戸] 資料解説:江戸時代に現在の丹生郡越前町平等で作られた甕です。 甕は壺・鉢(すり鉢)とともに中世窯の基本三種と呼ばれ、越前窯でも主力製品でした。本資料には取り扱いを容易にするための取っ手がついていますが、これは中世までの甕には見られないもので、陶工の工夫がうかがえます。また、表面には赤土を水に溶かしたものを塗って焼成することで表面がコーティングされ、水漏れを防いでいます。 底部に「丹生郡 たいら仁右衛門」の刻銘があり、近世の平等で活動した「仁右衛門」なる陶工(陶家)によるものだとわかります。仁右衛門は明暦4年(1658)には平等村百姓として名が現れており、平等村で越前焼を生産していた「瓶屋連中」の一員でした。兵庫県豊岡市で仁右衛門の銘が入った大甕が発見されており、有力な陶工だったと思われます。 越前焼/片口壷 資料名:越前焼/片口壷 時代:[鎌倉・室町] 資料解説:15世紀後半に生産された越前焼の片口壺です。 越前焼の特徴である赤褐色の地肌の上に、淡緑色から白色まで多彩な変化を見せる自然釉がたっぷりとかかっており、地肌と自然釉のコントラストが美しい作品です。 自然釉は陶工が人為的に掛けたものではなく、窯焚きに用いた薪の灰が壺や甕に降りかかり、高温で粘土と反応してガラス状に変化したものです。 自然釉は焼成中の温度や酸素濃度、灰と粘土の成分により色彩や様子が変化するため、同じ釉調のものはふたつとなく、古越前の見どころのひとつとなっています。 室町時代の越前焼の特徴である丸みを帯びた肩には、窯印が2つ刻まれています。これらは直角文に分類され、古越前でしばしば見られる窯印です。 «最初 前へ 1/6 次へ 最後» ・当サイトは、福井県立歴史博物館所蔵資料を公開しています。 ・画像の無断での使用・転載は固く禁じております。 ・資料原本の閲覧、画像の利用を希望する場合は、福井県立歴史博物館(0776-22-4675)までお問い合わせください。 ・原本の閲覧に際しては、資料の状況(整理中、保存状態等)により、ご希望に添えない場合もあります。 PageTop
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刀 銘 (葵紋)康継以南蛮鉄於武州江戸作之 資料名:刀 銘 (葵紋)康継以南蛮鉄於武州江戸作之 時代:[江戸] 資料解説:2代康継の没後、家督争いが起きて家が分立し、2代の弟(初代の3男)が越前にて松平家に仕え、2代の嫡子が江戸にて将軍家に仕えました。2代の嫡子は右馬助・市之丞と称し、江戸3代康継となりました。 本刀はその江戸3代康継の作で、刃長は71.9cmです。江戸3代康継の作は現存するものが少ないとされています。なお、『康継大鑑』の著者・佐藤寒山による鞘書があります。 刀 銘 (表)(葵紋)以南蛮鉄於武州江戸越前康継 (裏)ふしひきし 資料名:刀 銘 (表)(葵紋)以南蛮鉄於武州江戸越前康継 (裏)ふしひきし 時代:[江戸] 資料解説: 2代康継の作刀です。2代康継は初代の長男で市之丞と称し、康悦入道とも名乗りました。初代にならぶ名手として謳われ、越前松平家や徳川将軍家に破格の待遇で仕えました。 刀長は70.9cmで、裏銘に「ふしひきし」とあります。これは、「富士低し」を意味し、「この刀に比べれば日本一の富士山も低く見える」という、2代康継の強烈な自信をうかがうことができ、実際の出来栄えも白眉と言われています。 刀 銘 (菊紋)山城守藤原国清(太刀銘) 資料名:刀 銘 (菊紋)山城守藤原国清(太刀銘) 時代:[江戸] 資料解説:国清は信濃国松代を生国とし、駿河国嶋田の刀工・3代島田助宗の子と伝えられ、上洛して堀川国広の門に学び、国清と称しました。のち、越後国高田を領していた松平忠昌のお抱え工となり、忠昌の移封に従って越前国へ来ました。朝廷より山城守の受領名を拝領し、菊紋を茎に切り、優美な作風を多く遺しました。国清の系統は、越前康継の門とともに、越前を代表する刀工として代々続いていきました。 本刀は初代国清の作とされ、刃長は77.3cm、腰反りにして優美な姿を見せています。 刀 銘(表)越前国康継二ツ胴落末世剣是也 なんはんかね (裏)あたきさたむねのうつし 本多飛騨守所持内 資料名:刀 銘(表)越前国康継二ツ胴落末世剣是也 なんはんかね (裏)あたきさたむねのうつし 本多飛騨守所持内 時代:[江戸] 資料解説:康継は近江国下坂に生まれ、慶長年間初頭に越前北庄へ移住し、結城秀康に仕えました。のちに秀康の推挙により徳川将軍家のお抱え刀工となり、徳川家康から「康」の字を賜り、徳川家の葵御紋を作刀の茎に切ることを許されました。また、大坂夏の陣で大坂城が落城した際、家康の命により、焼身となった名刀の再刃や写しの製作を行いました。 本刀は、康継が当時高級品であった外国産の南蛮鉄を用いて、名物安宅貞宗を写したものです。安宅貞宗は通称「水に降る雪」と呼ばれた名刀で、小早川秀秋のち徳川将軍家の所有でしたが焼失し、現存していません。刃長は70.0cmで、刀身の表裏に樋や梵字、素剣などが彫られています。銘に「本多飛騨守所持内」とあるように、越前松平家を支えた丸岡城主の本多成重の所有物でした。 越前焼片口壷 資料名:越前焼片口壷 時代:[鎌倉・室町] 資料解説:14世紀から15世紀にかけて生産された越前焼の壷です。 口縁部の一部を外側に引き出して「片口」と呼ばれる注ぎ口にしています。 胴体には判読不能な刻文が施されています。刻文を有する越前焼は少なく、貴重な資料です。 越前焼は「ねじ立て技法」という粘土紐を積み重ねていく技法で作られましたが、本資料の内部には「ねじ立て」をする際に付いた陶工の指痕が残っています。 越前壷 資料名:越前壷 時代:[鎌倉・室町] 資料解説:14世紀に生産された越前焼の小壷で、頸部から上を割り欠いています。埋葬に用いられるやきもののなかには、割り欠きや穿孔を施されたものがあります。意図的に破壊することで、この世の存在とは切り離す意思があったと考えられています。 肩には記号と木の枝に見える文様が刻まれています。樹木や枝、草花をモチーフにした刻画文は越前焼だけでなく渥美焼・珠洲焼など中世に生産された陶器に見られるもので、単に樹木や草花が身近な存在であったというだけでなく、豊かな生命力を象徴する文様として求められていたようです。 本資料は昭和39年に越前町織田に所在する法楽寺裏山の法楽寺中世墓遺跡で発見されたもので、頸部の割り欠きは本資料が埋葬に伴っていたことを示しています。法楽寺中世墓遺跡から出土した越前焼の中には瓶子や水注のような宗教的意味合いが強い特殊品が発見されており、中世の越前窯の生産の様相を考えるうえで重要な資料となっています。 刀 銘 大和大掾藤原正則 資料名:刀 銘 大和大掾藤原正則 時代:[江戸] 資料解説: 正則は京都の刀工・三条吉則の末流と伝えられ、丹後国宮津から福井へ移住し、一説には松平忠直のお抱え鍛冶と言われ、慶長末年以降、同名数代に及び、越前康継とならび越前新刀を代表する刀工の一人となりました。 本刀は初代正則の作とされ、刃長は73.0cmで、表に三鈷柄剣、裏に鎬樋に爪の彫り物が見えます。その作風から越前康継との密接な関係が想定されています。 解体新書 資料名:解体新書 時代:[江戸] 資料解説: 越前焼 甕 資料名:越前焼 甕 時代:[江戸] 資料解説:江戸時代に現在の丹生郡越前町平等で作られた甕です。 甕は壺・鉢(すり鉢)とともに中世窯の基本三種と呼ばれ、越前窯でも主力製品でした。本資料には取り扱いを容易にするための取っ手がついていますが、これは中世までの甕には見られないもので、陶工の工夫がうかがえます。また、表面には赤土を水に溶かしたものを塗って焼成することで表面がコーティングされ、水漏れを防いでいます。 底部に「丹生郡 たいら仁右衛門」の刻銘があり、近世の平等で活動した「仁右衛門」なる陶工(陶家)によるものだとわかります。仁右衛門は明暦4年(1658)には平等村百姓として名が現れており、平等村で越前焼を生産していた「瓶屋連中」の一員でした。兵庫県豊岡市で仁右衛門の銘が入った大甕が発見されており、有力な陶工だったと思われます。 越前焼/片口壷 資料名:越前焼/片口壷 時代:[鎌倉・室町] 資料解説:15世紀後半に生産された越前焼の片口壺です。 越前焼の特徴である赤褐色の地肌の上に、淡緑色から白色まで多彩な変化を見せる自然釉がたっぷりとかかっており、地肌と自然釉のコントラストが美しい作品です。 自然釉は陶工が人為的に掛けたものではなく、窯焚きに用いた薪の灰が壺や甕に降りかかり、高温で粘土と反応してガラス状に変化したものです。 自然釉は焼成中の温度や酸素濃度、灰と粘土の成分により色彩や様子が変化するため、同じ釉調のものはふたつとなく、古越前の見どころのひとつとなっています。 室町時代の越前焼の特徴である丸みを帯びた肩には、窯印が2つ刻まれています。これらは直角文に分類され、古越前でしばしば見られる窯印です。 «最初 前へ 1/6 次へ 最後»