狩野如川周信

作者名よみかのうじょせんちかのぶ
作者名欧文KANO Chikanobu
生没年1660 - 1728(万治3 - 享保13)

略歴・解説

17世紀後半から18世紀前半に活動した江戸狩野派の画家。
木挽町狩野家第3代目当主。狩野常信の長男で、初名は右近。如川、泰寓斎と号した。
御医師平井省菴(法眼正興)の娘を娶る。嗣子は栄川古信。
延宝6年(1678)19歳で4代将軍家綱に御目見。
正徳3年(1713)父常信没により跡目をついだ。
享保4年(1719)法眼に叙せられ、69歳で没。
「養朴うせぬる後は、其子如川周信を召して、常にとひはからせ玉ひしが、如川も世を早うしければ云々」(『有徳院殿御実紀附録』)とあり、常信没後(1713~28)は、八代将軍徳川吉宗の絵画指南をしていたことが窺われる。
「近頃周信が書崩シテ、埒モナキ絵ニナリタルハ、最早我ヲ圧ス絵ハナキト云ヒ誇ル心ヨリ、大事ノ戒ヲ忘レテ、散々ノコトニナリタルト也」(『文会雑記』、自分の絵が至上だと慢心になって戒を忘れたために、絵が悪くなった)と悪評も伝えられるものの、館蔵の周信画のように常信の画風をよく引きつぐ優品ものこされており、再検討を要する絵師のひとりである。

1999年『狩野派の世界 ―静岡県立美術館蔵品図録―』、p. 54をもとに執筆。

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