平井顕斎

作者名よみひらいけんさい
作者名欧文HIRAI Kensai
生没年1802 - 1856(享和2 - 安政3)

略歴・解説

19世紀半ばに活躍した南画家。
遠江川崎(現・静岡県榛原郡榛原町)の豪農の家に生まれる。幼名は元次郎、名は忱。字は欽夫。通称は治六。別号に三谷山樵。
画ははじめ掛川藩の御用絵師・村松以弘(1772~1839)に学ぶ。兄の没後、21歳で家督を継ぐが、文政10(1827)年、江戸に出て谷文晁の門下に入る。
その後武州、常陸、安房、上房、信濃、上野、下野を遊歴し、帰郷。
天保6(1835)年、再び江戸に出、福田半香に渡辺崋山を紹介してもらい、崋山門下で画を学ぶ。天保9(1838)年まで江戸と諸国遍歴、帰郷を繰り返すが、再び江戸で文晁、崋山らに学ぶ。蛮社の獄で崋山が自刃した後は、郷里を中心に活動した。
山水画を得意とし、崋山画をはじめ、文晁一派において規範とされた山水画の図様の模写を多く残す。

2019年『対立と融和―十九世紀の江戸画壇』リーフレット、p. 38

この作者の資料一覧[全9件]

件ずつ表示

PageTop