検索トップ 検索結果一覧 キーワード 全ての語を含む いずれかの語を含む 分類 名所・旧跡・伝承 > 地名など > 地名選択... その他の検索条件その他の検索条件 資料名 資料名(よみ) 解説 画像有のみを表示 再検索 リセット 検索条件[分類:名所・旧跡・伝承 > 地名など > 地名]で8件ヒットしました。 1件目~8件目を表示しています。 並べ替え 並べ替え ★資料名 昇順 ★資料名 降順 資料名 昇順 資料名 降順 資料名(よみ) 昇順 資料名(よみ) 降順 大分類 昇順 大分類 降順 中分類 昇順 中分類 降順 小分類 昇順 小分類 降順 ★時代・時期 昇順 ★時代・時期 降順 解説 昇順 解説 降順 表示件数 5 10 20 50 100 件ずつ表示 文字画像一覧 画像一覧 文字一覧 西堀村 資料名:西堀村 資料名(よみ):にしぼりむら 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:地名 解説:江戸時代前期、松平伊豆守信綱による新田開発で生まれた4か村の一つです。平林寺の朱印地となり、平林寺には西堀村の様子が記録した検地帳や寺領絵図が伝わります。 野火止上 資料名:野火止上 資料名(よみ):のびとめかみ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:地名 解説:江戸時代の川越街道に沿って広がった野火止村(野火止宿)は、上・中・下(かみ・なか・しも)の3つに分かれ、東側(朝霞寄り)が下、西側(大和田寄り)が上でした。上宿の端には鎮守・神明神社があり、川越街道沿いを流れてきた2本の用水がここで合流して、北野方面に流れていきました。 野火止下 資料名:野火止下 資料名(よみ):のびとめしも 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:地名 解説:江戸時代前期、野火止新田の開拓が始まる際、54,55軒の農家が入植したのが川越街道沿いであると考えられます。川越街道は江戸と川越をつなぐ交通の要衝であり、街道沿いにある野火止村も、いつしか野火止宿と呼ばれるようになりました。川越に近い方から「上・中・下」と3つに分かれますが、「下」が本村、すなわち最初に開拓された場所だと考えられます。下宿の鎮守は野火止氷川神社で、その前を野火止用水の陣屋堀が流れていました。 野火止中 資料名:野火止中 資料名(よみ):のびとめなか 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:地名 解説:江戸時代の川越街道に沿って広がった野火止村(野火止宿)は、上・中・下(かみ・なか・しも)の3つに分かれ、東側(朝霞寄り)が下、西側(大和田寄り)が上でした。野火止用水本流沿いには「中堀」という字名も残っていますが、これは野火止中宿に注ぐ野火止用水を「中堀」と呼んだためと考えられます。 北野村 資料名:北野村 資料名(よみ):きたのむら 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:地名 解説:江戸時代以前は原野でしたが、江戸時代前期に野火止用水がこの地を通り、開墾された地域です。「北野」という地名は、野火止の本村から見て北側に位置することから名付けられたといわれています。村の規模は小さく、戸数も8軒しかなかったことから、「北野八軒」ともいわれていました。 「石神」の由来 資料名:「石神」の由来 資料名(よみ):「いしがみ」のゆらい 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:地名 解説:縄文時代の石棒が出土し、これをご神体と崇めたことが由来とされます。武野神社の湧水にある弁天堂には、石棒が納められており、この伝説と関係があると推測されます。 大和田郷 資料名:大和田郷 資料名(よみ):おおわだごう 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:地名 解説:大和田カミ遺跡からは縄文・古墳・古代の遺跡が発見されており、鎌倉時代の正安3年(1301)に普光明寺で写経された『観経玄義分見聞集』には「大和田郷」と記されていることから、当時は国衙領としての郷であったことが伺えます。普光明寺や氷川神社が中心となり、柳瀬川右岸流域の大和田郷に人々が集まるようになったと考えられます。江戸時代になると、大和田は江戸と川越を結ぶ川越街道沿いに位置することから、柳瀬川を渡る人の宿場り、大名や役人等の荷物を運ぶ伝馬の継立ても行われます。明治時代には5日と10日の日が市の日としてにぎわい、明治36年(1903)頃には80軒ほどの店が建ち並んで、近隣からの買い物客でにぎわっていました。 氷川神社本殿 透彫胴羽目彫刻 資料名:氷川神社本殿 透彫胴羽目彫刻 資料名(よみ):ひかわじんじゃほんでんすかしぼりどうはめちょうこく 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:地名 解説: 本殿は享和年間に再建されたもので、周囲の壁面には見事な彫刻が施されています。作者は浅草の名工・嶋村源蔵で「神功皇后」「養老の滝」「鞍馬天狗」の題材を透彫にして刀法の技を見せています。長く普光明寺で保管されていたと伝わり、本殿の壁面にはめ込まれました。平成12年(2000)3月17日、市有形文化財に指定。 新座市文化財データベースは、埼玉県にあるれきしてらす(新座市立歴史民俗資料館 が運営・管理しています。 れきしてらすの開館日やアクセス方法、展示・イベント等の情報については、新座市公式ホームページをご覧ください。 「新座市文化財データベース」の利便性向上のため、アンケートへのご協力をお願いいたします。 資料に関するお問い合わせは、新座市公式ホームページのお問い合わせフォームからお願いします。特定の資料についてお問い合わせいただく場合は、その資料のIDや番号、または該当ページのURLなどを転記してください。 スマートフォン向けアプリ「にっぽん風景なび」・「ポケット学芸員」でも情報を公開しておりますので、併せてご利用ください。アプリの利用料は無料ですが、別途、通信費が必要となります。 「ウェブサイト版にっぽん風景なび」も併せてご利用ください。掲載内容はアプリ版と同じです。 PageTop
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西堀村 資料名:西堀村 資料名(よみ):にしぼりむら 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:地名 解説:江戸時代前期、松平伊豆守信綱による新田開発で生まれた4か村の一つです。平林寺の朱印地となり、平林寺には西堀村の様子が記録した検地帳や寺領絵図が伝わります。 野火止上 資料名:野火止上 資料名(よみ):のびとめかみ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:地名 解説:江戸時代の川越街道に沿って広がった野火止村(野火止宿)は、上・中・下(かみ・なか・しも)の3つに分かれ、東側(朝霞寄り)が下、西側(大和田寄り)が上でした。上宿の端には鎮守・神明神社があり、川越街道沿いを流れてきた2本の用水がここで合流して、北野方面に流れていきました。 野火止下 資料名:野火止下 資料名(よみ):のびとめしも 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:地名 解説:江戸時代前期、野火止新田の開拓が始まる際、54,55軒の農家が入植したのが川越街道沿いであると考えられます。川越街道は江戸と川越をつなぐ交通の要衝であり、街道沿いにある野火止村も、いつしか野火止宿と呼ばれるようになりました。川越に近い方から「上・中・下」と3つに分かれますが、「下」が本村、すなわち最初に開拓された場所だと考えられます。下宿の鎮守は野火止氷川神社で、その前を野火止用水の陣屋堀が流れていました。 野火止中 資料名:野火止中 資料名(よみ):のびとめなか 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:地名 解説:江戸時代の川越街道に沿って広がった野火止村(野火止宿)は、上・中・下(かみ・なか・しも)の3つに分かれ、東側(朝霞寄り)が下、西側(大和田寄り)が上でした。野火止用水本流沿いには「中堀」という字名も残っていますが、これは野火止中宿に注ぐ野火止用水を「中堀」と呼んだためと考えられます。 北野村 資料名:北野村 資料名(よみ):きたのむら 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:地名 解説:江戸時代以前は原野でしたが、江戸時代前期に野火止用水がこの地を通り、開墾された地域です。「北野」という地名は、野火止の本村から見て北側に位置することから名付けられたといわれています。村の規模は小さく、戸数も8軒しかなかったことから、「北野八軒」ともいわれていました。 「石神」の由来 資料名:「石神」の由来 資料名(よみ):「いしがみ」のゆらい 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:地名 解説:縄文時代の石棒が出土し、これをご神体と崇めたことが由来とされます。武野神社の湧水にある弁天堂には、石棒が納められており、この伝説と関係があると推測されます。 大和田郷 資料名:大和田郷 資料名(よみ):おおわだごう 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:地名 解説:大和田カミ遺跡からは縄文・古墳・古代の遺跡が発見されており、鎌倉時代の正安3年(1301)に普光明寺で写経された『観経玄義分見聞集』には「大和田郷」と記されていることから、当時は国衙領としての郷であったことが伺えます。普光明寺や氷川神社が中心となり、柳瀬川右岸流域の大和田郷に人々が集まるようになったと考えられます。江戸時代になると、大和田は江戸と川越を結ぶ川越街道沿いに位置することから、柳瀬川を渡る人の宿場り、大名や役人等の荷物を運ぶ伝馬の継立ても行われます。明治時代には5日と10日の日が市の日としてにぎわい、明治36年(1903)頃には80軒ほどの店が建ち並んで、近隣からの買い物客でにぎわっていました。 氷川神社本殿 透彫胴羽目彫刻 資料名:氷川神社本殿 透彫胴羽目彫刻 資料名(よみ):ひかわじんじゃほんでんすかしぼりどうはめちょうこく 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:地名 解説: 本殿は享和年間に再建されたもので、周囲の壁面には見事な彫刻が施されています。作者は浅草の名工・嶋村源蔵で「神功皇后」「養老の滝」「鞍馬天狗」の題材を透彫にして刀法の技を見せています。長く普光明寺で保管されていたと伝わり、本殿の壁面にはめ込まれました。平成12年(2000)3月17日、市有形文化財に指定。