佐藤里次則壮

人物名(ヨミ)サトウサトジノリタケ
生年(西暦)1879
生年(和暦)明治12年
没年(西暦)1952
没年(和暦)昭和27年

略歴・解説

梅郷村山崎(現・野田市山崎)に住んでいた立川流宮大工。同じ立川流宮大工の佐藤庄助則久は父親にあたる。棟梁として行った野田に関わる主な工事としては、おもく堂(後に吉川市清浄寺に移築)、西光院勝軍地蔵尊堂、茂木佐平治家稲荷神社、茂木七左衞門邸、報恩寺本堂、上花輪・香取神社、安心坊本堂、茂木房五郎邸が挙げられる。昭和13年の茂木房五郎邸以降は戦中の資材不足などにより、大規模な工事は行われなくなった。また、後継者が早世したことで、宮大工の家業は3代で途絶えることとなった。

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