帯山与兵衛(九代)

制作/生産地・窯・作者名(よみ)たいざんよへえ(9だい)
制作/生産地・窯・作者名(英語)TAIZAN Yohei 9th
生年1856
没年1922

略歴・解説

京都五条坂の陶工三代清水六兵衞の次男龍三郎が明治11年(1878)八代帯山与兵衛の死去に伴い、粟田の帯山与兵衛家へ養子に迎えられ、九代を襲名した。八代の経営方針を継承し、粟田焼の海外輸出に積極的に取り組み、華やかな彩画の京薩摩や陶胎七宝などの制作を行った。器種は花瓶、香炉、茶器、文房具、飲食器など多種にわたる。海外では、同16年アムステルダム万国博、同21年バルセロナ万国博、同22年のパリ万国博でそれぞれ銀牌受賞。国内では同14年の第2回内国勧業博覧会で褒状受賞の他、京都博覧会で多数の受賞歴がある。明治20年代には、京都美術博覧会、京都市工業物産会などで審査員を務めたが、同27年に廃業した。その後、南山焼の再興、台湾での事業開拓などに従事したとされる。九代時代は数多くの里帰り品があり、京薩摩の人気を牽引した制作を行っていたことがうかがえる。

略歴・解説は『万国博覧会と近代陶芸の黎明』(2000、愛知県陶磁資料館・京都国立近代美術館)より

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