検索トップ 検索結果一覧 キーワード 全ての語を含む いずれかの語を含む 分類 名所・旧跡・伝承 > 地名など選択... その他の検索条件その他の検索条件 資料名 資料名(よみ) 解説 画像有のみを表示 再検索 リセット 検索条件[分類:名所・旧跡・伝承 > 地名など]で20件ヒットしました。 1件目~10件目を表示しています。 並べ替え 並べ替え ★資料名 昇順 ★資料名 降順 資料名 昇順 資料名 降順 資料名(よみ) 昇順 資料名(よみ) 降順 大分類 昇順 大分類 降順 中分類 昇順 中分類 降順 小分類 昇順 小分類 降順 ★時代・時期 昇順 ★時代・時期 降順 解説 昇順 解説 降順 表示件数 5 10 20 50 100 件ずつ表示 文字画像一覧 画像一覧 文字一覧 «最初 前へ 1/2 次へ 最後» 西屋敷 資料名:西屋敷 資料名(よみ):にしやしき 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:字名 解説:平林寺からみて西側に、信綱の家臣の屋敷が建ち並んだことに由来します。居住していた家臣たちは、新田開発にも積極的に参加していました。 「三軒屋」の由来 資料名:「三軒屋」の由来 資料名(よみ):「さんげんや」のゆらい 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:字名 解説:北野の地域に3軒の家があったことに由来します。 高地蔵(下町) 資料名:高地蔵(下町) 資料名(よみ):たかじぞう(しもまち) 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:道 解説:(向善寺)観音堂前と下の寮(岾上の墓地)に、享保年間に造られた地蔵菩薩が一体ずつあります。観音堂前のものは元は柳瀬川の近くに、下の寮のものは旧川越街道沿いにあり、それぞれが大和田宿の境界を示していましたが、道路拡張等によって移設されました。 鎌倉道 資料名:鎌倉道 資料名(よみ):かまくらみち 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:道 解説:鎌倉時代は、幕府の地方支配の根幹に国衙が重要な役割を果たしており、関東各地の国衙と鎌倉を結ぶ街道が発展しました。武蔵国の国衙は現在の東京都府中市にあり、交通の中心地となったため、府中と武蔵国の各地を結ぶ街道も発展します。鎌倉街道は大きく上道・中道・下道に分けることができ、信濃や越後、陸奥へと続く主要な交通路でした。新座市内には、その上道と中道を結ぶ「羽根倉道」と称する連絡路が通っていたと考えられています。羽根倉道は、上道の久米川宿から分かれ、柳瀬川沿いを進み、普光明寺の横を抜け、志木市の羽根倉で渡り、大宮を経て、加須市で中道に合流していました。一方、江戸時代以前から存在する古い道の総称として「鎌倉道」と呼ばれることがあります。 川越街道 資料名:川越街道 資料名(よみ):かわごえかいどう 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:道 解説:江戸と川越を結んでおり、街道沿いには宿場町がありました。江戸を出て、板橋-上板橋-下練馬-白子(和光)-膝折(朝霞)-大和田-大井町(ふじみ野)-川越に至ります。川越街道は、徒歩や馬で通行するための道路であり、物資の輸送は新河岸川の舟運の役割でした。明治7年(1880)には、地元住民からの要望によって、川越街道の改修がなされており、当時も主要道であったとうかがえます。明治21年(1894)の「新座地域公益道運輸交通調」によると、駄馬・荷車・人力車といった輸送用車両の利用者が旅人よりも少なく、新河岸川の舟運が機能していたと推測できます。明治22年(1895)頃、東京-川越間に乗合馬車が開通し、万世橋を出発して野火止まで22銭、大和田まで24銭で、川越までは40銭でした。 横町の六地蔵 資料名:横町の六地蔵 資料名(よみ):よこまちのろくじぞう 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:字名 解説:宝永8年(1711)に講中46人で造立されたものです。地蔵菩薩は、釈迦が入滅して56億7千万年後に、弥勒菩薩が出世するまでの無仏の間、この世に現れて六道の衆生を救済する菩薩です。平安時代中期以後、極楽浄土の信仰が広まり、末法思想が盛んになるにつれて、広く信仰されるようになりました。地蔵菩薩は、極楽に行けるように力を貸してくれると信じられており、近世になると民間信仰と結び付いて、火除・盗難除・病気平癒など庶民のあらゆる願いを叶えてくれる仏として広く信仰を集めました。 西堀村 資料名:西堀村 資料名(よみ):にしぼりむら 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:地名 解説:江戸時代前期、松平伊豆守信綱による新田開発で生まれた4か村の一つです。平林寺の朱印地となり、平林寺には西堀村の様子が記録した検地帳や寺領絵図が伝わります。 野火止上 資料名:野火止上 資料名(よみ):のびとめかみ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:地名 解説:江戸時代の川越街道に沿って広がった野火止村(野火止宿)は、上・中・下(かみ・なか・しも)の3つに分かれ、東側(朝霞寄り)が下、西側(大和田寄り)が上でした。上宿の端には鎮守・神明神社があり、川越街道沿いを流れてきた2本の用水がここで合流して、北野方面に流れていきました。 高地蔵(上町) 資料名:高地蔵(上町) 資料名(よみ):たかじぞう(かみまち) 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:道 解説:(向善寺)観音堂前と下の寮(岾上の墓地)に、享保年間に造られた地蔵菩薩が一体ずつあります。観音堂前のものは元は柳瀬川の近くに、下の寮のものは旧川越街道沿いにあり、それぞれが大和田宿の境界を示していましたが、道路拡張等によって移設されました。 野火止下 資料名:野火止下 資料名(よみ):のびとめしも 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:地名 解説:江戸時代前期、野火止新田の開拓が始まる際、54,55軒の農家が入植したのが川越街道沿いであると考えられます。川越街道は江戸と川越をつなぐ交通の要衝であり、街道沿いにある野火止村も、いつしか野火止宿と呼ばれるようになりました。川越に近い方から「上・中・下」と3つに分かれますが、「下」が本村、すなわち最初に開拓された場所だと考えられます。下宿の鎮守は野火止氷川神社で、その前を野火止用水の陣屋堀が流れていました。 «最初 前へ 1/2 次へ 最後» 新座市文化財データベースは、埼玉県にあるれきしてらす(新座市立歴史民俗資料館 が運営・管理しています。 れきしてらすの開館日やアクセス方法、展示・イベント等の情報については、新座市公式ホームページをご覧ください。 「新座市文化財データベース」の利便性向上のため、アンケートへのご協力をお願いいたします。 資料に関するお問い合わせは、新座市公式ホームページのお問い合わせフォームからお願いします。特定の資料についてお問い合わせいただく場合は、その資料のIDや番号、または該当ページのURLなどを転記してください。 スマートフォン向けアプリ「にっぽん風景なび」・「ポケット学芸員」でも情報を公開しておりますので、併せてご利用ください。アプリの利用料は無料ですが、別途、通信費が必要となります。 「ウェブサイト版にっぽん風景なび」も併せてご利用ください。掲載内容はアプリ版と同じです。 PageTop
検索条件[分類:名所・旧跡・伝承 > 地名など]で20件ヒットしました。 1件目~10件目を表示しています。 並べ替え 並べ替え ★資料名 昇順 ★資料名 降順 資料名 昇順 資料名 降順 資料名(よみ) 昇順 資料名(よみ) 降順 大分類 昇順 大分類 降順 中分類 昇順 中分類 降順 小分類 昇順 小分類 降順 ★時代・時期 昇順 ★時代・時期 降順 解説 昇順 解説 降順 表示件数 5 10 20 50 100 件ずつ表示 文字画像一覧 画像一覧 文字一覧 «最初 前へ 1/2 次へ 最後»
西屋敷 資料名:西屋敷 資料名(よみ):にしやしき 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:字名 解説:平林寺からみて西側に、信綱の家臣の屋敷が建ち並んだことに由来します。居住していた家臣たちは、新田開発にも積極的に参加していました。 「三軒屋」の由来 資料名:「三軒屋」の由来 資料名(よみ):「さんげんや」のゆらい 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:字名 解説:北野の地域に3軒の家があったことに由来します。 高地蔵(下町) 資料名:高地蔵(下町) 資料名(よみ):たかじぞう(しもまち) 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:道 解説:(向善寺)観音堂前と下の寮(岾上の墓地)に、享保年間に造られた地蔵菩薩が一体ずつあります。観音堂前のものは元は柳瀬川の近くに、下の寮のものは旧川越街道沿いにあり、それぞれが大和田宿の境界を示していましたが、道路拡張等によって移設されました。 鎌倉道 資料名:鎌倉道 資料名(よみ):かまくらみち 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:道 解説:鎌倉時代は、幕府の地方支配の根幹に国衙が重要な役割を果たしており、関東各地の国衙と鎌倉を結ぶ街道が発展しました。武蔵国の国衙は現在の東京都府中市にあり、交通の中心地となったため、府中と武蔵国の各地を結ぶ街道も発展します。鎌倉街道は大きく上道・中道・下道に分けることができ、信濃や越後、陸奥へと続く主要な交通路でした。新座市内には、その上道と中道を結ぶ「羽根倉道」と称する連絡路が通っていたと考えられています。羽根倉道は、上道の久米川宿から分かれ、柳瀬川沿いを進み、普光明寺の横を抜け、志木市の羽根倉で渡り、大宮を経て、加須市で中道に合流していました。一方、江戸時代以前から存在する古い道の総称として「鎌倉道」と呼ばれることがあります。 川越街道 資料名:川越街道 資料名(よみ):かわごえかいどう 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:道 解説:江戸と川越を結んでおり、街道沿いには宿場町がありました。江戸を出て、板橋-上板橋-下練馬-白子(和光)-膝折(朝霞)-大和田-大井町(ふじみ野)-川越に至ります。川越街道は、徒歩や馬で通行するための道路であり、物資の輸送は新河岸川の舟運の役割でした。明治7年(1880)には、地元住民からの要望によって、川越街道の改修がなされており、当時も主要道であったとうかがえます。明治21年(1894)の「新座地域公益道運輸交通調」によると、駄馬・荷車・人力車といった輸送用車両の利用者が旅人よりも少なく、新河岸川の舟運が機能していたと推測できます。明治22年(1895)頃、東京-川越間に乗合馬車が開通し、万世橋を出発して野火止まで22銭、大和田まで24銭で、川越までは40銭でした。 横町の六地蔵 資料名:横町の六地蔵 資料名(よみ):よこまちのろくじぞう 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:字名 解説:宝永8年(1711)に講中46人で造立されたものです。地蔵菩薩は、釈迦が入滅して56億7千万年後に、弥勒菩薩が出世するまでの無仏の間、この世に現れて六道の衆生を救済する菩薩です。平安時代中期以後、極楽浄土の信仰が広まり、末法思想が盛んになるにつれて、広く信仰されるようになりました。地蔵菩薩は、極楽に行けるように力を貸してくれると信じられており、近世になると民間信仰と結び付いて、火除・盗難除・病気平癒など庶民のあらゆる願いを叶えてくれる仏として広く信仰を集めました。 西堀村 資料名:西堀村 資料名(よみ):にしぼりむら 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:地名 解説:江戸時代前期、松平伊豆守信綱による新田開発で生まれた4か村の一つです。平林寺の朱印地となり、平林寺には西堀村の様子が記録した検地帳や寺領絵図が伝わります。 野火止上 資料名:野火止上 資料名(よみ):のびとめかみ 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:地名 解説:江戸時代の川越街道に沿って広がった野火止村(野火止宿)は、上・中・下(かみ・なか・しも)の3つに分かれ、東側(朝霞寄り)が下、西側(大和田寄り)が上でした。上宿の端には鎮守・神明神社があり、川越街道沿いを流れてきた2本の用水がここで合流して、北野方面に流れていきました。 高地蔵(上町) 資料名:高地蔵(上町) 資料名(よみ):たかじぞう(かみまち) 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:道 解説:(向善寺)観音堂前と下の寮(岾上の墓地)に、享保年間に造られた地蔵菩薩が一体ずつあります。観音堂前のものは元は柳瀬川の近くに、下の寮のものは旧川越街道沿いにあり、それぞれが大和田宿の境界を示していましたが、道路拡張等によって移設されました。 野火止下 資料名:野火止下 資料名(よみ):のびとめしも 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:地名 解説:江戸時代前期、野火止新田の開拓が始まる際、54,55軒の農家が入植したのが川越街道沿いであると考えられます。川越街道は江戸と川越をつなぐ交通の要衝であり、街道沿いにある野火止村も、いつしか野火止宿と呼ばれるようになりました。川越に近い方から「上・中・下」と3つに分かれますが、「下」が本村、すなわち最初に開拓された場所だと考えられます。下宿の鎮守は野火止氷川神社で、その前を野火止用水の陣屋堀が流れていました。 «最初 前へ 1/2 次へ 最後»