狩野永岳

作者名よみかのうえいがく
作者名欧文KANO Eigaku
生没年1790 - 1867(寛政2 - 慶応3)

略歴・解説

19世紀前半から半ばに活躍した京狩野派の画家。
京都の画家・影山洞玉の子として生まれ、狩野山楽(1559~1635)・山雪(1590~1651)にはじまる京狩野家の8代目当主・狩野永俊(1783~1830)の養子となる。
文化13(1816)年、永俊の死により家督を相続し、9代目当主となる。
文政6(1823)年、九条家の家来となる。
文政8(1825)年、妙心寺隣華院障壁画、天保6(1835)年、法光寺宝喜院障壁画を制作。
弘化3(1846)年、宮廷画家(禁裏御画家御医次席)となる。
翌年、桂宮御殿(現二条城本丸御殿)障壁画制作に参加。
安政2(1855)年、安政度の御所造営における障壁画制作に参加。
皇室、九条家のほか、紀州徳川家や彦根藩井伊家などの依頼を受け、とりわけ彦根藩に重用された。
京狩野派の古典と言うべき山楽・山雪の画風をよく学び、京狩野派の伝統を復興した一方で、四条派や南画など諸派の表現を取り入れており、時代の潮流を捉え、個性的な画風を確立した。

2018年『幕末狩野派展』、p. 147より抜粋。

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