狩野晴川院養信

作者名よみかのうせいせんいんおさのぶ
作者名欧文KANO Osanobu
生没年1796 - 1846(寛政8 - 弘化3)

略歴・解説

19世紀前半から半ばに活躍した木挽町家の画家。
狩野栄信の長男として江戸に生まれる。幼名は庄三郎。初め玉川(ぎょくせん)、後に晴川、晴川院と称し、會心斎(かいしんさい)と号す。
文化7(1810)年、江戸城に出仕、以降奥御用を勤める。文化11(1814)年、二十人扶持を賜る。
文政2(1819)年、24歳にして法眼となり、中務卿(なかつかさきょう)と称す。
文政5(1831)年、二百俵を賜る。
文政11(1828)年、栄信が没し、跡を継いで9代目当主となる。
天保4(1833)年、法印に叙される。
天保9~10(1838~39)年、弘化元~2(1844~45)年の江戸城西の丸御殿、本丸御殿障壁画制作の総指揮を執るなど、巨大化した江戸狩野派を取りまとめ、大規模制作を行う。
栄信の画業を受け継ぎ、中国絵画、古典絵巻等の模写事業を大々的に遂行。古典学習に基礎を置く幕末狩野派の画風変革を完遂し、近代の日本画へと展開する表現を開拓した。初出仕から死の前日に至るまで公務を仔細に記録した『公用日記』(東京国立博物館、国立国会図書館)を残した。
栄信同様、現存作品は、ボストン美術館、大英博物館、東京国立博物館などに数多く残っており、膨大な模本や下絵を含めると、その画業全体を把握することは困難を極める。代表的な作例としては、《鷹狩図屏風》(板橋区立美術館)、《四季耕作図屏風》(サントリー美術館)、《胡蝶船遊之図》(永青文庫)、《春秋高隠図》(永青文庫)、《東方朔・山水図》(静岡県立美術館)、《金沢図》(東京国立博物館)、《角田川真景図》(東京国立博物館)などがある。

※松原茂「狩野晴川院と絵巻」(『Museum』344号 1979年)
 松原茂「奥絵師狩野晴川院―『公用日記』にみるその活動」(『東京国立博物館紀要』一7号 1981年)
 小林忠「狩野晴川院の大和絵復興」(『大和文華』83号 1990年)
 池田宏「狩野晴川院『公用日記』にみる諸相」(『東京国立博物館紀要』28号 1993年)『狩野晴川院養信の全貌』(板橋区立美術館 1995年)
 榊原悟「狩野晴川院筆『四季耕作図屏風』について―御用絵師の仕事」(『野村美術館研究紀要』6号 1997年)
 池田宏「狩野晴川院養信―業績と人柄」(『池上本門寺奥絵師狩野家墓所の調査』池上本門寺 2004年)
 『幕末狩野派展』(静岡県立美術館 2018年)

2021年『忘れられた江戸絵画史の本流―江戸狩野派の250年/江戸狩野派の古典学習―その基盤と広がり』、p. 161

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