住吉弘貫

作者名よみすみよしひろつら
作者名欧文SUMIYOSHI Hirotsura
生没年1793 - 1863(寛政5 - 文久3)

略歴・解説

19世紀前半から半ばに活躍した住吉派の画家。
初名は広定・弘定、のち弘貫と改める。通称内記。住吉広行の次男。
兄・広尚の没後、跡を継ぎ、七代目当主となる。幕府の御用絵師として活躍、天保13(1842)年、奥絵師下命を願い出、承認される。
嘉永元(1848)年、狩野永悳立信の次席となる。
安政2(1855)年、禁裏御所造営では紫宸殿の賢聖障子を修繕し、翌年、小十人格となる。
天保9(1838)年・15(1844)年の江戸城障壁画制作をはじめ、《太平記図屏風》(ライデン国立民族学博物館)など、オランダをはじめとする外国の国王への贈答屏風を制作。
江戸狩野派の画家と協力した大規模な事業において活躍した。

2019年『対立と融和―十九世紀の江戸画壇』リーフレット、p. 34

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