鮎猟鵜飼実施之景況麁絵図(玉川鮎猟鵜飼図)

資料ID17225
製作年代明治16年(1883)2月
所蔵者公益財団法人多摩市文化振興財団所蔵
公開解説明治16年2月に、四ツ谷村(現・府中市)の鵜飼漁営業人である市川初五郎によって、神奈川県令沖守固に提出された鮎猟鵜飼の様子を描いた絵図。描かれている川は多摩川であり、対岸には連光寺村・関戸村・一ノ宮村(現・多摩市)、落川村(現・日野市)が、そして関戸村の背後には金毘羅宮が、落川村の背後には百草松連寺が描かれる。手前側には四ツ谷村と中川原村(現・府中市)が描かれる。川の中央には鵜を操る人物と、網を構える人物と、鮎をくわえた鵜が描かれ、使用している道具類の寸法などが細かく記されている。多摩川の鮎漁は徒歩による「徒歩(かち)鵜飼」と呼ばれるものだった。連光寺村とその周辺は、明治14年の明治天皇の兎狩りをきっかけに、明治15年5月に御遊猟場として指定され、明治16年7月より「連光寺村御猟場」の名称が定められた。御猟場では兎狩り、鮎猟天覧などもおこなわれ、本絵図も連光寺村御猟場の指定に関連するものと推測される。本図の構図や人物は江戸時代の引札と重なる点が多く、関連性も指摘されている。

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