検索トップ 検索結果一覧 キーワード 全ての語を含む いずれかの語を含む 分類 名所・旧跡・伝承 > 名所 > まつり選択... その他の検索条件その他の検索条件 資料名 資料名(よみ) 解説 画像有のみを表示 再検索 リセット 検索条件[分類:名所・旧跡・伝承 > 名所 > まつり]で9件ヒットしました。 1件目~9件目を表示しています。 並べ替え 並べ替え ★資料名 昇順 ★資料名 降順 資料名 昇順 資料名 降順 資料名(よみ) 昇順 資料名(よみ) 降順 大分類 昇順 大分類 降順 中分類 昇順 中分類 降順 小分類 昇順 小分類 降順 ★時代・時期 昇順 ★時代・時期 降順 解説 昇順 解説 降順 表示件数 5 10 20 50 100 件ずつ表示 文字画像一覧 画像一覧 文字一覧 中野の獅子舞 資料名:中野の獅子舞 資料名(よみ):なかのししまい 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:まつり 解説:江戸時代の初め頃、中野の細沼仁右衛門という人が、村人の数名と龍泉寺の住職と一緒に、上方見物をした際、京都の熊野神社から一頭の獅子頭と烏天狗の面を拝領し、獅子舞を見せて稼ぎながら帰ってきたことが始まりと伝えられています。以降、熊野神社の氏子の人たちによって行われる夏の祭礼の神事で、諸悪退散や五穀豊穣の願いを込めて250年以上にわたり奉納されてきました。この獅子頭と烏天狗の面に悪魔や病気を退散させる力があると考えられ、疫病が流行したときに、それを飾り、病人が出た家々を練り歩いたとも伝えられています。その後、天保13年(1842)年頃に、拝領した獅子頭と面とを交換に三頭の獅子頭を得て太鼓、笛に合せて獅子舞が始まったといわれています。熊野神社は明治42年(1909)に大和田氷川神社に合祀されましたが、合祀後は大和田氷川神社に場所を変えて奉納されていました。平成6年(1994)3月31日、市無形文化財に指定。 * 獅子舞は毎年8月の最終土日に実施されていましたが、現在、舞・飾り獅子は休止中です。 武州里神楽 資料名:武州里神楽 資料名(よみ):ぶしゅうさとかぐら 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:まつり 解説:野火止の石山家に伝わる神楽は、埼玉県南部で行われている代表的な神楽です。文政元年(1818)に記された石山家所蔵の「御神楽壇発控帳」によれば、石山内蔵之助が文政年間には神楽師を勤めて、五穀豊穣と厄除息災を祈るために、周辺の村33か村の祭りなどに神楽を奉納し、村廻りをしていたことが伺えます。所伝の曲には、素面で舞う曲と、面をつけて舞う神代(能)とがあり、面の舞いには、天ノ岩戸、八雲神詠・天孫降臨など23の舞があり、市内外の神社で奉納されています。昭和42年(1967)3月8日、市無形文化財に指定。 片山富士 資料名:片山富士 資料名(よみ):かたやまふじ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:まつり 解説:法臺寺(ほうだいじ)境内にある富士塚で、富士講の一つである丸吉講の人々によって天保年間に作られました。江戸時代から昭和初期にかけて、庶民の間で富士山を信仰する風習がありました。当時は限られた人しか富士山に登ることができなかったため、有志でお金を出し合い、代表者が富士山に登頂し浅間神社に参拝する「講」を結成します。この富士講が盛んになると、各地で富士塚が築かれ、富士塚に登ることで実際に富士山に登頂したのと同じご利益があるとされていました。旧新座郡にはこのように築かれた富士塚が7つあり、「新座七富士」とも呼ばれています。法臺寺の境内にある片山富士は、その中で最も古く、天保2年(1831)に丸吉講によって作られました。丸吉講は、旧中沢村出身の浅海吉右衛門という人が富士山登頂33回の大願成就を成し遂げた後に、富士山信仰を広めるために組織した富士講です。令和2年(2020)3月24日、市有形民俗文化財に指定。 大和田囃子 資料名:大和田囃子 資料名(よみ):おおわだばやし 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:まつり 解説:大和田氷川神社には、祭礼のときに奉納される祭り囃子があり、はだか神輿とともに披露されています。江戸時代後期の享和年間(1801-1803)にはすでに存在していたと考えられ、江戸神田囃子の流れを汲みます。囃子の曲目には、屋台、昇殿、神田丸、鎌倉、四丁目、にんば等があり、おかめ、ひょっとこ、狐、獅子、下道などの面をつけた踊りがつきます。途中、幾度かの中断もありましたが、大和田囃子保存会が組織され、現在は毎年の夏祭りで披露されています。また、昭和20年(1945) に大和田町出身の高橋剛三郎が北海道旭川に開拓団として入植した際、大和田囃子をその土地の人々に伝え、「雨紛囃子」としても継承されています。昭和55年(1980)4月10日、市無形文化財に指定。 大和田氷川神社はだか神輿 資料名:大和田氷川神社はだか神輿 資料名(よみ):おおわだひかわじんじゃはだかみこし 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:まつり 解説:五穀豊穣、無病息災を願い行われる氷川神社の夏祭りで、文政2年(1819)に始められたと伝えられます。神輿を高く持ち上げたり、地上すれすれに落としたりする勇壮な様から別名「荒神輿」と言われます。激しい担ぎ方で肩を傷めてしまうことから、法被を脱いで肩当てに用い、ふんどし姿で神輿を担ぐところから「はだか神輿」と呼ばれます。大和田囃子に先導された神輿が「やんよー、やんよー」の掛け声とともに、大和田氷川神社から旧川越街道を練り歩く姿は、大和田地区の夏の風物詩です。毎年7月末の金・土曜日午後7時頃から披露されます。平成14年(2002)11月1日、市無形民俗文化財に指定。 野火止氷川神社の力石 資料名:野火止氷川神社の力石 資料名(よみ):のびとめひかわじんじゃのちからいし 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:まつり 解説:野火止氷川神社に奉納された、力比べに用いられた巨大な石です。この石を持ち上げたと考えられる4名の人名や、「磐戸石」、「五拾貫目」、「六拾貫目」などの切付文字があります。また、1点には「明治八年」(1875)という紀年銘があり、計3点の力石が奉納されています。村落共同体の中で、若者たちによる力試しの行事に用いられました。平成29年(2017)6月21日、市有形民俗文化財に指定。 野火止氷川神社の雨乞い 資料名:野火止氷川神社の雨乞い 資料名(よみ):のびとめひかわじんじゃのあまごい 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:まつり 解説:戦前は旱魃(かんばつ)のときなど、氏子総代が中心となって氷川神社にお神酒をあげ、野火止用水の中に入って「六根清浄」と唱えながら、みんなで川の水を土手の脇にしゃくりあげて雨乞いを行ったといいます。それで雨が降れば、氷川神社にお神酒をあげて、オシメリ正月と称して仕事休みとしていました。 力石 資料名:力石 資料名(よみ):ちからいし 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:まつり 解説:若宮八幡神社に奉納された力石のうち、1点には寛政3年(1791)の紀年銘が刻まれていて、もう1点には「奉納」と刻む下に「高橋」「車」と刻まれています。村落共同体の中で、若者たちが力試しの行事に用いられていたとされ、持ち上げた人物や日付を刻んだのでしょう。平成6年(1994)3月31日、市有形民俗文化財に指定。 断髪奉納額 資料名:断髪奉納額 資料名(よみ):だんぱつほうのうがく 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:まつり 解説:明治初期の文明開化の風潮のなかで、断髪した髷(まげ)を村の鎮守・若宮八幡神社に奉納したものです。断髪が村中で、一定の時期に行われたこと、また戸主あるいはその継承者の髷が奉納されたところから、文明開化と神社や宗教との関わりなど、地域の歴史を物語る貴重な資料です。平成6年(1994)3月31日、市有形民俗文化財に指定。 新座市文化財データベースは、埼玉県にあるれきしてらす(新座市立歴史民俗資料館 が運営・管理しています。 れきしてらすの開館日やアクセス方法、展示・イベント等の情報については、新座市公式ホームページをご覧ください。 「新座市文化財データベース」の利便性向上のため、アンケートへのご協力をお願いいたします。 資料に関するお問い合わせは、新座市公式ホームページのお問い合わせフォームからお願いします。特定の資料についてお問い合わせいただく場合は、その資料のIDや番号、または該当ページのURLなどを転記してください。 スマートフォン向けアプリ「にっぽん風景なび」・「ポケット学芸員」でも情報を公開しておりますので、併せてご利用ください。アプリの利用料は無料ですが、別途、通信費が必要となります。 「ウェブサイト版にっぽん風景なび」も併せてご利用ください。掲載内容はアプリ版と同じです。 PageTop
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中野の獅子舞 資料名:中野の獅子舞 資料名(よみ):なかのししまい 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:まつり 解説:江戸時代の初め頃、中野の細沼仁右衛門という人が、村人の数名と龍泉寺の住職と一緒に、上方見物をした際、京都の熊野神社から一頭の獅子頭と烏天狗の面を拝領し、獅子舞を見せて稼ぎながら帰ってきたことが始まりと伝えられています。以降、熊野神社の氏子の人たちによって行われる夏の祭礼の神事で、諸悪退散や五穀豊穣の願いを込めて250年以上にわたり奉納されてきました。この獅子頭と烏天狗の面に悪魔や病気を退散させる力があると考えられ、疫病が流行したときに、それを飾り、病人が出た家々を練り歩いたとも伝えられています。その後、天保13年(1842)年頃に、拝領した獅子頭と面とを交換に三頭の獅子頭を得て太鼓、笛に合せて獅子舞が始まったといわれています。熊野神社は明治42年(1909)に大和田氷川神社に合祀されましたが、合祀後は大和田氷川神社に場所を変えて奉納されていました。平成6年(1994)3月31日、市無形文化財に指定。 * 獅子舞は毎年8月の最終土日に実施されていましたが、現在、舞・飾り獅子は休止中です。 武州里神楽 資料名:武州里神楽 資料名(よみ):ぶしゅうさとかぐら 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:まつり 解説:野火止の石山家に伝わる神楽は、埼玉県南部で行われている代表的な神楽です。文政元年(1818)に記された石山家所蔵の「御神楽壇発控帳」によれば、石山内蔵之助が文政年間には神楽師を勤めて、五穀豊穣と厄除息災を祈るために、周辺の村33か村の祭りなどに神楽を奉納し、村廻りをしていたことが伺えます。所伝の曲には、素面で舞う曲と、面をつけて舞う神代(能)とがあり、面の舞いには、天ノ岩戸、八雲神詠・天孫降臨など23の舞があり、市内外の神社で奉納されています。昭和42年(1967)3月8日、市無形文化財に指定。 片山富士 資料名:片山富士 資料名(よみ):かたやまふじ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:まつり 解説:法臺寺(ほうだいじ)境内にある富士塚で、富士講の一つである丸吉講の人々によって天保年間に作られました。江戸時代から昭和初期にかけて、庶民の間で富士山を信仰する風習がありました。当時は限られた人しか富士山に登ることができなかったため、有志でお金を出し合い、代表者が富士山に登頂し浅間神社に参拝する「講」を結成します。この富士講が盛んになると、各地で富士塚が築かれ、富士塚に登ることで実際に富士山に登頂したのと同じご利益があるとされていました。旧新座郡にはこのように築かれた富士塚が7つあり、「新座七富士」とも呼ばれています。法臺寺の境内にある片山富士は、その中で最も古く、天保2年(1831)に丸吉講によって作られました。丸吉講は、旧中沢村出身の浅海吉右衛門という人が富士山登頂33回の大願成就を成し遂げた後に、富士山信仰を広めるために組織した富士講です。令和2年(2020)3月24日、市有形民俗文化財に指定。 大和田囃子 資料名:大和田囃子 資料名(よみ):おおわだばやし 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:まつり 解説:大和田氷川神社には、祭礼のときに奉納される祭り囃子があり、はだか神輿とともに披露されています。江戸時代後期の享和年間(1801-1803)にはすでに存在していたと考えられ、江戸神田囃子の流れを汲みます。囃子の曲目には、屋台、昇殿、神田丸、鎌倉、四丁目、にんば等があり、おかめ、ひょっとこ、狐、獅子、下道などの面をつけた踊りがつきます。途中、幾度かの中断もありましたが、大和田囃子保存会が組織され、現在は毎年の夏祭りで披露されています。また、昭和20年(1945) に大和田町出身の高橋剛三郎が北海道旭川に開拓団として入植した際、大和田囃子をその土地の人々に伝え、「雨紛囃子」としても継承されています。昭和55年(1980)4月10日、市無形文化財に指定。 大和田氷川神社はだか神輿 資料名:大和田氷川神社はだか神輿 資料名(よみ):おおわだひかわじんじゃはだかみこし 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:まつり 解説:五穀豊穣、無病息災を願い行われる氷川神社の夏祭りで、文政2年(1819)に始められたと伝えられます。神輿を高く持ち上げたり、地上すれすれに落としたりする勇壮な様から別名「荒神輿」と言われます。激しい担ぎ方で肩を傷めてしまうことから、法被を脱いで肩当てに用い、ふんどし姿で神輿を担ぐところから「はだか神輿」と呼ばれます。大和田囃子に先導された神輿が「やんよー、やんよー」の掛け声とともに、大和田氷川神社から旧川越街道を練り歩く姿は、大和田地区の夏の風物詩です。毎年7月末の金・土曜日午後7時頃から披露されます。平成14年(2002)11月1日、市無形民俗文化財に指定。 野火止氷川神社の力石 資料名:野火止氷川神社の力石 資料名(よみ):のびとめひかわじんじゃのちからいし 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:まつり 解説:野火止氷川神社に奉納された、力比べに用いられた巨大な石です。この石を持ち上げたと考えられる4名の人名や、「磐戸石」、「五拾貫目」、「六拾貫目」などの切付文字があります。また、1点には「明治八年」(1875)という紀年銘があり、計3点の力石が奉納されています。村落共同体の中で、若者たちによる力試しの行事に用いられました。平成29年(2017)6月21日、市有形民俗文化財に指定。 野火止氷川神社の雨乞い 資料名:野火止氷川神社の雨乞い 資料名(よみ):のびとめひかわじんじゃのあまごい 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:まつり 解説:戦前は旱魃(かんばつ)のときなど、氏子総代が中心となって氷川神社にお神酒をあげ、野火止用水の中に入って「六根清浄」と唱えながら、みんなで川の水を土手の脇にしゃくりあげて雨乞いを行ったといいます。それで雨が降れば、氷川神社にお神酒をあげて、オシメリ正月と称して仕事休みとしていました。 力石 資料名:力石 資料名(よみ):ちからいし 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:まつり 解説:若宮八幡神社に奉納された力石のうち、1点には寛政3年(1791)の紀年銘が刻まれていて、もう1点には「奉納」と刻む下に「高橋」「車」と刻まれています。村落共同体の中で、若者たちが力試しの行事に用いられていたとされ、持ち上げた人物や日付を刻んだのでしょう。平成6年(1994)3月31日、市有形民俗文化財に指定。 断髪奉納額 資料名:断髪奉納額 資料名(よみ):だんぱつほうのうがく 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:名所 小分類:まつり 解説:明治初期の文明開化の風潮のなかで、断髪した髷(まげ)を村の鎮守・若宮八幡神社に奉納したものです。断髪が村中で、一定の時期に行われたこと、また戸主あるいはその継承者の髷が奉納されたところから、文明開化と神社や宗教との関わりなど、地域の歴史を物語る貴重な資料です。平成6年(1994)3月31日、市有形民俗文化財に指定。