オットセイ(タケリ)

ヨミオットセイ(タケリ)
収蔵番号145464
分類生活
解説アイヌ民族の和人への交易品。オットセイ1つが米8升入1俵に相当(「蝦夷風俗彙纂」後編3)。オットセイは近世アイヌ語でウネウ(牡オンネプ、牝ホヲマップ)(「蝦夷風俗彙纂」前編6)。
アイヌのオットセイ猟は冬に行われ、年に15〜16頭のオットセイが捕獲された。猟には松前藩の役人が立ち会い、厳重な監督のもと行わた。オットセイを捕獲すると、まず陰茎が切り取られ、陰茎は松前藩の役人に渡される。残った本体と皮は、アイヌ民族から和人への交易品となり、本体は食用の塩漬け肉となった。
「膃肭臍」とは、本来はオットセイの陰茎をさすことばである。しかし、江戸時代の史料では、海獣自体をさす「膃肭臍」と、陰茎をさす「タケリ」「海狗腎」は分けてあらわされる。アイヌの人びとが獲ったタケリは、松前藩主からの献上品となり、将軍徳川家康にも贈られた。腎薬(滋養強壮、精力増強薬)として利用されたものである。

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