検索トップ 検索結果一覧 キーワード 全ての語を含む いずれかの語を含む 分類 選択... その他の検索条件その他の検索条件 資料ID ~ 資料名 年月日 ~ 撮影地 多摩市 八王子市 稲城市 町田市 日野市 多摩センター 聖蹟桜ヶ丘 一ノ宮 関戸 諏訪 永山 落合 鶴牧 南野 唐木田 中沢 山王下 貝取 乞田 豊ヶ丘 愛宕 和田 落川 百草 東寺方 桜ヶ丘 連光寺 馬引沢 聖ヶ丘 南大沢 堀之内 若葉台 大分類 歴史(近世以前) 中分類 風景(多摩ニュータウン) 風景(多摩ニュータウン以外) 開発前 航空斜写真 垂直写真 民俗 植物 パブリックアート(彫刻) アート(壁画・絵画) その他 小分類 鳥類 画像有のみを表示 再検索 リセット 検索条件[PICK UP]で153件ヒットしました。 1件目~10件目を表示しています。 並べ替え 並べ替え 資料名 昇順 資料名 降順 資料ID 昇順 資料ID 降順 年月日 昇順 年月日 降順 撮影地 昇順 撮影地 降順 解説 昇順 解説 降順 表示件数 5 10 20 50 100 件ずつ表示 文字画像一覧 画像一覧 文字一覧 «最初 前へ 1/16 次へ 最後» 魚の広場~日本魚貝図譜~ 資料ID:17209 撮影地:多摩市,落合,パルテノン多摩パーゴラ下床面 解説:パルテノン多摩大階段頂上のパーゴラ下にある。日本各地から人々が集まった多摩ニュータウンにちなんで、日本の北の海・南の海・中部の海に生息する魚貝類を描いた、幅約3m・長さ約3mのモザイク画。歩行による摩耗を防ぐために、厚さ3cmのイタリア産天然大理石の色違いのピースを組み合わせている。(市民学芸員 黒岩克彦) ※モザイクの全面画像は,それぞれ10点の画像を接合し、つなぎ部分に多少の加工を施したもの。 参考:パルテノン多摩収蔵資料「魚の広場」,トムハウス『多摩センター・落合・鶴牧パブリックアートガイドブック』 輪華 資料ID:17216 撮影地:多摩市,関戸,桜ヶ丘配水所 解説:桜ヶ丘配水所(塔)の壁面に描かれている。国際舞台で活躍する木版画家の河内成幸のデザインで、太陽を表す大きな円に花弁が流れ飛ぶ様子が描かれている。公共施設にも文化性をという配慮から平成元年に描かれた。作者は昭和57年第6回ノルウェー国際版画ビエンナーレ展最優秀賞受賞。平成23年紫綬褒章受賞。多摩市在住。(市民学芸員 黒岩克彦)参考資料:「ぶらTAMAアート」 鮎猟鵜飼実施之景況麁絵図(玉川鮎猟鵜飼図) 資料ID:17225 解説:明治16年2月に、四ツ谷村(現・府中市)の鵜飼漁営業人である市川初五郎によって、神奈川県令沖守固に提出された鮎猟鵜飼の様子を描いた絵図。描かれている川は多摩川であり、対岸には連光寺村・関戸村・一ノ宮村(現・多摩市)、落川村(現・日野市)が、そして関戸村の背後には金毘羅宮が、落川村の背後には百草松連寺が描かれる。手前側には四ツ谷村と中川原村(現・府中市)が描かれる。川の中央には鵜を操る人物と、網を構える人物と、鮎をくわえた鵜が描かれ、使用している道具類の寸法などが細かく記されている。多摩川の鮎漁は徒歩による「徒歩(かち)鵜飼」と呼ばれるものだった。連光寺村とその周辺は、明治14年の明治天皇の兎狩りをきっかけに、明治15年5月に御遊猟場として指定され、明治16年7月より「連光寺村御猟場」の名称が定められた。御猟場では兎狩り、鮎猟天覧などもおこなわれ、本絵図も連光寺村御猟場の指定に関連するものと推測される。本図の構図や人物は江戸時代の引札と重なる点が多く、関連性も指摘されている。 化兵獣醫极(化兵獣医极) 資料ID:17226 撮影地:陸軍獣医資材本廠 解説:医极 (いきゅう)とは、陸軍の医療・衛生関連の機材や医薬品、消耗品などが詰められた運搬用の箱のこと。本資料は「化兵獣医极」とあるので、化学兵器による症状が出た動物を治療するための機材が詰められていたものと考えられる。寄贈時点で中身は空であったが、箱の蓋の内側に内容品目表が貼られており、入っていた機材が推定できる。箱の底には「秘 昭和17.10 獣醫資材本廠」のスタンプが押されているので、昭和17年10月に、東京の立川にあった「陸軍獣醫資材本廠」で製造されたものと考えられる。本資料は、戦後の米軍多摩ゴルフ場(多摩サービス補助施設)の従業員だった多摩市連光寺の個人宅から見つかったもので、近隣の米軍多摩ゴルフ場に勤務していた時期に譲り受けたものと考えられる。米軍多摩ゴルフ場の地は、戦時中には陸軍造兵廠火工廠板橋製造所多摩分工場(昭和14年に火工廠多摩火薬製造所、※通称・多摩火工廠)であったが、この箱が戦時中の多摩火工廠で用いられていたものなのか、戦後になってから米軍多摩ゴルフ場に流入したものかは定かではない。 昭和13年(1938)6月16日 出征の関戸駅(聖蹟桜ヶ丘駅) 資料ID:17221 年月日:1938/6/16 撮影地:多摩市,関戸,聖蹟桜ヶ丘 解説:出征軍人と見送りの人々の写真。昭和13年(1938)6月16日午前8時に関戸の村社・熊野神社を出発した出征軍人が、関戸駅(聖蹟桜ヶ丘駅)で見送られる様子。出征にあたっては、多摩村国防協会から出発日時が通知され、小学生も含めた多数の見送りと、当日の各戸国旗掲揚などが要請された。 「関戸駅」は現在の「聖蹟桜ヶ丘駅」のこと。関戸駅が聖蹟桜ヶ丘駅に改称されるのは昭和12年(1937)5月1日のことであり、写真撮影時にはすでに「聖蹟桜ヶ丘駅」の呼称があったと思われるが、アルバムには「関戸駅」と書かれている。 昭和13年(1938)6月16日 出征の朝 小学校全員に見送られて 田宮先生と挨拶 資料ID:17222 年月日:1938/6/16 撮影地:多摩市,関戸,聖蹟桜ヶ丘 解説:昭和13年(1938)6月16日、関戸の熊野神社から関戸駅(聖蹟桜ヶ丘駅)に向かう出征軍人と、見送る小学生たち。写真中央部に挨拶している人が写っており、これが「田宮先生」か。(ただし、田宮先生はアルバムの隣り合った写真に写っている人物である可能性もあり。) 昭和13年(1938)6月16日 出征の朝 関戸駅(聖蹟桜ヶ丘駅) 資料ID:17223 年月日:1938/6/16 撮影地:多摩市,関戸,聖蹟桜ヶ丘 解説:昭和13年(1938)6月16日の朝、関戸駅(聖蹟桜ヶ丘駅)にて撮影された写真。アルバムに記載された右側の文字は、上部にある写真(見送りの小学生:ID:17222)の説明と思われるが、「田宮先生」が本写真の人物を指す可能性もあるので、念のため文字ごと収録した。 昭和43年(1968)12月 松が谷・和田の様子 資料ID:134 年月日:1968/12/00 撮影地:多摩市,八王子市,松が谷,和田 解説:愛宕・和田・鹿島の開発中の風景。 大塚付近で撮影されたと思われる石仏。 昭和44年(1969)2月7日 ロブソン教授の多摩ニュータウン視察 その1 資料ID:79 年月日:1969/02/07 撮影地:日野市,程久保,明星大学 解説: ロンドン大学名誉教授のロブソン教授による多摩ニュータウンの視察時の風景。これらの写真は明星大学構内や大学付近の高台から南側の鹿島・松が谷方面を視察している時の様子。 ロブソンは昭和44年1月から3月まで東京と多摩ニュータウンの視察を行った。 明星大学校舎から北側の住宅街を撮影したもの。 昭和44年(1969)2月7日 ロブソン教授の多摩ニュータウン視察 その2 資料ID:84 年月日:1969/02/07 撮影地:多摩市,永山 解説:ロブソンによる永山6丁目戸建て住宅区域の造成地の視察風景他。 «最初 前へ 1/16 次へ 最後» 【更新情報】 ・NEW!「化兵獣醫极(化兵獣医极)」を追加しました。(2025.10.28) ・NEW!「鮎猟鵜飼実施之景況麁絵図(玉川鮎猟鵜飼図)」を追加しました。(2025.10.19) ・NEW!「戦争と多摩の人々」関連写真4件(昭和13年の出征関連、軍靴)を追加しました。(2025.8.3~4) ・NEW!尾根幹線の工事中の写真(2024年・2025年)4件を追加しました。(2025.8.2) ・NEW!パブリックアート作品「魚の広場」を含む「アート(壁画・絵画)」作品9点を追加しました。(2025.6.27~6.30) 【過去更新情報】 ・2012年撮影の航空斜め写真71点、2023年撮影の航空斜め写真90点を追加しました。「航空斜め写真」チェックボックス+資料名「2012」「2023」で検索できます。(2023.12.16、31) ・市民学芸員の調査成果・街角アート(パブリックアート・彫刻)情報79点を追加しました。「パブリックアート」チェックボックスをご利用ください。(2023.10.1) ・貝取第一自治会および新倉氏のご協力により、貝取地区の写真約90点を追加しました。(2023年7月) ・多摩・フクロウの会の野鳥写真約500点を追加しました。(2023年2月・7月) 【ご注意】多摩市域の地区名ごとの検索チェックボックスより、キーワード検索のほうが多くのヒットがありますので、当面はキーワード検索をお使いください。(2023.7.23記) ※スマートフォンでは画像の拡大表示ができません。スマホで「PC版サイトを見る」を選択すると、拡大表示も見られるようになります。 パルテノン多摩地域資源データベース[検索トップ画面にもどる] パルテノン多摩地域資源データベース[データベース入口画面にもどる] PageTop
検索条件[PICK UP]で153件ヒットしました。 1件目~10件目を表示しています。 並べ替え 並べ替え 資料名 昇順 資料名 降順 資料ID 昇順 資料ID 降順 年月日 昇順 年月日 降順 撮影地 昇順 撮影地 降順 解説 昇順 解説 降順 表示件数 5 10 20 50 100 件ずつ表示 文字画像一覧 画像一覧 文字一覧 «最初 前へ 1/16 次へ 最後»
魚の広場~日本魚貝図譜~ 資料ID:17209 撮影地:多摩市,落合,パルテノン多摩パーゴラ下床面 解説:パルテノン多摩大階段頂上のパーゴラ下にある。日本各地から人々が集まった多摩ニュータウンにちなんで、日本の北の海・南の海・中部の海に生息する魚貝類を描いた、幅約3m・長さ約3mのモザイク画。歩行による摩耗を防ぐために、厚さ3cmのイタリア産天然大理石の色違いのピースを組み合わせている。(市民学芸員 黒岩克彦) ※モザイクの全面画像は,それぞれ10点の画像を接合し、つなぎ部分に多少の加工を施したもの。 参考:パルテノン多摩収蔵資料「魚の広場」,トムハウス『多摩センター・落合・鶴牧パブリックアートガイドブック』 輪華 資料ID:17216 撮影地:多摩市,関戸,桜ヶ丘配水所 解説:桜ヶ丘配水所(塔)の壁面に描かれている。国際舞台で活躍する木版画家の河内成幸のデザインで、太陽を表す大きな円に花弁が流れ飛ぶ様子が描かれている。公共施設にも文化性をという配慮から平成元年に描かれた。作者は昭和57年第6回ノルウェー国際版画ビエンナーレ展最優秀賞受賞。平成23年紫綬褒章受賞。多摩市在住。(市民学芸員 黒岩克彦)参考資料:「ぶらTAMAアート」 鮎猟鵜飼実施之景況麁絵図(玉川鮎猟鵜飼図) 資料ID:17225 解説:明治16年2月に、四ツ谷村(現・府中市)の鵜飼漁営業人である市川初五郎によって、神奈川県令沖守固に提出された鮎猟鵜飼の様子を描いた絵図。描かれている川は多摩川であり、対岸には連光寺村・関戸村・一ノ宮村(現・多摩市)、落川村(現・日野市)が、そして関戸村の背後には金毘羅宮が、落川村の背後には百草松連寺が描かれる。手前側には四ツ谷村と中川原村(現・府中市)が描かれる。川の中央には鵜を操る人物と、網を構える人物と、鮎をくわえた鵜が描かれ、使用している道具類の寸法などが細かく記されている。多摩川の鮎漁は徒歩による「徒歩(かち)鵜飼」と呼ばれるものだった。連光寺村とその周辺は、明治14年の明治天皇の兎狩りをきっかけに、明治15年5月に御遊猟場として指定され、明治16年7月より「連光寺村御猟場」の名称が定められた。御猟場では兎狩り、鮎猟天覧などもおこなわれ、本絵図も連光寺村御猟場の指定に関連するものと推測される。本図の構図や人物は江戸時代の引札と重なる点が多く、関連性も指摘されている。 化兵獣醫极(化兵獣医极) 資料ID:17226 撮影地:陸軍獣医資材本廠 解説:医极 (いきゅう)とは、陸軍の医療・衛生関連の機材や医薬品、消耗品などが詰められた運搬用の箱のこと。本資料は「化兵獣医极」とあるので、化学兵器による症状が出た動物を治療するための機材が詰められていたものと考えられる。寄贈時点で中身は空であったが、箱の蓋の内側に内容品目表が貼られており、入っていた機材が推定できる。箱の底には「秘 昭和17.10 獣醫資材本廠」のスタンプが押されているので、昭和17年10月に、東京の立川にあった「陸軍獣醫資材本廠」で製造されたものと考えられる。本資料は、戦後の米軍多摩ゴルフ場(多摩サービス補助施設)の従業員だった多摩市連光寺の個人宅から見つかったもので、近隣の米軍多摩ゴルフ場に勤務していた時期に譲り受けたものと考えられる。米軍多摩ゴルフ場の地は、戦時中には陸軍造兵廠火工廠板橋製造所多摩分工場(昭和14年に火工廠多摩火薬製造所、※通称・多摩火工廠)であったが、この箱が戦時中の多摩火工廠で用いられていたものなのか、戦後になってから米軍多摩ゴルフ場に流入したものかは定かではない。 昭和13年(1938)6月16日 出征の関戸駅(聖蹟桜ヶ丘駅) 資料ID:17221 年月日:1938/6/16 撮影地:多摩市,関戸,聖蹟桜ヶ丘 解説:出征軍人と見送りの人々の写真。昭和13年(1938)6月16日午前8時に関戸の村社・熊野神社を出発した出征軍人が、関戸駅(聖蹟桜ヶ丘駅)で見送られる様子。出征にあたっては、多摩村国防協会から出発日時が通知され、小学生も含めた多数の見送りと、当日の各戸国旗掲揚などが要請された。 「関戸駅」は現在の「聖蹟桜ヶ丘駅」のこと。関戸駅が聖蹟桜ヶ丘駅に改称されるのは昭和12年(1937)5月1日のことであり、写真撮影時にはすでに「聖蹟桜ヶ丘駅」の呼称があったと思われるが、アルバムには「関戸駅」と書かれている。 昭和13年(1938)6月16日 出征の朝 小学校全員に見送られて 田宮先生と挨拶 資料ID:17222 年月日:1938/6/16 撮影地:多摩市,関戸,聖蹟桜ヶ丘 解説:昭和13年(1938)6月16日、関戸の熊野神社から関戸駅(聖蹟桜ヶ丘駅)に向かう出征軍人と、見送る小学生たち。写真中央部に挨拶している人が写っており、これが「田宮先生」か。(ただし、田宮先生はアルバムの隣り合った写真に写っている人物である可能性もあり。) 昭和13年(1938)6月16日 出征の朝 関戸駅(聖蹟桜ヶ丘駅) 資料ID:17223 年月日:1938/6/16 撮影地:多摩市,関戸,聖蹟桜ヶ丘 解説:昭和13年(1938)6月16日の朝、関戸駅(聖蹟桜ヶ丘駅)にて撮影された写真。アルバムに記載された右側の文字は、上部にある写真(見送りの小学生:ID:17222)の説明と思われるが、「田宮先生」が本写真の人物を指す可能性もあるので、念のため文字ごと収録した。 昭和43年(1968)12月 松が谷・和田の様子 資料ID:134 年月日:1968/12/00 撮影地:多摩市,八王子市,松が谷,和田 解説:愛宕・和田・鹿島の開発中の風景。 大塚付近で撮影されたと思われる石仏。 昭和44年(1969)2月7日 ロブソン教授の多摩ニュータウン視察 その1 資料ID:79 年月日:1969/02/07 撮影地:日野市,程久保,明星大学 解説: ロンドン大学名誉教授のロブソン教授による多摩ニュータウンの視察時の風景。これらの写真は明星大学構内や大学付近の高台から南側の鹿島・松が谷方面を視察している時の様子。 ロブソンは昭和44年1月から3月まで東京と多摩ニュータウンの視察を行った。 明星大学校舎から北側の住宅街を撮影したもの。 昭和44年(1969)2月7日 ロブソン教授の多摩ニュータウン視察 その2 資料ID:84 年月日:1969/02/07 撮影地:多摩市,永山 解説:ロブソンによる永山6丁目戸建て住宅区域の造成地の視察風景他。 «最初 前へ 1/16 次へ 最後»