内海吉堂

作者名(ヨミ)うつみきちどう
出身地敦賀
流派円山・四条派 

略歴・解説

敦賀出身の南画家。嘉永3(1850)年に内海元紀の子として生まれる。通称は鹿六、名は復、字は休卿、号は吉堂。幼少期に敦賀を出て近江の医師・小菅兎峰に漢籍を学ぶ。絵は、父の相弟子である四条派の塩川文麟に師事した。明治10(1877)年から約6年間、東本願寺上海別院を頼りに中国へ遊学し、現地の文人たちと交流した。帰国後は京都を拠点に南画家として活動した。明治28(1895)年、幸野楳嶺らとともに東本願寺御影堂の障壁画制作に携わった。京都青年絵画研究会や日本南画協会など諸団体の運営に協力し、京都府画学校にも出仕した。明治35(1902)年から翌年にかけて再び中国へと渡っている。明治30(1897)年、日本絵画協会第3回(秋季)絵画共進会「桟道高秋図」一等褒状。大正元(1912)年第6回文展「船過孟浪梯図」褒状。大正2(1913)年第7回文展「江南霞図屏風」入選。大正12(1923)年没。

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