佐藤庄助則久

人物名(ヨミ)サトウショウスケノリヒサ
生年(西暦)1835
生年(和暦)天保6年
没年(西暦)1922
没年(和暦)大正11年

略歴・解説

梅郷村山崎(現・野田市山崎)に住んでいた立川流宮大工。茂木七郎右衛門家琴平神社や海福寺本堂(焼失)、金乗院鐘楼堂など、息子の佐藤里次則壮とともに野田を中心とした数多くの御輿や寺社建築を手がけた。また、明治12年(1879)には、皇居赤坂御所の御用工事にも携わった。

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