検索トップ 検索結果一覧 キーワード 全ての語を含む いずれかの語を含む その他の検索条件その他の検索条件 資料名 資料群名 年月日 指定 国宝 重要文化財 重要美術品 宮城県指定文化財 仙台市指定文化財 画像有のみを表示 再検索 リセット 検索条件[PICK UP]で200件ヒットしました。 1件目~10件目を表示しています。 並べ替え 資料名 昇順 資料名 降順 登録番号 昇順 登録番号 降順 資料群名 昇順 資料群名 降順 作成者等 昇順 作成者等 降順 年月日 昇順 年月日 降順 数量 昇順 数量 降順 法量 昇順 法量 降順 指定 昇順 指定 降順 備考・解説 昇順 備考・解説 降順 5 10 20 50 100 件ずつ表示 文字画像一覧 画像一覧 文字一覧 «最初 前へ 1/20 次へ 最後» 伊達成宗家伝秘書 登録番号:1 資料群名:伊達家寄贈文化財 年月日:室町時代中期(15世紀)・江戸時代中期(18世紀) 数量:1冊 法量:縦20.3 横13.9 備考・解説:伊達氏第12世成宗が遺したといわれる兵法書。延宝7年(1679)に仙台藩4代藩主伊達綱村が見つけて入手した。成宗自筆といわれ、奥書に文明14年(1482)8月15日の年紀がある。箱・仕覆は5代藩主吉村の頃に製作されたと推定され、外箱には伊達家の家紋(蟹牡丹紋・三引両紋)を配し、周囲に金銀の切金を散らして豪華に装飾している。藩政時代は藩主といえども斎戒しなければ見ることができない定めとされるなど大切にされ、金塗軍配団扇などとともに「伊達家の重宝」として扱われていた。『仙台市博物館館蔵名品図録 改訂版』3。 塵芥集(村田本) 登録番号:2 資料群名:伊達家寄贈文化財 年月日:天文5年(1536)4月14日 数量:1冊 法量:縦26.7 横18.3 指定:重要文化財 備考・解説:塵芥集は戦国大名が領国支配のために制定した分国法の1つで、伊達稙宗が制定した法令集である。数ある分国法の中でも条文数が最も多く、171カ条を数える。内容は寺社法・刑法・土地法・相続法など多岐にわたる。制定時の原本は現存せず、何冊かの写本が伝わる。本資料は、4代藩主伊達綱村の時に家臣村田親重が献上した1冊であることから村田本と呼ばれ、制定後まもなく書写され、原本の体裁をもつ善本とされている。『仙台市博物館館蔵名品図録 改訂版』5。 段銭古帳 登録番号:3 資料群名:伊達家寄贈文化財 年月日:天文7年(1538)9月3日(天正14年〔1586〕写) 数量:1冊 法量:縦16.1 横44.2 備考・解説:伊達領内に課された段銭(田畠にかける税)の台帳。長井・伊達・信夫・柴田・名取など、伊達氏が治める郡・庄をもとに、段銭が郷村ごとに貫高で記されている。この台帳は伊達稙宗によって作成され、この頃までに伊達領内で租税制度の仕組みが整備されていたことを物語るものである。本資料は天正14年(1586)に書写されたもので、そのため「古帳」の名がある。『仙台市博物館 館蔵名品図録 改訂版』6。 晴宗公采地下賜録 登録番号:4 資料群名:伊達家寄贈文化財 年月日:天文22年(1553)1月 数量:2冊 法量:各縦31.9 横23.2 指定:仙台市指定文化財 備考・解説:伊達氏の領内では伊達晴宗と父稙宗が争った天文の乱(1542~48)により、家臣の土地所有関係が混乱した。これをただすため、勝利した晴宗は乱中に家臣に出した知行宛行状を返上させ、新たな宛行状を与えた。本資料はその文案を控えたもの。もともと3冊あったが、現在は1冊が失われている。戦国時代の伊達氏家臣団の構成や伊達領内の内情がわかる貴重な記録である。『仙台市博物館館蔵名品図録 改訂版』7。 仙道之図 登録番号:5 資料群名:伊達家寄贈文化財 年月日:江戸時代(17世紀) 数量:1幅 法量:縦107.7 横130.5 備考・解説:仙道とは、現在の福島県の中通り地方(白河・石川・岩瀬・安積・田村・安達・信夫・伊達の八郡)をいう。仙道とその周囲を描いたこの絵図は、伊達政宗の重臣伊達成実が作った絵図をもとに作成されたといわれる。若き日の政宗が合戦にのぞんだ古戦場(人取橋や小手森、郡山、摺上原など)が小さな赤い点で記されている。『仙台市博物館館蔵名品図録 改訂版』13。 吉野懐紙 登録番号:6 資料群名:H元購入197 年月日:文禄3年(1594)2月29日 数量:3巻 法量:上巻:総幅39.2 総長593.0 中巻:総幅39.3 総長841.9 下巻:総幅39.4 総長653.0 指定:重要美術品 備考・解説:豊臣秀吉が文禄3年(1594)2月25日から3月7日に開いた大和国吉野山(奈良県)での花見の会には、大勢の大名が参加し、2月29日には和歌会が催された。この和歌会に参加した秀吉をはじめ今出川晴季、徳川家康、前田利家、伊達政宗ら20名の公家や武将が、桜の花に関する5つの題で和歌を詠み、その懐紙を3巻にまとめたものが本資料である。この時に政宗が詠んだ和歌は高い評価を得て、その後の京都の一流文化人との交流を可能にする契機となったという。本資料は江戸時代に伊達家が京都で買い求めたもので、内箱や中箱も購入した際に伊達家で誂えたもの。『仙台市博物館館蔵名品図録 改訂版』16。 徳川家康領知覚書(百万石のお墨付き) 登録番号:7 資料群名:伊達家寄贈文化財 作成者等:大崎少尉(伊達政宗)宛 年月日:慶長5年(1600)8月22日 数量:1通 法量:縦45.0 横65.0 備考・解説:のちに「天下分け目の合戦」ともいわれた関ケ原の戦いを前に、徳川家康が伊達政宗の重臣たちへ所領を給付することを約束した覚書。恩賞とされた各地域は、いずれも以前に豊臣秀吉によって没収された土地で、当時は上杉家の所領となっていた。当時の政宗の所領と合わせると百万石を超えるため「百万石のお墨付」と呼ばれている。しかし実際に与えられたのは、伊達氏が上杉氏から攻め取った刈田郡のみだった。本資料は、関ケ原の戦いへといたるなかで政宗と家康の利害関係の一致を伝える象徴的な文書といえる。『仙台市博物館館蔵名品図録 改訂版』17。 伊達政宗和歌詠草「入そめて」 登録番号:8 資料群名:伊達家寄贈文化財 年月日:江戸時代初期(17世紀) 数量:1幅 法量:縦25.5 横36.7 指定:仙台市指定文化財 備考・解説:伊達政宗が仙台の末長い繁栄を願って詠んだ和歌。「むつ」と署名していることから、政宗が陸奥守に任じられた慶長13年(1608)以降の歌とみられる。これは政宗が岩出山から仙台に拠点を移し、城や町づくりを始めてから少なくとも7年以上を経ている。「千代」の文字は「千年」という意味とともに、仙台の地名をかつて国分氏の居城であった「千代城」から、仙人が住む高台を意味する「仙台」へと変えたことも示している。『仙台市博物館館蔵名品図録 改訂版』18。 茂庭綱元書状 登録番号:9 資料群名:茂庭綱元書状(奥山与一左衛門宛) 作成者等:奥山与一左衛門 (兼清)宛 年月日:(慶長7年・1602)9月27日 数量:1通 法量:縦35.8 横51.5 備考・解説:政宗の側近茂庭綱元が、同じく重臣の奥山兼清に宛てて、新規家臣の召し抱えについて政宗への取り成しを要請した書状。相馬の浪人西山新兵衛の子について、政宗に仕えたいと申し出があったが、新兵衛は伊達家家臣に知人もあり、召し抱えても良いだろうと判断されたならば殿様(政宗)へよろしくお取り成し願いたい、と述べている。江戸時代初期の仙台藩における家臣の新規採用の様子が具体的にうかがえる。綱元は天正年間以来の政宗の重臣のひとりで、慶長・元和年間に仙台留守居などの要職を務めた。なお、宛名部分は切りとられ、料紙の天の部分の袖裏に貼りつけられている。市史収集資料。『仙台市博物館館蔵名品図録 改訂版』19。 木村宇右衛門覚書 登録番号:10 資料群名:伊達家寄贈文化財 作成者等:木村宇右衛門可親著 年月日:慶安5年(1652)頃 数量:3冊 法量:各約縦25.1 横17.7 備考・解説:政宗の小姓をつとめた木村宇右衛門可親が、政宗の晩年の言行を書き留めたもの。上・中・下の三冊からなり、政宗の出生から死後、慶安5年(1652)5月24日の17回忌に至る間の記事が184項目記されている。本書は仙台藩の公式記録である『伊達治家記録』の編纂で参考資料に挙げられ、その内容は部分的に引用されている。『仙台市博物館館蔵名品図録 改訂版』20。 «最初 前へ 1/20 次へ 最後» 【仙台市博物館収蔵資料データベースについて】 ・仙台市博物館が収蔵する資料の情報と写真を公開しています。 ・公開資料は今後随時、追加(更新)していく予定です。 ※掲載写真のうち、斎藤報恩会寄贈資料の一部は、NPO法人宮城資料保全ネットワークが撮影したものです。 【公開情報の利用について】 ・本データベースで公開している資料の目録情報と、写真の無断転載・二次利用は認めていません。 ・本データベースを利用して学術論文等を作成する場合は、本データベースを利用したことを明記してください。 また、成果品2部を仙台市博物館へ納入してください。 ・本データベースで公開している資料の写真について、印刷物などでの掲載を希望する場合は、下記までお問合せください。 仙台市博物館 写真利用担当 住所 〒980-0862 仙台市青葉区川内26 電話 022-225-3074 PageTop
検索条件[PICK UP]で200件ヒットしました。 1件目~10件目を表示しています。 並べ替え 資料名 昇順 資料名 降順 登録番号 昇順 登録番号 降順 資料群名 昇順 資料群名 降順 作成者等 昇順 作成者等 降順 年月日 昇順 年月日 降順 数量 昇順 数量 降順 法量 昇順 法量 降順 指定 昇順 指定 降順 備考・解説 昇順 備考・解説 降順 5 10 20 50 100 件ずつ表示 文字画像一覧 画像一覧 文字一覧 «最初 前へ 1/20 次へ 最後»
伊達成宗家伝秘書 登録番号:1 資料群名:伊達家寄贈文化財 年月日:室町時代中期(15世紀)・江戸時代中期(18世紀) 数量:1冊 法量:縦20.3 横13.9 備考・解説:伊達氏第12世成宗が遺したといわれる兵法書。延宝7年(1679)に仙台藩4代藩主伊達綱村が見つけて入手した。成宗自筆といわれ、奥書に文明14年(1482)8月15日の年紀がある。箱・仕覆は5代藩主吉村の頃に製作されたと推定され、外箱には伊達家の家紋(蟹牡丹紋・三引両紋)を配し、周囲に金銀の切金を散らして豪華に装飾している。藩政時代は藩主といえども斎戒しなければ見ることができない定めとされるなど大切にされ、金塗軍配団扇などとともに「伊達家の重宝」として扱われていた。『仙台市博物館館蔵名品図録 改訂版』3。 塵芥集(村田本) 登録番号:2 資料群名:伊達家寄贈文化財 年月日:天文5年(1536)4月14日 数量:1冊 法量:縦26.7 横18.3 指定:重要文化財 備考・解説:塵芥集は戦国大名が領国支配のために制定した分国法の1つで、伊達稙宗が制定した法令集である。数ある分国法の中でも条文数が最も多く、171カ条を数える。内容は寺社法・刑法・土地法・相続法など多岐にわたる。制定時の原本は現存せず、何冊かの写本が伝わる。本資料は、4代藩主伊達綱村の時に家臣村田親重が献上した1冊であることから村田本と呼ばれ、制定後まもなく書写され、原本の体裁をもつ善本とされている。『仙台市博物館館蔵名品図録 改訂版』5。 段銭古帳 登録番号:3 資料群名:伊達家寄贈文化財 年月日:天文7年(1538)9月3日(天正14年〔1586〕写) 数量:1冊 法量:縦16.1 横44.2 備考・解説:伊達領内に課された段銭(田畠にかける税)の台帳。長井・伊達・信夫・柴田・名取など、伊達氏が治める郡・庄をもとに、段銭が郷村ごとに貫高で記されている。この台帳は伊達稙宗によって作成され、この頃までに伊達領内で租税制度の仕組みが整備されていたことを物語るものである。本資料は天正14年(1586)に書写されたもので、そのため「古帳」の名がある。『仙台市博物館 館蔵名品図録 改訂版』6。 晴宗公采地下賜録 登録番号:4 資料群名:伊達家寄贈文化財 年月日:天文22年(1553)1月 数量:2冊 法量:各縦31.9 横23.2 指定:仙台市指定文化財 備考・解説:伊達氏の領内では伊達晴宗と父稙宗が争った天文の乱(1542~48)により、家臣の土地所有関係が混乱した。これをただすため、勝利した晴宗は乱中に家臣に出した知行宛行状を返上させ、新たな宛行状を与えた。本資料はその文案を控えたもの。もともと3冊あったが、現在は1冊が失われている。戦国時代の伊達氏家臣団の構成や伊達領内の内情がわかる貴重な記録である。『仙台市博物館館蔵名品図録 改訂版』7。 仙道之図 登録番号:5 資料群名:伊達家寄贈文化財 年月日:江戸時代(17世紀) 数量:1幅 法量:縦107.7 横130.5 備考・解説:仙道とは、現在の福島県の中通り地方(白河・石川・岩瀬・安積・田村・安達・信夫・伊達の八郡)をいう。仙道とその周囲を描いたこの絵図は、伊達政宗の重臣伊達成実が作った絵図をもとに作成されたといわれる。若き日の政宗が合戦にのぞんだ古戦場(人取橋や小手森、郡山、摺上原など)が小さな赤い点で記されている。『仙台市博物館館蔵名品図録 改訂版』13。 吉野懐紙 登録番号:6 資料群名:H元購入197 年月日:文禄3年(1594)2月29日 数量:3巻 法量:上巻:総幅39.2 総長593.0 中巻:総幅39.3 総長841.9 下巻:総幅39.4 総長653.0 指定:重要美術品 備考・解説:豊臣秀吉が文禄3年(1594)2月25日から3月7日に開いた大和国吉野山(奈良県)での花見の会には、大勢の大名が参加し、2月29日には和歌会が催された。この和歌会に参加した秀吉をはじめ今出川晴季、徳川家康、前田利家、伊達政宗ら20名の公家や武将が、桜の花に関する5つの題で和歌を詠み、その懐紙を3巻にまとめたものが本資料である。この時に政宗が詠んだ和歌は高い評価を得て、その後の京都の一流文化人との交流を可能にする契機となったという。本資料は江戸時代に伊達家が京都で買い求めたもので、内箱や中箱も購入した際に伊達家で誂えたもの。『仙台市博物館館蔵名品図録 改訂版』16。 徳川家康領知覚書(百万石のお墨付き) 登録番号:7 資料群名:伊達家寄贈文化財 作成者等:大崎少尉(伊達政宗)宛 年月日:慶長5年(1600)8月22日 数量:1通 法量:縦45.0 横65.0 備考・解説:のちに「天下分け目の合戦」ともいわれた関ケ原の戦いを前に、徳川家康が伊達政宗の重臣たちへ所領を給付することを約束した覚書。恩賞とされた各地域は、いずれも以前に豊臣秀吉によって没収された土地で、当時は上杉家の所領となっていた。当時の政宗の所領と合わせると百万石を超えるため「百万石のお墨付」と呼ばれている。しかし実際に与えられたのは、伊達氏が上杉氏から攻め取った刈田郡のみだった。本資料は、関ケ原の戦いへといたるなかで政宗と家康の利害関係の一致を伝える象徴的な文書といえる。『仙台市博物館館蔵名品図録 改訂版』17。 伊達政宗和歌詠草「入そめて」 登録番号:8 資料群名:伊達家寄贈文化財 年月日:江戸時代初期(17世紀) 数量:1幅 法量:縦25.5 横36.7 指定:仙台市指定文化財 備考・解説:伊達政宗が仙台の末長い繁栄を願って詠んだ和歌。「むつ」と署名していることから、政宗が陸奥守に任じられた慶長13年(1608)以降の歌とみられる。これは政宗が岩出山から仙台に拠点を移し、城や町づくりを始めてから少なくとも7年以上を経ている。「千代」の文字は「千年」という意味とともに、仙台の地名をかつて国分氏の居城であった「千代城」から、仙人が住む高台を意味する「仙台」へと変えたことも示している。『仙台市博物館館蔵名品図録 改訂版』18。 茂庭綱元書状 登録番号:9 資料群名:茂庭綱元書状(奥山与一左衛門宛) 作成者等:奥山与一左衛門 (兼清)宛 年月日:(慶長7年・1602)9月27日 数量:1通 法量:縦35.8 横51.5 備考・解説:政宗の側近茂庭綱元が、同じく重臣の奥山兼清に宛てて、新規家臣の召し抱えについて政宗への取り成しを要請した書状。相馬の浪人西山新兵衛の子について、政宗に仕えたいと申し出があったが、新兵衛は伊達家家臣に知人もあり、召し抱えても良いだろうと判断されたならば殿様(政宗)へよろしくお取り成し願いたい、と述べている。江戸時代初期の仙台藩における家臣の新規採用の様子が具体的にうかがえる。綱元は天正年間以来の政宗の重臣のひとりで、慶長・元和年間に仙台留守居などの要職を務めた。なお、宛名部分は切りとられ、料紙の天の部分の袖裏に貼りつけられている。市史収集資料。『仙台市博物館館蔵名品図録 改訂版』19。 木村宇右衛門覚書 登録番号:10 資料群名:伊達家寄贈文化財 作成者等:木村宇右衛門可親著 年月日:慶安5年(1652)頃 数量:3冊 法量:各約縦25.1 横17.7 備考・解説:政宗の小姓をつとめた木村宇右衛門可親が、政宗の晩年の言行を書き留めたもの。上・中・下の三冊からなり、政宗の出生から死後、慶安5年(1652)5月24日の17回忌に至る間の記事が184項目記されている。本書は仙台藩の公式記録である『伊達治家記録』の編纂で参考資料に挙げられ、その内容は部分的に引用されている。『仙台市博物館館蔵名品図録 改訂版』20。 «最初 前へ 1/20 次へ 最後»