水堂古墳 粘土槨 遺物出土状況

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水堂古墳出土品(附、封土中・封土上面出土土器)

資料名(ヨミ)ミズドウコフンシュツドヒン(ツケタリ、フウドチュウ・フウドジョウメンシュツドドキ)
大分類市内の指定文化財
中分類尼崎市指定文化財
小分類有形文化財
種別考古資料
指定日昭和60年(1985)3月30日
所蔵者尼崎市
別名
数量1括
時代/年代古墳時代前期
所在地尼崎市南城内10-2 尼崎市立歴史博物館
解説水堂古墳は、尼崎市水堂町1丁目(須佐男神社境内一帯)にあり、全長約60mの南面する前方後円墳と推定されています。昭和37年(1962)に発掘調査が行われ、後円部の表土下1.4mの場所から、粘土槨に包まれた主軸に並行する長さ約7m、幅1mの割竹形木棺が発見されました。
木棺の内側には朱が塗られていて、中央部には骨粉状になった人骨や歯が残っており、その頭部に接して三角縁神獣鏡1面が、さらにその北側からは鉄槍(てつそう)・ころく・ヤリガンナ・鉄斧(てっぷ)が発見され、遺骸の両側には短剣・直刀が、足元には短刀が副葬されていました。副葬品のうち、三角縁神獣鏡は鈕(ちゅう)を中心に東王父と西王母・傘松形が配され、その間には四獣が位置し、銘文帯がめぐる吾作三神四獣鏡の鏡式で、奈良県天理市黒塚古墳・京都府城陽市芝ケ原11号墳・神戸市西求女塚古墳出土の鏡と同型鏡であることが判明しました。古墳時代前期に大阪湾沿岸部に築かれた古墳として、大和政権との関わりや瀬戸内海の海上交通を考えるうえで重要な位置を占める古墳といえます。
なお、古墳の封土中などに包含されていた後期弥生土器片を含めて、市指定文化財として指定しています。

三角縁神獣鏡(吾作銘三神四獣鏡)
この三角縁神獣鏡の銘文は「吾作明竟甚大巧上有○有○○○○○為青竜日出明竟」と読まれてきましたが、残存状態のよい芝ケ原11号墳の同型鏡では「吾作明竟甚大好上右百鳥○○○今為清竟日出卯○」と読まれています。
指定目録等参考データ

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