検索トップ 検索結果一覧 キーワード 全ての語を含む いずれかの語を含む 分類 名所・旧跡・伝承 > 名所 > 寺院選択... その他の検索条件その他の検索条件 資料名 資料名(よみ) 解説 画像有のみを表示 再検索 リセット 検索条件[分類:名所・旧跡・伝承 > 名所 > 寺院]で9件ヒットしました。 1件目~9件目を表示しています。 並べ替え 並べ替え ★資料名 昇順 ★資料名 降順 資料名 昇順 資料名 降順 資料名(よみ) 昇順 資料名(よみ) 降順 大分類 昇順 大分類 降順 中分類 昇順 中分類 降順 小分類 昇順 小分類 降順 ★時代・時期 昇順 ★時代・時期 降順 解説 昇順 解説 降順 表示件数 5 10 20 50 100 件ずつ表示 文字画像一覧 画像一覧 文字一覧 番星寺 資料名:番星寺 資料名(よみ):ばんしょうじ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:寺院 解説:清立山番星寺は日蓮宗の寺院です。以前は、西東京市の福泉寺の住職が兼務していました。年間の行事としては、お会式という日蓮上人の供養日があり、池上本門寺では10月12日に行いますが、番星寺では1か月遅れの11月20日に行います。日中にお経をあげ、夜に万燈行列を行っていました。また、12月31日には古いお札を納め、年が明けたときに新しいお札を受取り、その年の無事を祈る祭事もあります。「正徳六年『草庵再造記』」に記載された「草庵」が、番星寺の起源と考えられます。 普光明寺 資料名:普光明寺 資料名(よみ):ふこうみょうじ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:寺院 解説:福壽山普光明寺は真言宗の寺院です。寺伝によると、大同元年(806)に開山されたと伝えられており、新座市内でも古い寺として挙げられます。正安3年(1301)には東大寺の高僧・湛睿が「武蔵国新倉郡大和田郷普光明寺」で「観経玄義分見聞集」を写本したことがわたっています(金沢文庫)。また、この地域には両墓制という風習があり、昭和期まで境内にある墓地には墓などの石塔を建て、岾上と三本木に遺体を埋葬していました。 満行寺 資料名:満行寺 資料名(よみ):まんぎょうじ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:寺院 解説:八幡山満行寺は新義真言宗智山派の寺院で、石神井の三宝寺末でした。開基・開山・創建年代ともに不詳です。本尊は不動明王、脇侍二童子像。檀家は石神、野寺、栗原を中心に畑中や東久留米の方面にもあります。昭和50年(1975)代には、満行寺の檀家総代は3名で、世話人は8名となっており、いずれも旧家で経済力のある家が選ばれ、本人が辞退するまで努めました。続いて息子が引き継ぐ例も少なくありません。寺の行事として、1月1日の元旦護摩、5月4日の節供護摩、8月14日の施餓鬼、8月14-16日の棚経があります。『新編武蔵国風土記稿』によれば、野寺山弥陀院滝本坊と号し、十二天村にあって、七堂伽藍を誇り、30以上の末社と300もの僧坊があり、念誦の声が絶えなかったといいます。寺伝によれば、もとは現在の武野神社のある山上に、八幡神社と並んでありましたが、火災に遭い現在地に再建されたといいます。なお、戦前はこの境内に祀られている榛名山満行宮で雹祭りが行なわれていました。檀家とは関係なく、野寺のムラの行事として、雹が降らないようにと住職及び野寺の人々が祈願しました。群馬県の榛名神社の本社よりも御利益があり、野寺に榛名講がないのも雹祭りをするからそれでよいとしていたからだといいます。 東福寺 資料名:東福寺 資料名(よみ):とうふくじ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:寺院 解説:十王山東福寺は真言宗智山派の寺院で、本尊は薬師如来で日光菩薩・月光菩薩が脇侍として並ぶ三尊形式になっています。かつては寺の南に位置する荒沢不動尊の辺りにあったとされ、当時は養福寺と呼ばれていました。現在の位置は、奥の院があった場所と考えられています。養福寺は永享7年(1435)に開山し、天正2年(1574)に東の方向へ移動して東福寺と呼ぶようになりました。山門をくぐると右側に室町時代の板石塔婆(板碑)が安置されています。その中には、冬の寒中に念仏を唱える「寒念仏供養」の珍しいものもあります。 蓮光寺 資料名:蓮光寺 資料名(よみ):れんこうじ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:寺院 解説:医王山蓮光寺は真言宗智山派の寺院です。開山は、遠州生まれの重元和尚という人で、南北朝時代の明徳3年(1392)年に創建されたといわれています。境内にの本堂前には珍しい古代ハスが見られます。元は馬場氷川神社の別当を務め、その近くにありましたが、江戸時代に今の場所に移ったといわれています。 法臺寺 資料名:法臺寺 資料名(よみ):ほうだいじ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:寺院 解説:大平山法臺寺(ほうだいじ)は、浄土宗の寺院で、創建は鎌倉時代といわれており、法臺寺に現存する板碑等の遺物から、創建当時は時宗の寺院であったことがわかります。時宗は、一遍上人が鎌倉時代に開いた宗派です。群衆と共に念仏を唱えつつ踊るなどしたことから「踊り念仏」とも言われ、盆踊りの元として知られています。一遍は、念仏を唱えることで誰もが往生をとげられると説き、全国を行脚(遊行)していました。法臺寺は、一遍の後を継いだ他阿真教上人によって鎌倉時代に創建されたと伝えられています。遊行二世と呼ばれた真教上人は、念仏札を配って布教に努め、この時宗を教団として整備し、大きく発展させました。真教上人は、門弟たちを地方に派遣して「道場」をひらき、独住させて時宗を各地域に定着させました。法台寺のある地区は、片山道場と呼ばれており、当地の町名を「道場」と呼ぶのも、そのことを今に伝えるものです。 その後、当寺で修行した芝増上寺の観智国師が慶長年間(1596~1614)に時宗から浄土宗に改宗しました。 浄明寺(瀧見観音堂) 資料名:浄明寺(瀧見観音堂) 資料名(よみ):じょうみょうじ(たきみかんのんどう) 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:寺院 解説:『新編武蔵風土記稿』によれば、宝永の頃(18世紀初)、石神の清水という所に光り輝くものがあり、掘ってみると、銅製の観音像と「滝山浄明寺」と彫られた鐸が出てきたので、この場所に堂を建てたのが始まりだといいます。その後、観音堂は山火事で焼失し、観音も行方不明となりますが、しばらくして土の中で光っているのを見つけられ、現・石神釈迦堂の隣に堂を建てて祀りました。さらに、昭和48年(1973)に、現在の観音堂が完成しました。 薬師堂(馬場氷川神社前) 資料名:薬師堂(馬場氷川神社前) 資料名(よみ):やくしどう(ばばひかわじんじゃまえ) 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:寺院 解説:馬場氷川神社の参道入口にあり、薬師如来像2体が祀られています。目の病気平癒に功徳があるとされ、「向いめ」の字の絵馬が奉納されています。 向善寺観音堂 資料名:向善寺観音堂 資料名(よみ):こうぜんじかんのんどう 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:寺院 解説:鎌倉道と川越街道の交差する地点にあり、高さ2mの聖観音像を祀る観音堂です。江戸時代前期にこの地を治めていた旗本・芝山氏が、菩提寺として向善寺を建てましたが、断絶した後、観音堂だけが残りました。鰐口には「向善寺」の銘があり、芝山氏の墓は普光明寺に移されました。 新座市文化財データベースは、埼玉県にあるれきしてらす(新座市立歴史民俗資料館 が運営・管理しています。 れきしてらすの開館日やアクセス方法、展示・イベント等の情報については、新座市公式ホームページをご覧ください。 「新座市文化財データベース」の利便性向上のため、アンケートへのご協力をお願いいたします。 資料に関するお問い合わせは、新座市公式ホームページのお問い合わせフォームからお願いします。特定の資料についてお問い合わせいただく場合は、その資料のIDや番号、または該当ページのURLなどを転記してください。 スマートフォン向けアプリ「にっぽん風景なび」・「ポケット学芸員」でも情報を公開しておりますので、併せてご利用ください。アプリの利用料は無料ですが、別途、通信費が必要となります。 「ウェブサイト版にっぽん風景なび」も併せてご利用ください。掲載内容はアプリ版と同じです。 PageTop
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番星寺 資料名:番星寺 資料名(よみ):ばんしょうじ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:寺院 解説:清立山番星寺は日蓮宗の寺院です。以前は、西東京市の福泉寺の住職が兼務していました。年間の行事としては、お会式という日蓮上人の供養日があり、池上本門寺では10月12日に行いますが、番星寺では1か月遅れの11月20日に行います。日中にお経をあげ、夜に万燈行列を行っていました。また、12月31日には古いお札を納め、年が明けたときに新しいお札を受取り、その年の無事を祈る祭事もあります。「正徳六年『草庵再造記』」に記載された「草庵」が、番星寺の起源と考えられます。 普光明寺 資料名:普光明寺 資料名(よみ):ふこうみょうじ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:寺院 解説:福壽山普光明寺は真言宗の寺院です。寺伝によると、大同元年(806)に開山されたと伝えられており、新座市内でも古い寺として挙げられます。正安3年(1301)には東大寺の高僧・湛睿が「武蔵国新倉郡大和田郷普光明寺」で「観経玄義分見聞集」を写本したことがわたっています(金沢文庫)。また、この地域には両墓制という風習があり、昭和期まで境内にある墓地には墓などの石塔を建て、岾上と三本木に遺体を埋葬していました。 満行寺 資料名:満行寺 資料名(よみ):まんぎょうじ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:寺院 解説:八幡山満行寺は新義真言宗智山派の寺院で、石神井の三宝寺末でした。開基・開山・創建年代ともに不詳です。本尊は不動明王、脇侍二童子像。檀家は石神、野寺、栗原を中心に畑中や東久留米の方面にもあります。昭和50年(1975)代には、満行寺の檀家総代は3名で、世話人は8名となっており、いずれも旧家で経済力のある家が選ばれ、本人が辞退するまで努めました。続いて息子が引き継ぐ例も少なくありません。寺の行事として、1月1日の元旦護摩、5月4日の節供護摩、8月14日の施餓鬼、8月14-16日の棚経があります。『新編武蔵国風土記稿』によれば、野寺山弥陀院滝本坊と号し、十二天村にあって、七堂伽藍を誇り、30以上の末社と300もの僧坊があり、念誦の声が絶えなかったといいます。寺伝によれば、もとは現在の武野神社のある山上に、八幡神社と並んでありましたが、火災に遭い現在地に再建されたといいます。なお、戦前はこの境内に祀られている榛名山満行宮で雹祭りが行なわれていました。檀家とは関係なく、野寺のムラの行事として、雹が降らないようにと住職及び野寺の人々が祈願しました。群馬県の榛名神社の本社よりも御利益があり、野寺に榛名講がないのも雹祭りをするからそれでよいとしていたからだといいます。 東福寺 資料名:東福寺 資料名(よみ):とうふくじ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:寺院 解説:十王山東福寺は真言宗智山派の寺院で、本尊は薬師如来で日光菩薩・月光菩薩が脇侍として並ぶ三尊形式になっています。かつては寺の南に位置する荒沢不動尊の辺りにあったとされ、当時は養福寺と呼ばれていました。現在の位置は、奥の院があった場所と考えられています。養福寺は永享7年(1435)に開山し、天正2年(1574)に東の方向へ移動して東福寺と呼ぶようになりました。山門をくぐると右側に室町時代の板石塔婆(板碑)が安置されています。その中には、冬の寒中に念仏を唱える「寒念仏供養」の珍しいものもあります。 蓮光寺 資料名:蓮光寺 資料名(よみ):れんこうじ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:寺院 解説:医王山蓮光寺は真言宗智山派の寺院です。開山は、遠州生まれの重元和尚という人で、南北朝時代の明徳3年(1392)年に創建されたといわれています。境内にの本堂前には珍しい古代ハスが見られます。元は馬場氷川神社の別当を務め、その近くにありましたが、江戸時代に今の場所に移ったといわれています。 法臺寺 資料名:法臺寺 資料名(よみ):ほうだいじ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:寺院 解説:大平山法臺寺(ほうだいじ)は、浄土宗の寺院で、創建は鎌倉時代といわれており、法臺寺に現存する板碑等の遺物から、創建当時は時宗の寺院であったことがわかります。時宗は、一遍上人が鎌倉時代に開いた宗派です。群衆と共に念仏を唱えつつ踊るなどしたことから「踊り念仏」とも言われ、盆踊りの元として知られています。一遍は、念仏を唱えることで誰もが往生をとげられると説き、全国を行脚(遊行)していました。法臺寺は、一遍の後を継いだ他阿真教上人によって鎌倉時代に創建されたと伝えられています。遊行二世と呼ばれた真教上人は、念仏札を配って布教に努め、この時宗を教団として整備し、大きく発展させました。真教上人は、門弟たちを地方に派遣して「道場」をひらき、独住させて時宗を各地域に定着させました。法台寺のある地区は、片山道場と呼ばれており、当地の町名を「道場」と呼ぶのも、そのことを今に伝えるものです。 その後、当寺で修行した芝増上寺の観智国師が慶長年間(1596~1614)に時宗から浄土宗に改宗しました。 浄明寺(瀧見観音堂) 資料名:浄明寺(瀧見観音堂) 資料名(よみ):じょうみょうじ(たきみかんのんどう) 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:寺院 解説:『新編武蔵風土記稿』によれば、宝永の頃(18世紀初)、石神の清水という所に光り輝くものがあり、掘ってみると、銅製の観音像と「滝山浄明寺」と彫られた鐸が出てきたので、この場所に堂を建てたのが始まりだといいます。その後、観音堂は山火事で焼失し、観音も行方不明となりますが、しばらくして土の中で光っているのを見つけられ、現・石神釈迦堂の隣に堂を建てて祀りました。さらに、昭和48年(1973)に、現在の観音堂が完成しました。 薬師堂(馬場氷川神社前) 資料名:薬師堂(馬場氷川神社前) 資料名(よみ):やくしどう(ばばひかわじんじゃまえ) 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:寺院 解説:馬場氷川神社の参道入口にあり、薬師如来像2体が祀られています。目の病気平癒に功徳があるとされ、「向いめ」の字の絵馬が奉納されています。 向善寺観音堂 資料名:向善寺観音堂 資料名(よみ):こうぜんじかんのんどう 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:寺院 解説:鎌倉道と川越街道の交差する地点にあり、高さ2mの聖観音像を祀る観音堂です。江戸時代前期にこの地を治めていた旗本・芝山氏が、菩提寺として向善寺を建てましたが、断絶した後、観音堂だけが残りました。鰐口には「向善寺」の銘があり、芝山氏の墓は普光明寺に移されました。