検索トップ 検索結果一覧 キーワード 全ての語を含む いずれかの語を含む 分類 選択... その他の検索条件その他の検索条件 資料ID ~ 資料名 年月日 ~ 撮影地 多摩市 八王子市 稲城市 町田市 日野市 多摩センター 聖蹟桜ヶ丘 一ノ宮 関戸 諏訪 永山 落合 鶴牧 南野 唐木田 中沢 山王下 貝取 乞田 豊ヶ丘 愛宕 和田 落川 百草 東寺方 桜ヶ丘 連光寺 馬引沢 聖ヶ丘 南大沢 堀之内 若葉台 大分類 歴史(近世以前) 中分類 風景(多摩ニュータウン) 風景(多摩ニュータウン以外) 開発前 航空斜写真 垂直写真 民俗 植物 パブリックアート(彫刻) アート(壁画・絵画) その他 小分類 鳥類 画像有のみを表示 再検索 リセット 検索条件[なし]で11853件ヒットしました。 1件目~10件目を表示しています。 並べ替え 並べ替え 資料名 昇順 資料名 降順 資料ID 昇順 資料ID 降順 年月日 昇順 年月日 降順 撮影地 昇順 撮影地 降順 解説 昇順 解説 降順 表示件数 5 10 20 50 100 件ずつ表示 文字画像一覧 画像一覧 文字一覧 «最初 前へ 1/1186 次へ 最後» 小野神社 資料ID:15343 解説:小野神社は多摩市一ノ宮にある神社です。同名の神社が近隣にあり、論争があるものの、「小野社」の名称は、宝亀3年(772)太政官符・『延喜式神名帳』・『日本三代実録』にも見えており、古くから国の庇護を受けていたと考えられています。小野神社は11世紀から12世紀初頭にかけて全国的に成立した「一宮」のひとつで、武蔵国府に近いことから、「武蔵一宮」となりました。一宮とは武蔵国府が最初に拝礼する神社で、武蔵総社・六所宮(大國魂神社)には一宮から六宮までが祀られており、南北朝時代の『神道集』には「一ノ宮ハ小野大明神ト申」として記されています。小野神社は六所宮と密接なつながりを持ち、「くらやみ祭り」の際には、神輿が渡御したほか、小野神社の神職が神事にかかわるなど、重要な役割を持ちました。ちなみに、小野神社の木造随身倚像(東京都有形指定文化財)の古像は元応元年(1319)の作であることが胴・首の内部の銘より判明ています。仏師は因幡法橋応円で、他に千葉県中山法華経寺の木造釈迦如来・多宝如来坐像や、京都府尊勝院(青蓮院)の木造毘沙門天像などの作例があります。 小野神社随身倚像(修復前・全身像) 資料ID:15344 解説:小野神社の随身倚像。修復前の調査時に斎藤経生氏によって撮影されたもので、修復前の像のようすがよくわかる。2体の随身倚像のうち、本像の内部には銘が残され、元応元年(1319)の作であることがわかっている。銘は胴部二枚矧背面材内矧部に「元応元年丁未十月廿九日 因幡法橋応円」、胴部二枚矧背面材右側矧面に「奉行人 太田大良左衛門 再色 寛永五戊辰年三月廿五日 相州鎌倉仏師大弐宗慶法印」、割首前面内矧部に「元応元年十月廿九日 奉行人 権律師 丞源」とあり、元応元年に権律師丞源が奉行となり、因幡法橋応円を仏師として制作した後、寛永5年に太田大良左衛門が奉行となり、鎌倉仏師の大弐宗慶(三橋宗慶)を仏師として再色をおこなったことがわかる。 小野神社随身倚像(修復前・古像・正面拡大) 資料ID:15345 解説:小野神社の随身倚像のうち元応元年(1319)銘のある古像の正面アップの写真。 小野神社随身倚像(修復前・古像・顔正面) 資料ID:15346 解説:小野神社の随身倚像のうち、元応元年(1319)作の古像の顔部分をアップした写真。現在、顔部分は修復されている。 小野神社随身倚像(修復前・古像・斜め前から全身) 資料ID:15347 解説:小野神社の随身倚像。元応元年(1319)作の古像の斜め前からの全身写真。 小野神社随身倚像(修復前・背面) 資料ID:15348 解説:小野神社の随身倚像。元応元年(1319)作の古像の背面写真>であることがわかっている。銘は胴部二枚矧背面材内矧部に「元応元年丁未十月廿九日 因幡法橋応円」、胴部二枚矧背面材右側矧面に「奉行人 太田大良左衛門 再色 寛永五戊辰年三月廿五日 相州鎌倉仏師大弐宗慶法印」、割首前面内矧部に「元応元年十月廿九日 奉行人 権律師 丞源」とあり、元応元年に権律師丞源が奉行となり、因幡法橋応円を仏師として制作した後、寛永5年に太田大良左衛門が奉行となり、鎌倉仏師の大弐宗慶(三橋宗慶)を仏師として再色をおこなったことがわかる。 小野神社随身倚像(修復前・右側面) 資料ID:15350 解説:小野神社の随身倚像。修復前の調査時に斎藤経生氏によって撮影されたもので、修復前の像のようすがよくわかる。2体の随身倚像のうち、本像の内部には銘が残され、元応元年(1319)の作であることがわかっている。銘は胴部二枚矧背面材内矧部に「元応元年丁未十月廿九日 因幡法橋応円」、胴部二枚矧背面材右側矧面に「奉行人 太田大良左衛門 再色 寛永五戊辰年三月廿五日 相州鎌倉仏師大弐宗慶法印」、割首前面内矧部に「元応元年十月廿九日 奉行人 権律師 丞源」とあり、元応元年に権律師丞源が奉行となり、因幡法橋応円を仏師として制作した後、寛永5年に太田大良左衛門が奉行となり、鎌倉仏師の大弐宗慶(三橋宗慶)を仏師として再色をおこなったことがわかる。 小野神社随身倚像(修復前・左側面) 資料ID:15351 解説:小野神社の随身倚像。修復前の調査時に斎藤経生氏によって撮影されたもので、修復前の像のようすがよくわかる。2体の随身倚像のうち、本像の内部には銘が残され、元応元年(1319)の作であることがわかっている。銘は胴部二枚矧背面材内矧部に「元応元年丁未十月廿九日 因幡法橋応円」、胴部二枚矧背面材右側矧面に「奉行人 太田大良左衛門 再色 寛永五戊辰年三月廿五日 相州鎌倉仏師大弐宗慶法印」、割首前面内矧部に「元応元年十月廿九日 奉行人 権律師 丞源」とあり、元応元年に権律師丞源が奉行となり、因幡法橋応円を仏師として制作した後、寛永5年に太田大良左衛門が奉行となり、鎌倉仏師の大弐宗慶(三橋宗慶)を仏師として再色をおこなったことがわかる。 小野神社随身倚像(修復前・右斜前より) 資料ID:15353 解説:小野神社の随身倚像。修復前の調査時に斎藤経生氏によって撮影されたもので、修復前の像のようすがよくわかる。2体の随身倚像のうち、本像の内部には銘が残され、元応元年(1319)の作であることがわかっている。銘は胴部二枚矧背面材内矧部に「元応元年丁未十月廿九日 因幡法橋応円」、胴部二枚矧背面材右側矧面に「奉行人 太田大良左衛門 再色 寛永五戊辰年三月廿五日 相州鎌倉仏師大弐宗慶法印」、割首前面内矧部に「元応元年十月廿九日 奉行人 権律師 丞源」とあり、元応元年に権律師丞源が奉行となり、因幡法橋応円を仏師として制作した後、寛永5年に太田大良左衛門が奉行となり、鎌倉仏師の大弐宗慶(三橋宗慶)を仏師として再色をおこなったことがわかる。 小野神社随身倚像(修復前・左斜め前より拡大) 資料ID:15354 解説:小野神社の随身倚像。修復前の調査時に斎藤経生氏によって撮影されたもので、修復前の像のようすがよくわかる。2体の随身倚像のうち、本像の内部には銘が残され、元応元年(1319)の作であることがわかっている。銘は胴部二枚矧背面材内矧部に「元応元年丁未十月廿九日 因幡法橋応円」、胴部二枚矧背面材右側矧面に「奉行人 太田大良左衛門 再色 寛永五戊辰年三月廿五日 相州鎌倉仏師大弐宗慶法印」、割首前面内矧部に「元応元年十月廿九日 奉行人 権律師 丞源」とあり、元応元年に権律師丞源が奉行となり、因幡法橋応円を仏師として制作した後、寛永5年に太田大良左衛門が奉行となり、鎌倉仏師の大弐宗慶(三橋宗慶)を仏師として再色をおこなったことがわかる。 «最初 前へ 1/1186 次へ 最後» 【更新情報】 ・NEW! 平成6年頃の松が谷付近の風景写真約100点を追加しました。(2025.12.17) ・NEW!「化兵獣醫极(化兵獣医极)」を追加しました。(2025.10.28) ・NEW!「鮎猟鵜飼実施之景況麁絵図(玉川鮎猟鵜飼図)」を追加しました。(2025.10.19) ・NEW!「戦争と多摩の人々」関連写真4件(昭和13年の出征関連、軍靴)を追加しました。(2025.8.3~4) ・NEW!尾根幹線の工事中の写真(2024年・2025年)4件を追加しました。(2025.8.2) ・NEW!パブリックアート作品「魚の広場」を含む「アート(壁画・絵画)」作品9点を追加しました。(2025.6.27~6.30) 【過去更新情報】 ・2012年撮影の航空斜め写真71点、2023年撮影の航空斜め写真90点を追加しました。「航空斜め写真」チェックボックス+資料名「2012」「2023」で検索できます。(2023.12.16、31) ・市民学芸員の調査成果・街角アート(パブリックアート・彫刻)情報79点を追加しました。「パブリックアート」チェックボックスをご利用ください。(2023.10.1) ・貝取第一自治会および新倉氏のご協力により、貝取地区の写真約90点を追加しました。(2023年7月) ・多摩・フクロウの会の野鳥写真約500点を追加しました。(2023年2月・7月) 【ご注意】多摩市域の地区名ごとの検索チェックボックスより、キーワード検索のほうが多くのヒットがありますので、当面はキーワード検索をお使いください。(2023.7.23記) ※スマートフォンでは画像の拡大表示ができません。スマホで「PC版サイトを見る」を選択すると、拡大表示も見られるようになります。 パルテノン多摩地域資源データベース[検索トップ画面にもどる] パルテノン多摩地域資源データベース[データベース入口画面にもどる] PageTop
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小野神社 資料ID:15343 解説:小野神社は多摩市一ノ宮にある神社です。同名の神社が近隣にあり、論争があるものの、「小野社」の名称は、宝亀3年(772)太政官符・『延喜式神名帳』・『日本三代実録』にも見えており、古くから国の庇護を受けていたと考えられています。小野神社は11世紀から12世紀初頭にかけて全国的に成立した「一宮」のひとつで、武蔵国府に近いことから、「武蔵一宮」となりました。一宮とは武蔵国府が最初に拝礼する神社で、武蔵総社・六所宮(大國魂神社)には一宮から六宮までが祀られており、南北朝時代の『神道集』には「一ノ宮ハ小野大明神ト申」として記されています。小野神社は六所宮と密接なつながりを持ち、「くらやみ祭り」の際には、神輿が渡御したほか、小野神社の神職が神事にかかわるなど、重要な役割を持ちました。ちなみに、小野神社の木造随身倚像(東京都有形指定文化財)の古像は元応元年(1319)の作であることが胴・首の内部の銘より判明ています。仏師は因幡法橋応円で、他に千葉県中山法華経寺の木造釈迦如来・多宝如来坐像や、京都府尊勝院(青蓮院)の木造毘沙門天像などの作例があります。 小野神社随身倚像(修復前・全身像) 資料ID:15344 解説:小野神社の随身倚像。修復前の調査時に斎藤経生氏によって撮影されたもので、修復前の像のようすがよくわかる。2体の随身倚像のうち、本像の内部には銘が残され、元応元年(1319)の作であることがわかっている。銘は胴部二枚矧背面材内矧部に「元応元年丁未十月廿九日 因幡法橋応円」、胴部二枚矧背面材右側矧面に「奉行人 太田大良左衛門 再色 寛永五戊辰年三月廿五日 相州鎌倉仏師大弐宗慶法印」、割首前面内矧部に「元応元年十月廿九日 奉行人 権律師 丞源」とあり、元応元年に権律師丞源が奉行となり、因幡法橋応円を仏師として制作した後、寛永5年に太田大良左衛門が奉行となり、鎌倉仏師の大弐宗慶(三橋宗慶)を仏師として再色をおこなったことがわかる。 小野神社随身倚像(修復前・古像・正面拡大) 資料ID:15345 解説:小野神社の随身倚像のうち元応元年(1319)銘のある古像の正面アップの写真。 小野神社随身倚像(修復前・古像・顔正面) 資料ID:15346 解説:小野神社の随身倚像のうち、元応元年(1319)作の古像の顔部分をアップした写真。現在、顔部分は修復されている。 小野神社随身倚像(修復前・古像・斜め前から全身) 資料ID:15347 解説:小野神社の随身倚像。元応元年(1319)作の古像の斜め前からの全身写真。 小野神社随身倚像(修復前・背面) 資料ID:15348 解説:小野神社の随身倚像。元応元年(1319)作の古像の背面写真>であることがわかっている。銘は胴部二枚矧背面材内矧部に「元応元年丁未十月廿九日 因幡法橋応円」、胴部二枚矧背面材右側矧面に「奉行人 太田大良左衛門 再色 寛永五戊辰年三月廿五日 相州鎌倉仏師大弐宗慶法印」、割首前面内矧部に「元応元年十月廿九日 奉行人 権律師 丞源」とあり、元応元年に権律師丞源が奉行となり、因幡法橋応円を仏師として制作した後、寛永5年に太田大良左衛門が奉行となり、鎌倉仏師の大弐宗慶(三橋宗慶)を仏師として再色をおこなったことがわかる。 小野神社随身倚像(修復前・右側面) 資料ID:15350 解説:小野神社の随身倚像。修復前の調査時に斎藤経生氏によって撮影されたもので、修復前の像のようすがよくわかる。2体の随身倚像のうち、本像の内部には銘が残され、元応元年(1319)の作であることがわかっている。銘は胴部二枚矧背面材内矧部に「元応元年丁未十月廿九日 因幡法橋応円」、胴部二枚矧背面材右側矧面に「奉行人 太田大良左衛門 再色 寛永五戊辰年三月廿五日 相州鎌倉仏師大弐宗慶法印」、割首前面内矧部に「元応元年十月廿九日 奉行人 権律師 丞源」とあり、元応元年に権律師丞源が奉行となり、因幡法橋応円を仏師として制作した後、寛永5年に太田大良左衛門が奉行となり、鎌倉仏師の大弐宗慶(三橋宗慶)を仏師として再色をおこなったことがわかる。 小野神社随身倚像(修復前・左側面) 資料ID:15351 解説:小野神社の随身倚像。修復前の調査時に斎藤経生氏によって撮影されたもので、修復前の像のようすがよくわかる。2体の随身倚像のうち、本像の内部には銘が残され、元応元年(1319)の作であることがわかっている。銘は胴部二枚矧背面材内矧部に「元応元年丁未十月廿九日 因幡法橋応円」、胴部二枚矧背面材右側矧面に「奉行人 太田大良左衛門 再色 寛永五戊辰年三月廿五日 相州鎌倉仏師大弐宗慶法印」、割首前面内矧部に「元応元年十月廿九日 奉行人 権律師 丞源」とあり、元応元年に権律師丞源が奉行となり、因幡法橋応円を仏師として制作した後、寛永5年に太田大良左衛門が奉行となり、鎌倉仏師の大弐宗慶(三橋宗慶)を仏師として再色をおこなったことがわかる。 小野神社随身倚像(修復前・右斜前より) 資料ID:15353 解説:小野神社の随身倚像。修復前の調査時に斎藤経生氏によって撮影されたもので、修復前の像のようすがよくわかる。2体の随身倚像のうち、本像の内部には銘が残され、元応元年(1319)の作であることがわかっている。銘は胴部二枚矧背面材内矧部に「元応元年丁未十月廿九日 因幡法橋応円」、胴部二枚矧背面材右側矧面に「奉行人 太田大良左衛門 再色 寛永五戊辰年三月廿五日 相州鎌倉仏師大弐宗慶法印」、割首前面内矧部に「元応元年十月廿九日 奉行人 権律師 丞源」とあり、元応元年に権律師丞源が奉行となり、因幡法橋応円を仏師として制作した後、寛永5年に太田大良左衛門が奉行となり、鎌倉仏師の大弐宗慶(三橋宗慶)を仏師として再色をおこなったことがわかる。 小野神社随身倚像(修復前・左斜め前より拡大) 資料ID:15354 解説:小野神社の随身倚像。修復前の調査時に斎藤経生氏によって撮影されたもので、修復前の像のようすがよくわかる。2体の随身倚像のうち、本像の内部には銘が残され、元応元年(1319)の作であることがわかっている。銘は胴部二枚矧背面材内矧部に「元応元年丁未十月廿九日 因幡法橋応円」、胴部二枚矧背面材右側矧面に「奉行人 太田大良左衛門 再色 寛永五戊辰年三月廿五日 相州鎌倉仏師大弐宗慶法印」、割首前面内矧部に「元応元年十月廿九日 奉行人 権律師 丞源」とあり、元応元年に権律師丞源が奉行となり、因幡法橋応円を仏師として制作した後、寛永5年に太田大良左衛門が奉行となり、鎌倉仏師の大弐宗慶(三橋宗慶)を仏師として再色をおこなったことがわかる。 «最初 前へ 1/1186 次へ 最後»