検索トップ 検索結果一覧 キーワード 全ての語を含む いずれかの語を含む 分類 名所・旧跡・伝承 > 野火止用水選択... その他の検索条件その他の検索条件 資料名 資料名(よみ) 解説 画像有のみを表示 再検索 リセット 検索条件[分類:名所・旧跡・伝承 > 野火止用水]で18件ヒットしました。 1件目~10件目を表示しています。 並べ替え 並べ替え ★資料名 昇順 ★資料名 降順 資料名 昇順 資料名 降順 資料名(よみ) 昇順 資料名(よみ) 降順 大分類 昇順 大分類 降順 中分類 昇順 中分類 降順 小分類 昇順 小分類 降順 ★時代・時期 昇順 ★時代・時期 降順 解説 昇順 解説 降順 表示件数 5 10 20 50 100 件ずつ表示 文字画像一覧 画像一覧 文字一覧 «最初 前へ 1/2 次へ 最後» 野火止用水の始まり(市内) 資料名:野火止用水の始まり(市内) 資料名(よみ):のびとめようすいのはじまり(しない) 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:野火止用水 小分類:水路 解説:水道道路沿いを流れる野火止用水と、小金井街道などが交差する松山三丁目交差点です。小平で玉川上水から分岐した野火止用水は、東京都側の6市を流れ、新座市に入ります。新座市は、野火止用水があることで西側に突き出た形をしており、その先端がこの交差点に当たります。 高橋(平林寺堀) 資料名:高橋(平林寺堀) 資料名(よみ):たかばし(へいりんじぼり) 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:野火止用水 小分類:水路 解説:平林寺堀の築堤が最も高くなる辺りの字名です。平林寺に向かって、西屋敷通りの右側を直進してきた平林寺堀が、クランク状に折れて通りの左側に移るため、伏せ越し(サイフォンの原理)で地下を通っています。 平林寺堀築堤(下流) 資料名:平林寺堀築堤(下流) 資料名(よみ):へいりんじぼりちくてい(かりゅう) 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:野火止用水 小分類:水路 解説:西堀分岐点で本流から分かれ、平林寺境内に注ぐ水路を平林寺堀と呼んでいます。平林寺境内は丘に位置することから、そこに至るまでの区間に堤を築き、その上に水を流していました。また、陣屋通りを始め、用水と道が交差する際は、「伏せ越し」(サイフォンの原理)で一旦、地下を通しています。平林寺の奥庭「林泉境内」には、かつて野火止用水の水を引き込み、池泉廻遊式の庭園としていました。 伊豆殿橋 資料名:伊豆殿橋 資料名(よみ):いずどのばし 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:野火止用水 小分類:水路 解説:往時の道の面影を伝える道標があり、天明3年(1783)に建立されました。正面には「右大山みち 左江戸みち」、右側面には「天明三癸卯歳 願主 神田惣右衛門」、裏面には「石橋建立当村中」と記されています。伊豆殿橋の下は溜まり場になっており、水汲みや洗い場として利用されていました。 野火止用水本流 資料名:野火止用水本流 資料名(よみ):のびとめようすいほんりゅう 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:野火止用水 小分類:水路 解説:玉川上水の分水口から市内に至り、西堀分岐点で分かれ、平林寺の裏手を流れ、川越街道を越えて引又(志木市)に至り、いろは樋で新河岸川を越えていきます。『野火止用水古絵図』の中で「分水」という表現がないことから、戦後にこの流れが「本流」と呼ばれるようになりました。それ以前は松平伊豆守信綱にちなんで「伊豆殿堀」と呼ばれたり、「中堀」と呼ばれていました。 野火止用水陣屋堀築堤遺構 資料名:野火止用水陣屋堀築堤遺構 資料名(よみ):のびとめようすいじんやぼりちくていいこう 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:野火止用水 小分類:水路跡 解説:江戸時代に開削された野火止用水には、陣屋堀と呼ばれる分水があり、現在の水道道路に沿って旧川越街道方面に流れていました。陣屋堀は、高崎藩の陣屋があった野火止一丁目17番地内でさらに分岐し、廻し堀を通って元の陣屋堀に還流していました。陣屋付近は窪地となっており、水路の勾配を確保するために、途中から堤を築いて高さを設け、その上に水を通すという江戸時代の土木技術の高さを伝える重要な遺構です。令和6年(2024)8月29日、市史跡に指定。 西堀分岐点 資料名:西堀分岐点 資料名(よみ):にしぼりぶんきてん 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:野火止用水 小分類:分水点 解説:現在も水が流れている史跡・野火止用水の中では唯一の分岐点です。下流に向かって左側は野火止用水の本流、右側は支流の平林寺堀です。さらに右側の歩道下には、かつての支流・陣屋堀がありました。 八軒廻し堀分水口 資料名:八軒廻し堀分水口 資料名(よみ):はちけんまわしぼりぶんすいこう 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:野火止用水 小分類:分水点 解説:市内上流域で分岐し、8軒の農家を巡って本流に戻る水路を八軒廻し堀と呼んでいます。江戸時代、西堀村は平林寺の朱印地(領地)であったため、寺から見て西側の水路が「西堀」、そこに後から新設された水路・八軒廻し堀が「新堀」と呼ばれ、現在の丁目の由来となっています。現在は水路の大部分が遊歩道として整備されています。 八軒廻し堀合流 資料名:八軒廻し堀合流 資料名(よみ):はちけんまわしぼりごうりゅう 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:野火止用水 小分類:分水点 解説:市内上流域で分岐し、8軒の農家を巡って本流に戻る水路を八軒廻し堀と呼んでいます。江戸時代、西堀村は平林寺の朱印地(領地)であったため、寺から見て西側の水路が「西堀」、そこに後から新設された水路・八軒廻し堀が「新堀」と呼ばれ、現在の丁目の由来となっています。現在は水路の大部分が遊歩道として整備されています。 菅沢・北野堀分水口 資料名:菅沢・北野堀分水口 資料名(よみ):すがさわ・きたのぼりぶんすいこう 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:野火止用水 小分類:分水点 解説:市内上流域で分岐し、大和田通信所を通って志木街道に至ると街道沿いを流れ、菅沢村と北野村を潤しました。菅沢村は明暦2年(1656)に「橘樹郡六郷領菅沢村」(現・横浜市金沢区菅沢)の農夫十数人が入植して開拓されました。戦後、市内で最も早く簡易水道が普及したため、用水は側溝や道路用地に転用されていきます。若宮八幡神社には「野火止用水謝恩碑」が建てられています。 «最初 前へ 1/2 次へ 最後» 新座市文化財データベースは、埼玉県にあるれきしてらす(新座市立歴史民俗資料館 が運営・管理しています。 れきしてらすの開館日やアクセス方法、展示・イベント等の情報については、新座市公式ホームページをご覧ください。 「新座市文化財データベース」の利便性向上のため、アンケートへのご協力をお願いいたします。 資料に関するお問い合わせは、新座市公式ホームページのお問い合わせフォームからお願いします。特定の資料についてお問い合わせいただく場合は、その資料のIDや番号、または該当ページのURLなどを転記してください。 スマートフォン向けアプリ「にっぽん風景なび」・「ポケット学芸員」でも情報を公開しておりますので、併せてご利用ください。アプリの利用料は無料ですが、別途、通信費が必要となります。 「ウェブサイト版にっぽん風景なび」も併せてご利用ください。掲載内容はアプリ版と同じです。 PageTop
検索条件[分類:名所・旧跡・伝承 > 野火止用水]で18件ヒットしました。 1件目~10件目を表示しています。 並べ替え 並べ替え ★資料名 昇順 ★資料名 降順 資料名 昇順 資料名 降順 資料名(よみ) 昇順 資料名(よみ) 降順 大分類 昇順 大分類 降順 中分類 昇順 中分類 降順 小分類 昇順 小分類 降順 ★時代・時期 昇順 ★時代・時期 降順 解説 昇順 解説 降順 表示件数 5 10 20 50 100 件ずつ表示 文字画像一覧 画像一覧 文字一覧 «最初 前へ 1/2 次へ 最後»
野火止用水の始まり(市内) 資料名:野火止用水の始まり(市内) 資料名(よみ):のびとめようすいのはじまり(しない) 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:野火止用水 小分類:水路 解説:水道道路沿いを流れる野火止用水と、小金井街道などが交差する松山三丁目交差点です。小平で玉川上水から分岐した野火止用水は、東京都側の6市を流れ、新座市に入ります。新座市は、野火止用水があることで西側に突き出た形をしており、その先端がこの交差点に当たります。 高橋(平林寺堀) 資料名:高橋(平林寺堀) 資料名(よみ):たかばし(へいりんじぼり) 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:野火止用水 小分類:水路 解説:平林寺堀の築堤が最も高くなる辺りの字名です。平林寺に向かって、西屋敷通りの右側を直進してきた平林寺堀が、クランク状に折れて通りの左側に移るため、伏せ越し(サイフォンの原理)で地下を通っています。 平林寺堀築堤(下流) 資料名:平林寺堀築堤(下流) 資料名(よみ):へいりんじぼりちくてい(かりゅう) 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:野火止用水 小分類:水路 解説:西堀分岐点で本流から分かれ、平林寺境内に注ぐ水路を平林寺堀と呼んでいます。平林寺境内は丘に位置することから、そこに至るまでの区間に堤を築き、その上に水を流していました。また、陣屋通りを始め、用水と道が交差する際は、「伏せ越し」(サイフォンの原理)で一旦、地下を通しています。平林寺の奥庭「林泉境内」には、かつて野火止用水の水を引き込み、池泉廻遊式の庭園としていました。 伊豆殿橋 資料名:伊豆殿橋 資料名(よみ):いずどのばし 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:野火止用水 小分類:水路 解説:往時の道の面影を伝える道標があり、天明3年(1783)に建立されました。正面には「右大山みち 左江戸みち」、右側面には「天明三癸卯歳 願主 神田惣右衛門」、裏面には「石橋建立当村中」と記されています。伊豆殿橋の下は溜まり場になっており、水汲みや洗い場として利用されていました。 野火止用水本流 資料名:野火止用水本流 資料名(よみ):のびとめようすいほんりゅう 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:野火止用水 小分類:水路 解説:玉川上水の分水口から市内に至り、西堀分岐点で分かれ、平林寺の裏手を流れ、川越街道を越えて引又(志木市)に至り、いろは樋で新河岸川を越えていきます。『野火止用水古絵図』の中で「分水」という表現がないことから、戦後にこの流れが「本流」と呼ばれるようになりました。それ以前は松平伊豆守信綱にちなんで「伊豆殿堀」と呼ばれたり、「中堀」と呼ばれていました。 野火止用水陣屋堀築堤遺構 資料名:野火止用水陣屋堀築堤遺構 資料名(よみ):のびとめようすいじんやぼりちくていいこう 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:野火止用水 小分類:水路跡 解説:江戸時代に開削された野火止用水には、陣屋堀と呼ばれる分水があり、現在の水道道路に沿って旧川越街道方面に流れていました。陣屋堀は、高崎藩の陣屋があった野火止一丁目17番地内でさらに分岐し、廻し堀を通って元の陣屋堀に還流していました。陣屋付近は窪地となっており、水路の勾配を確保するために、途中から堤を築いて高さを設け、その上に水を通すという江戸時代の土木技術の高さを伝える重要な遺構です。令和6年(2024)8月29日、市史跡に指定。 西堀分岐点 資料名:西堀分岐点 資料名(よみ):にしぼりぶんきてん 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:野火止用水 小分類:分水点 解説:現在も水が流れている史跡・野火止用水の中では唯一の分岐点です。下流に向かって左側は野火止用水の本流、右側は支流の平林寺堀です。さらに右側の歩道下には、かつての支流・陣屋堀がありました。 八軒廻し堀分水口 資料名:八軒廻し堀分水口 資料名(よみ):はちけんまわしぼりぶんすいこう 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:野火止用水 小分類:分水点 解説:市内上流域で分岐し、8軒の農家を巡って本流に戻る水路を八軒廻し堀と呼んでいます。江戸時代、西堀村は平林寺の朱印地(領地)であったため、寺から見て西側の水路が「西堀」、そこに後から新設された水路・八軒廻し堀が「新堀」と呼ばれ、現在の丁目の由来となっています。現在は水路の大部分が遊歩道として整備されています。 八軒廻し堀合流 資料名:八軒廻し堀合流 資料名(よみ):はちけんまわしぼりごうりゅう 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:野火止用水 小分類:分水点 解説:市内上流域で分岐し、8軒の農家を巡って本流に戻る水路を八軒廻し堀と呼んでいます。江戸時代、西堀村は平林寺の朱印地(領地)であったため、寺から見て西側の水路が「西堀」、そこに後から新設された水路・八軒廻し堀が「新堀」と呼ばれ、現在の丁目の由来となっています。現在は水路の大部分が遊歩道として整備されています。 菅沢・北野堀分水口 資料名:菅沢・北野堀分水口 資料名(よみ):すがさわ・きたのぼりぶんすいこう 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:野火止用水 小分類:分水点 解説:市内上流域で分岐し、大和田通信所を通って志木街道に至ると街道沿いを流れ、菅沢村と北野村を潤しました。菅沢村は明暦2年(1656)に「橘樹郡六郷領菅沢村」(現・横浜市金沢区菅沢)の農夫十数人が入植して開拓されました。戦後、市内で最も早く簡易水道が普及したため、用水は側溝や道路用地に転用されていきます。若宮八幡神社には「野火止用水謝恩碑」が建てられています。 «最初 前へ 1/2 次へ 最後»