清水六兵衛(五代)

制作/生産地・窯・作者名(よみ)きよみずろくべえ(ごだい)
制作/生産地・窯・作者名(英語)KIYOMIZU Rokube 5th
生年1875
没年1959

略歴・解説

明治8年(1875)、四代清水六兵衛の次男として京都に生まれる。本名・栗太郎。同20年(1887)、京都画壇の重鎮であった幸野楳嶺門下となり、翌年にっは京都府画学校に入学する。画学校卒業後は、陶芸を四代六兵衛に手ほどきを受ける。第4回内国勧業博覧会に初出品する。同29年(1896)、京都市立京都市陶磁器試験場の設立に際、研究に参画し、同36年(1903)には中澤岩太、浅井忠らと陶芸の研究団体である「遊陶園」創設に参加する。明治40年(1907)、日本画家であり工芸図案家であった神阪雪佳とともに「佳都美会」を結成する。大正2年(1913)には第1回農商務省図案及応用作品展覧会に≪音羽焼柏模様花瓶≫を出品し3等賞を受賞する。同4年(1915)、素地にニッケルを混ぜ桃色に発色させる釉薬を編み出し、中澤岩太により大正天皇の即位に因んで「大礼磁」と命名される。昭和2年(1927)、帝展に第4部(工芸)の設置にともない審査員となり、以後歴任する。同6年(1931)、京都市五条地域の陶芸家を集め「五条会」を結成する。同12年(1937)、京都の京都の工芸8団体が集まり「京都工芸院」を結成し院長に推薦される。また同年、帝国芸術院会員となる。同20年(1945)、六代六兵衛に家督を譲り、隠居して六和となる。

略歴・解説は『万国博覧会と近代陶芸の黎明』(2000、愛知県陶磁資料館・京都国立近代美術館)より

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