エミール=アントワーヌ・ブールデル

作者名欧文Émile-Antoine BOURDELLE
生没年1861 - 1929

略歴・解説

近代フランスの代表的彫刻家。南仏のモントーバンに家具木工職人の子として生まれる。父の仕事場で作業を手伝ったのち、トゥールーズの美術学校に入学。1884年パリに出て、エコール・デ・ボザールに入るが、この美術学校に希望を見出せず、2年後に中退する。1893年、ロダンの助手となるが、この年には以後10年の歳月を費やすことになる《1870年戦士の記念碑》の制作をモントーバン市より依頼されている。長らくロダンの指導下で研鑚をつむが、再現的な造形表現よりパトスの表出を優先させた師とは別の道を歩むようになり、1903年にはロダンのもとを去っている。その後《弓をひくヘラクレス》、《果実〉、《瀕死のヶンタウロス》など多くの作品を発表する。ロダン芸術が追求した様々な可能性の中から、ブールデルは厳格で構成的な面と、雄勁でモニュメンタルな面を受け継ぎ、発展させ、独自の境地を切り開いた。ル・ヴェジネで没。

1994年『ロダン館』、p. 179

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