貞心尼

じんぶつ名(ヨミ)ていしんに
生年月日(西暦)1798
生年月日(和暦)寛政10年
没年月日(西暦)1872
没年月日(和暦)明治5年

略歴・解説

長岡藩士奥村家の娘、幼名マス。17歳で小出の関長温に嫁いだが23歳のとき別れ、柏崎下宿の閻王寺で剃髪、眠龍・心龍の姉妹尼と生活をする。貞心尼30歳のとき思慕する70歳の良寛を島崎の木村家に訪ね、歌の弟子となる。良寛没後4年目の天保6年(1835)37歳の時、貞心尼の筆によって『蓮の露』が書かれる。内容は良寛の略伝、良寛歌集、良寛・貞心唱和の歌と続き、市の文化財(中村文庫)となっている。44歳柏崎洞雲寺僧泰禅から得度を受け釈迦堂の庵主になる。嘉永4年(1851)貞心尼53歳、釈迦堂が類焼したので、歌人の山田静里らが広小路(現西本町)で造った不求庵は貞心尼が22年間を過ごした終生の地となる。自詠の歌集『もしほ草』は後半の人生を知ることができる。

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