イスラエル・シルヴェストル

作者名よみいすらえるしるヴぇすとる
作者名欧文Israel SILVESTRE
生没年1621 - 1691

略歴・解説

1621年、画家ジル・シルヴェストル(Gilles SILVESTRE. 1590~1631年)と、ロレーヌ公の画家クロード=イスラエル・アンリエ(Claude-Israël HENRIET. 1540頃~1603年頃)の娘エリザベスのもと、ナンシーで誕生。10歳のとき、ペストによる奇禍で父を亡くしたため、母方の叔父であるイスラエル・アンリエ(Israël HENRIET. 1590頃~1661年)が住むパリに赳く。イスラエル・アンリエは、父クロード・アンリエの元で学び、ローマに出てアントニオ・テンペスタ(Antonio TEMPESTA. 1555~1630年)の弟子となった後、帰国してパリに定住。ルイ13世に素描を教える栄誉を得るとともに、版画の出版元としても成功、1631年からはジャック・カロ(Jacques CALLOT. 1592~1635年)の主要な版元となる。
シルヴェストルは叔父の指導下で素描やエッチングを学び、10代後半から30代半ばまでに3度イタリアに滞在した。1659年頃パリに定住。イスラエル・アンリエ逝去の1661年、シルヴェストルは包括受遺者として、カロらのプレートやその出版独占権を含む叔父の遺産を相続した。1663年、王(ルイ14世)付き版画家に任命された後、社会的に成功した芸術家となる。1665年には、時の財務総監コルベールの命により、ロレーヌおよびシャンパーニュ地方を旅行し、トゥールやスダンの要塞の景観画を制作。1670年、王立絵画彫刻アカデミー会員となり、1673年には王太子ルイ・ド・フランスの素描教師に任命された。1691年、パリで没する。
私生活においては、1662年、アンリエット・セランカールと結婚、生存した5人の子どもたちのうち4人が後に画家・版画家となった。
シルヴェストルは多作の素描家・版画家である。イタリアのほか、フランス各地やスペインを訪れ、ほとんどが風景に関わるものであることから、景観画の先駆者と位置づけられよう。

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