狩野養川院惟信

作者名よみかのうようせんいんこれのぶ
作者名欧文KANO Yosenin Korenobu
生没年1753 - 1808(宝暦3 - 文化5)

略歴・解説

18世紀後半から19世紀初頭に活躍した、江戸狩野派の木挽町家の画家。
狩野典信の長男として江戸に生まれる。幼名は栄次郎。養川(ようせん)、養川院と称し、玄止斎と号す。
明和元(1764)年、12歳で奥御用を命じられ、江戸城本丸・西之丸に描く。
天明元(1781)年、29歳で法眼に叙任される。
寛政2(1790)年、典信が没し、跡を継いで七代目当主となる。
寛政6(1794)年、42歳という若さで法印に叙任される。
父が寵愛を受けた徳川家治に引き続き厚遇され、田沼意次(1719~88)にも重用されるなど、木挽町家繁栄の時代を担った。
典信の画風を継承しつつ、奥深い空間表現を開拓し、細緻な表現を得意とするなど、栄信・養信につながる様式の基礎を確立した。
また、同時代の江戸画壇で展開していた諸要素を取り入れ、栄信、養信による新様式確立の基盤を整えた。

2018年『幕末狩野派展』、p. 146

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