柴田 義董

作家情報名(ヨミ)しばた ぎとう
作家情報名(英語)SHIBATA Gitō
生年月日(西暦)1780/**/**
生年月日(和暦)安永9年
没年月日(西暦)1819/**/**
没年月日(和暦)文政2年

略歴・解説

備前国邑久郡尻海村(現在の瀬戸内市邑久町尻海)に生まれる。廻船業を営み、豪商で知られた「奥屋」の次男。名は義董、字は威仲、号は琴渚・琴江など。寛政6(1794)年父重兵衛が52歳で没し、その後まもなく上洛。義董15歳頃のことと見られる。上洛後は四条派の呉春の門に入り、若くして頭角を現した。淡い色調と繊細な筆致が特徴的で、その精妙さは四条派内でも抜群のものであった。文化年間(1804-1818)には岡本豊彦・松村景文と並ぶ高弟となっており、洛中の人々も「花鳥は景文、山水は豊彦」と並べて「人物は義董」と表し、その筆致の精妙さをたたえたという。高度な技巧に将来を期待されたが、40歳の若さで没し、京都下寺町長講堂に墓がある。文化4(1807)年に兄重右衛門が死去した後、重右衛門の子供の一人を養子としている。この子は後、義峯を名乗り義董没後は岡本豊彦の弟子となっている。

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