検索トップ 検索結果一覧 キーワード 全ての語を含む いずれかの語を含む 分類 選択... その他の検索条件その他の検索条件 資料名 資料名(よみ) 解説 画像有のみを表示 再検索 リセット 検索条件[おすすめ資料]で7件ヒットしました。 1件目~7件目を表示しています。 並べ替え 並べ替え ★資料名 昇順 ★資料名 降順 資料名 昇順 資料名 降順 資料名(よみ) 昇順 資料名(よみ) 降順 大分類 昇順 大分類 降順 中分類 昇順 中分類 降順 小分類 昇順 小分類 降順 ★時代・時期 昇順 ★時代・時期 降順 解説 昇順 解説 降順 表示件数 5 10 20 50 100 件ずつ表示 文字画像一覧 画像一覧 文字一覧 松永耳庵 書「寿」字色紙 九十六歳 資料名:松永耳庵 書「寿」字色紙 九十六歳 資料名(よみ):まつながじあん しょ「ことぶき」じしきし 96さい 大分類:美術 中分類:書跡・典籍 ★時代・時期:現代 解説:実業界で成功を収め、「電力王」とも呼ばれた松永安左ヱ門(1875-1971)は、所沢に柳瀬荘〈やなせそう〉、平林寺の向かいには草庵・睡足居〈すいそくきょ〉を構え、数寄者〈すきしゃ〉の茶道を楽しみました。60歳から茶の道に入り、『論語』の「六十而耳順〈ろくじゅうにしてみみにしたがう〉」にちなんで「耳庵〈じあん〉」と号します。本作は、小田原の老欅荘〈ろうきょそう〉で暮らしていた晩年、数え年96歳の元旦に筆を染めたものです。 (個人蔵) 野火止用水古絵図 資料名:野火止用水古絵図 資料名(よみ):のびとめようすいこえず 大分類:歴史 中分類:絵図・地図 ★時代・時期:近代 解説:「野火止用水堀 多摩郡砂川村地先分水口 流末入間郡宗岡村新座郡宮戸村館村田場迄 水路麁絵図面」 明治4年(1871)に作成された野火止用水の古絵図です。長さ397cm・幅27cm。玉川上水の分水口から荒川に至るまで、野火止用水の全容を知ることのできる唯一の古絵図となります。流路だけでなく、村境・道との交差・水車の位置なども記され、江戸時代の様子が推測でき、近代の産業史にとっても貴重な資料です。 昭和55年(1980)4月10日、市有形文化財に指定。 貸徳利 資料名:貸徳利 資料名(よみ):かしどっくり 大分類:民俗 中分類:衣食住 小分類:食 ★時代・時期:近代 解説:<この資料に関する聞き取り調査(概要)> 大和田に住む昭和12年(1937)生まれの男性から 家の近くに西山さんという酒屋があり、屋号はカネヤマだった。酒を量り売りしており、買いに行く時にこの徳利を使った。この辺り酒屋の徳利は深谷で調達していたという。 戦時中に酒が配給制になった後、この徳利は家で作った菜種の油を入れて、それを売るのに使った。戦後はこの徳利には酒を入れて使用しなかった。 昔は酒屋で2升入り(約3.6ℓ)の徳利を用意していた。一番初めにその酒屋に行った時に、他の酒屋には行かないでほしいということから、そこで徳利を貸してくれた。その徳利はそこの店で借りているものなので、他の酒屋に行っても、この徳利には酒を入れてくれなかった。 一升徳利は中身が見えないので、お金が無くて1升買えなくて、1合(約180mℓ)くらいしか買わなかった時でも、体裁が良かった。酒屋も、少ししか買ってもらえなかったとわかってしまうよりも、景気がいいように思われるので良かった。酒を買いに行くというような仕事は、使用人か、子どもの仕事だった。 「平林寺大門」 資料名:「平林寺大門」 資料名(よみ):「へいりんじだいもん」 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:名勝・景観 解説: 天保7年(1836)の『江戸名所図会』「平林寺大門」には、川越街道に設けられた平林寺参道の入口の様子が描かれています。画面下側の街道沿いに野火止用水が流れ、右側に建つ石塔には「金鳳山平林禅寺」と彫られており、現在も「野火止大門」交差点には石塔が建っています。 氷川神社本殿 透彫胴羽目彫刻 資料名:氷川神社本殿 透彫胴羽目彫刻 資料名(よみ):ひかわじんじゃほんでんすかしぼりどうはめちょうこく 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:地名 解説: 本殿は享和年間に再建されたもので、周囲の壁面には見事な彫刻が施されています。作者は浅草の名工・嶋村源蔵で「神功皇后」「養老の滝」「鞍馬天狗」の題材を透彫にして刀法の技を見せています。長く普光明寺で保管されていたと伝わり、本殿の壁面にはめ込まれました。平成12年(2000)3月17日、市有形文化財に指定。 記念碑 資料名:記念碑 資料名(よみ):きねんひ 大分類:金石文 中分類:記念碑 ★時代・時期:現代 解説: 終戦から4年後の昭和24年(1949)の春、占領軍埼玉軍政部衛生課長のローラ女史は、野火止用水を飲用水や炊事洗濯に用いる光景を目の当たりにし、ただちに占領軍命令で上水道の整備を指示します。同年6月に着工し、2か月後の8月24日には通水試験を終えて、市内初の簡易水道が敷設されました。当時の水道は、地下水を汲み上げてタンクに貯め、そこから菅沢・西分の各家へ配水する仕組みで、そのタンクは現在の西武バス「菅沢」停留所付近にあったと伝わります。水汲みの重労働や伝染病の流行の心配も減り、簡易水道は市内各所に広がっていきました。その一方、飲用水としての野火止用水の役割が失われていくことになります。 墓石 資料名:墓石 資料名(よみ):ぼせき 大分類:金石文 中分類:墓石 ★時代・時期:近世 解説:菅谷清章(すがやきよあき)は、享保5年(1720)に生まれ、高崎藩主・松平輝貞、輝規、輝高の三代に仕えた家老です。川越藩主・松平信綱公によって開拓された野火止新田(菅沢を含む)は、子孫の転封に伴い高崎藩の飛地となっており、清章は引退後の安永6年(1777)から菅沢村の一画に隠居して、陰で藩政を支えていました。平林寺にある歴代廟所のうち輝貞公の墓前には、清章も石灯籠を献じています。清章は晩年「恵山玄忠入道」と称して諸国を遊歴しましたが、天明2年(1782)に土地と畑を菅沢村に託し、寛政5年(1793)6月、73歳で亡くなります。清明(恵山)を偲んで「恵山通り」と名付けられた道が菅沢を通っています。 新座市文化財データベースは、埼玉県にあるれきしてらす(新座市立歴史民俗資料館 が運営・管理しています。 れきしてらすの開館日やアクセス方法、展示・イベント等の情報については、新座市公式ホームページをご覧ください。 「新座市文化財データベース」の利便性向上のため、アンケートへのご協力をお願いいたします。 資料に関するお問い合わせは、新座市公式ホームページのお問い合わせフォームからお願いします。特定の資料についてお問い合わせいただく場合は、その資料のIDや番号、または該当ページのURLなどを転記してください。 スマートフォン向けアプリ「にっぽん風景なび」・「ポケット学芸員」でも情報を公開しておりますので、併せてご利用ください。アプリの利用料は無料ですが、別途、通信費が必要となります。 「ウェブサイト版にっぽん風景なび」も併せてご利用ください。掲載内容はアプリ版と同じです。 PageTop
検索条件[おすすめ資料]で7件ヒットしました。 1件目~7件目を表示しています。 並べ替え 並べ替え ★資料名 昇順 ★資料名 降順 資料名 昇順 資料名 降順 資料名(よみ) 昇順 資料名(よみ) 降順 大分類 昇順 大分類 降順 中分類 昇順 中分類 降順 小分類 昇順 小分類 降順 ★時代・時期 昇順 ★時代・時期 降順 解説 昇順 解説 降順 表示件数 5 10 20 50 100 件ずつ表示 文字画像一覧 画像一覧 文字一覧
松永耳庵 書「寿」字色紙 九十六歳 資料名:松永耳庵 書「寿」字色紙 九十六歳 資料名(よみ):まつながじあん しょ「ことぶき」じしきし 96さい 大分類:美術 中分類:書跡・典籍 ★時代・時期:現代 解説:実業界で成功を収め、「電力王」とも呼ばれた松永安左ヱ門(1875-1971)は、所沢に柳瀬荘〈やなせそう〉、平林寺の向かいには草庵・睡足居〈すいそくきょ〉を構え、数寄者〈すきしゃ〉の茶道を楽しみました。60歳から茶の道に入り、『論語』の「六十而耳順〈ろくじゅうにしてみみにしたがう〉」にちなんで「耳庵〈じあん〉」と号します。本作は、小田原の老欅荘〈ろうきょそう〉で暮らしていた晩年、数え年96歳の元旦に筆を染めたものです。 (個人蔵) 野火止用水古絵図 資料名:野火止用水古絵図 資料名(よみ):のびとめようすいこえず 大分類:歴史 中分類:絵図・地図 ★時代・時期:近代 解説:「野火止用水堀 多摩郡砂川村地先分水口 流末入間郡宗岡村新座郡宮戸村館村田場迄 水路麁絵図面」 明治4年(1871)に作成された野火止用水の古絵図です。長さ397cm・幅27cm。玉川上水の分水口から荒川に至るまで、野火止用水の全容を知ることのできる唯一の古絵図となります。流路だけでなく、村境・道との交差・水車の位置なども記され、江戸時代の様子が推測でき、近代の産業史にとっても貴重な資料です。 昭和55年(1980)4月10日、市有形文化財に指定。 貸徳利 資料名:貸徳利 資料名(よみ):かしどっくり 大分類:民俗 中分類:衣食住 小分類:食 ★時代・時期:近代 解説:<この資料に関する聞き取り調査(概要)> 大和田に住む昭和12年(1937)生まれの男性から 家の近くに西山さんという酒屋があり、屋号はカネヤマだった。酒を量り売りしており、買いに行く時にこの徳利を使った。この辺り酒屋の徳利は深谷で調達していたという。 戦時中に酒が配給制になった後、この徳利は家で作った菜種の油を入れて、それを売るのに使った。戦後はこの徳利には酒を入れて使用しなかった。 昔は酒屋で2升入り(約3.6ℓ)の徳利を用意していた。一番初めにその酒屋に行った時に、他の酒屋には行かないでほしいということから、そこで徳利を貸してくれた。その徳利はそこの店で借りているものなので、他の酒屋に行っても、この徳利には酒を入れてくれなかった。 一升徳利は中身が見えないので、お金が無くて1升買えなくて、1合(約180mℓ)くらいしか買わなかった時でも、体裁が良かった。酒屋も、少ししか買ってもらえなかったとわかってしまうよりも、景気がいいように思われるので良かった。酒を買いに行くというような仕事は、使用人か、子どもの仕事だった。 「平林寺大門」 資料名:「平林寺大門」 資料名(よみ):「へいりんじだいもん」 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:名勝・景観 解説: 天保7年(1836)の『江戸名所図会』「平林寺大門」には、川越街道に設けられた平林寺参道の入口の様子が描かれています。画面下側の街道沿いに野火止用水が流れ、右側に建つ石塔には「金鳳山平林禅寺」と彫られており、現在も「野火止大門」交差点には石塔が建っています。 氷川神社本殿 透彫胴羽目彫刻 資料名:氷川神社本殿 透彫胴羽目彫刻 資料名(よみ):ひかわじんじゃほんでんすかしぼりどうはめちょうこく 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:地名 解説: 本殿は享和年間に再建されたもので、周囲の壁面には見事な彫刻が施されています。作者は浅草の名工・嶋村源蔵で「神功皇后」「養老の滝」「鞍馬天狗」の題材を透彫にして刀法の技を見せています。長く普光明寺で保管されていたと伝わり、本殿の壁面にはめ込まれました。平成12年(2000)3月17日、市有形文化財に指定。 記念碑 資料名:記念碑 資料名(よみ):きねんひ 大分類:金石文 中分類:記念碑 ★時代・時期:現代 解説: 終戦から4年後の昭和24年(1949)の春、占領軍埼玉軍政部衛生課長のローラ女史は、野火止用水を飲用水や炊事洗濯に用いる光景を目の当たりにし、ただちに占領軍命令で上水道の整備を指示します。同年6月に着工し、2か月後の8月24日には通水試験を終えて、市内初の簡易水道が敷設されました。当時の水道は、地下水を汲み上げてタンクに貯め、そこから菅沢・西分の各家へ配水する仕組みで、そのタンクは現在の西武バス「菅沢」停留所付近にあったと伝わります。水汲みの重労働や伝染病の流行の心配も減り、簡易水道は市内各所に広がっていきました。その一方、飲用水としての野火止用水の役割が失われていくことになります。 墓石 資料名:墓石 資料名(よみ):ぼせき 大分類:金石文 中分類:墓石 ★時代・時期:近世 解説:菅谷清章(すがやきよあき)は、享保5年(1720)に生まれ、高崎藩主・松平輝貞、輝規、輝高の三代に仕えた家老です。川越藩主・松平信綱公によって開拓された野火止新田(菅沢を含む)は、子孫の転封に伴い高崎藩の飛地となっており、清章は引退後の安永6年(1777)から菅沢村の一画に隠居して、陰で藩政を支えていました。平林寺にある歴代廟所のうち輝貞公の墓前には、清章も石灯籠を献じています。清章は晩年「恵山玄忠入道」と称して諸国を遊歴しましたが、天明2年(1782)に土地と畑を菅沢村に託し、寛政5年(1793)6月、73歳で亡くなります。清明(恵山)を偲んで「恵山通り」と名付けられた道が菅沢を通っています。