風雪三顧図
| 作家情報 | 柴田 義董 SHIBATA Gitō |
|---|---|
| 作者・作品名 | 柴田義董 風雪三顧図 |
| 員数 | 1幅 |
| 材質・技法 | 紙本着色 |
| 形状 | 掛幅装 |
| 縦 | 97.2 |
| 横 | 35.8 |
| 受入方法 | 寄贈 |
| 受入年 | 令和元年度 |
| 資料ID | 4869 |
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| 作家情報 | 柴田 義董 SHIBATA Gitō |
|---|---|
| 作者・作品名 | 柴田義董 風雪三顧図 |
| 員数 | 1幅 |
| 材質・技法 | 紙本着色 |
| 形状 | 掛幅装 |
| 縦 | 97.2 |
| 横 | 35.8 |
| 受入方法 | 寄贈 |
| 受入年 | 令和元年度 |
| 資料ID | 4869 |
| 作家情報名(ヨミ) | しばた ぎとう |
|---|---|
| 作家情報名(英語) | SHIBATA Gitō |
| 生年月日(西暦) | 1780/**/** |
| 生年月日(和暦) | 安永9年 |
| 没年月日(西暦) | 1819/**/** |
| 没年月日(和暦) | 文政2年 |
| 略歴・解説 | 備前国邑久郡尻海村(現在の瀬戸内市邑久町尻海)に生まれる。廻船業を営み、豪商で知られた「奥屋」の次男。名は義董、字は威仲、号は琴渚・琴江など。寛政6(1794)年父重兵衛が52歳で没し、その後まもなく上洛。義董15歳頃のことと見られる。上洛後は四条派の呉春の門に入り、若くして頭角を現した。淡い色調と繊細な筆致が特徴的で、その精妙さは四条派内でも抜群のものであった。文化年間(1804-1818)には岡本豊彦・松村景文と並ぶ高弟となっており、洛中の人々も「花鳥は景文、山水は豊彦」と並べて「人物は義董」と表し、その筆致の精妙さをたたえたという。高度な技巧に将来を期待されたが、40歳の若さで没し、京都下寺町長講堂に墓がある。文化4(1807)年に兄重右衛門が死去した後、重右衛門の子供の一人を養子としている。この子は後、義峯を名乗り義董没後は岡本豊彦の弟子となっている。 |