川村清雄

作者名よみかわむらきよお
作者名欧文KAWAMURA Kiyoo
生没年1852 - 1934(嘉永5 - 昭和9)

略歴・解説

江戸で御従頭川村帰元修正の長男として生まれる。幼名は清次郎、元服して清兵衛修寛と改め、時童と号した。祖父は新潟奉行等の遠国奉行を歴任する川村清兵衛修就。幼少の頃、住吉内記に入門、1861(文久3)年大阪奉行として赴任する祖父に伴われて大阪に赴き、南画家田能村直入に教えを受ける。その後江戸に戻り、春木南溟、川上冬崖、高橋由一らに師事する。明治維新に際して、徳川家達に従い静岡に移住。1871(明治4)年、徳川宗家の給費生として渡米。1873(明治6)年、画業を志して渡仏、ド・カリアスに師事、更に1876(明治9)年よりイタリアに渡り、ベネチア美術学校に学ぶ。1881(明治14)年帰国、大蔵省印刷局に勤めるも一年を満たさぬうちに退職。1889(明治22)年明治美術会創立に参加し、同展に出品。同会解散の後、1901(明治34)年、巴会を結成。1931(昭和6)年、明治神宮絵画館に《振天府》奉納。作品制作のため赴いた天理市で歿した。

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