森村宜稲

作家名(よみ)もりむらぎとう
作家名(英語)MORIMURA Gito
生地愛知県名古屋市梅園町
生年1871
没地愛知県名古屋市
没年1938

作家解説

廃藩置県により名古屋藩が名古屋県となった1871(明治4)年の12月26日、名古屋梅園町(現 中区大須一丁目の一部)で藩儒森村宜民の子に生まれる。はじめ木村雲溪に四条派を学び、のち日比野白圭、木村金秋に師事し大和絵を学ぶ。20歳になる1891(明治24)年に開催された京都私立日本青年絵画共進会で《志賀寺花見》が二等賞を受賞。日本美術協会にも《栄華物語田植》《萬歳楽》などを出品し、のち審査員となった。1912(大正元)年第6回文展に《尚歯会》で初入選と同時に褒状を受賞、以後文展・帝展に出品し、1932(昭和7)年帝展推薦となった。この間の1915(大正4)年にはサンフランシスコ博覧会で《奈良祭》が金牌を受賞した。大和絵を主としながら雪舟や狩野探幽にも私淑し、晩年には江戸時代後期復古大和絵派の祖、田中訥言やその門下の浮田一蕙を研究した。1911(明治44)年に設立された東海美術協会の役員を務め、また自ら開いた稲香画塾で後進の画家たちを指導した。1938(昭和13)年10月4日、急性肺炎のため名古屋市の自宅で死去。

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