清風与平(三代)

制作/生産地・窯・作者名(よみ)せいふうよへい(さんだい)
制作/生産地・窯・作者名(英語)SEIFU Yohei 3rd
生年1851
没年1914

略歴・解説

現兵庫県姫路市に画家岡田良平の次男として生まれ、大坂で絵を学んだ後、慶応2年(1866)に二代清風與平の養子となり、陶業の道に進む。明治5年(1872)二代與平の妹と結婚、独立し、清山・晟山と号した。同6年ウィーン万国博に「白磁盛絵花瓶」を出品し、賞牌を受賞。同11年、二代清風が病没、清風家を継ぎ、三代となる。同年パリ万国博、同22年パリ万国博でも賞牌受賞。同21年の日本美術協会に「珊瑚磁青華群仙画水瓶」を出品し、銅牌を受賞、以後、受賞を繰り返す。同23年の第3回内国勧業博覧会の第1部工業部門で「白磁水指」、「赤地壺」を出品し、一等有功賞を、第2部美術部門で「魚絵鉢」を出品し、一等妙技賞を受賞。同26年、シカゴ・コロンブス世界博覧会に「太白牡丹彫入陶花瓶」「赤磁銀蓋付陶香炉」などを出品受賞。同年9月、陶磁分野で初の帝室技芸員に任命される。同33年パリ万国博では御下命制作の「磁器花瓶」を出品し銀牌を受賞。同38年、日本美術協会第37回美術展覧会出品の「旭彩山桜花瓶」は三等賞銅牌を受賞し更に宮内省買上となる。大正3年(1914)死去。
三代清風與平は清風家伝統の煎茶具制作を継承し、そして活動当初より中国陶磁研究を深め、青華磁、白磁、単色釉、釉下彩技法などによって制作を展開し、独自の作風を作り上げた。とくに白磁においては明治26年のシカゴコロンブス世界博に「太白磁(たいはくじ)」と名付けた、ややマットな印象を受ける白色が特徴の白磁《白磁蝶牡丹浮文大瓶》(東京国立博物館所蔵)、そして「瑍白磁」と名付けた象牙色を呈する白磁、最後に、瑍白磁以上にクリームがかった色調をもつ「旲白磁(だいはくじ)」と名付けた白磁を生み出している。それらの多くは、清風が得意とし浮起文(うきもん)と呼んだ浮き彫り装飾技法とあわせて用いられ、格調の高さと温雅さを謳われる清風の代名詞ともいえる技であり、独創の美を生み出した。さらに「旭彩」と名付けた釉下彩技法と浮き彫り装飾技法による《旭彩山桜花瓶》によってその独自の世界を完成させた。
この素材、技法への取り組み、展開に、明治期の陶磁制作者に稀有な作家性を見出すことが出来る。

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