田能史跡公園

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田能遺跡

資料名(ヨミ)タノウイセキ
大分類市内の指定文化財
中分類国指定文化財
小分類記念物
種別史跡
所有者尼崎市
別名
時代/年代弥生時代
所在地尼崎市田能6-5-1
数量
解説田能遺跡は尼崎市の北東端、猪名川左岸に接する標高約6mの沖積平野にあります。昭和40年(1965)9月、尼崎・西宮・伊丹三市共同の工業用水配水場の工事現場で大量の土器が発見されたことがきっかけとなり、その後1年間にわたり発掘調査が行われました。
調査の結果、遺跡は弥生時代全期間にわたる集落跡であり、東西110m、南北120mの範囲内に拡がり、住居跡・土坑・溝・柱穴のほか無数の小さな穴が発掘されました。さらに木棺墓・木蓋土坑墓・土坑墓・壷棺墓・甕棺墓などの墓17基が発見され、それまで不明であった弥生時代近畿地方の墓制を明らかにする手がかりを得ることができました。
17基の墓のうち、第16号墓からは632個以上の碧玉製管玉(へきぎょくせいくだたま)が胸部付近から、また第17号墓からは白銅製(はくどうせいくしろ)の腕輪が左腕に着けた状態で発見され、ていねいに作られた墓に埋葬されていたことなどと併せて、この2基の墓の被葬者が特別な扱いを受けていたことがわかります。
また、弥生時代中期前半の土器片と一緒に、不整形の穴の中から銅剣鋳型(どうけんいがた)が発見されました。この発見以前、瀬戸内・九州など西日本地域で使用された銅剣が、その地域で製作されていたとされてきました。田能遺跡での銅剣鋳型発見により、銅剣が近畿地方でも作られていたことが明らかになりました。
大量の土器や石器のほか、銅鏃(どうぞく)、ガラス玉、加工痕の残る碧玉原石、ヒスイの勾玉(まがたま)、木製品、植物製品、獣骨や貝殻といった自然遺物など、多くの遺物が発見されました。その結果、弥生時代の近畿地方を解明するうえで学術的価値の高い遺跡として、国史跡に指定されました。
遺構の上に約3mの土盛りを行って遺跡を保護し、植栽を施した後、倉庫や住居を復元し、その一画に出土資料を収蔵・展示する田能資料館を建設、昭和45年(1970)7月25日に開館しました。弥生時代をテーマとする各種体験学習会を催すなど、現在も多くの見学者が来訪しています。
指定日昭和44年(1969)6月30日
指定目録等参考データ

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