略歴・解説
逸見治郎はヘンミ式計算尺の発明者。東京神田で生まれたが7歳のときに父・新次郎が亡くなったため、母の実家であった野田町に移り住み、茂木小学校(野田尋常高等小学校を経て、現・野田市立中央小学校)に通っていた。卒業後、13歳で日本橋本石町で指物師として働いていた伯父・大谷竹二郎を頼り、中村測量計算器製作所で縮尺目盛の修業をする。16歳で櫛型治具を考案したことから業界で注目を集め、17歳で逸見治郎商店を設立した。逸見は指物師としての仕事の傍ら、明治27年(1894)にヨーロッパからもたらされたマンハイム計算尺の改良に取組む。日本の温湿度環境下でも狂いが無い計算尺を作るため、様々な素材を試し、明治42年に孟宗竹の合板にセルロイドを貼り付けた計算尺を完成させ同45年に特許が登録認可された。その後、計算尺製作時の精度向上を目指して研究を重ね、大正12年(1923)には同一品質での多量生産に成功した。昭和3年(1928)4月に合資会社逸見製作所を設立し、同8年には株式会社へと変更した。また、昭和21年にはヘンミ計算尺株式会社となり海外へも輸出された。