大和田家家訓軸装

解説 本紙上部には、おそらく敦賀で初めて商売を始めた桶屋庄(荘)兵衛の、宝暦9年(1759)の借金証文を貼り付け、その下にこれが作成された当時、現役を退き、楽隠居をしていた八代目にあたる大和田荘兵衛(正助・豊商)が家訓を墨書している。内容は「神君様の家訓に曰く」と、江戸時代に神君(徳川家康)の家訓と信じられ広く流布した文章を書き、神君の教えのように商売は怠ることなく地道に続け、分相応にして質素倹約を守り、上記のご先祖様の旧筆を見て、その恩を忘れることなく感謝し続けなさいとある。この宝暦9年(1759)の借金証文が確認されている大和田家古文書群中一番古いものであるため、この頃に大和田家は敦賀に来て商売を始めたと考えられる。これ以前の大和田一族は福井市大和田の豪族で朝倉氏の滅亡とともに逃れて敦賀に来たとも、越前市(武生)文室地区の五皇神社の宮司の家系であった。などという説が伝わっているが、敦賀で商売を始める以前の大和田家についてはよく分かっていない。

(家訓活字)
神君様の御家訓に曰、人の一生は重き荷をになふて遠き道を行かことく、かならす急く/へからず、望発((のぞみおこ))らは、困窮したることおもひいたすへし、己を責て人を責なよ、勝事はかり/知つて負る事をしらすは害其身に至ると宣へり、誠に御仁徳の有かたき御教示り/恐れ多くも、家篤下□の身にとりても家業の道守らに勤め怠の事なく正路に一生を/おくるへし、かならす仕来り乃外とて欲の近道すへからす、今度に見るその證札は/御先祖の舊((旧))筆にして、反古の中よりえり出し、其年限をかそへるに九十三歳に及へり/今子孫連綿として栄久するも、全く先祖の倍力乃かえと、冥加に恐れ悦ふへく/かたのことく麁表して、子孫に此こころを知らしめ、毎年舊例として、まのあたりに/先祖の自筆をかけ奉り異こゝにましますことくにおもひ、元日より御祝の坐まて/慎て敬拝すへし、猶家業の勤堅固にして下人の労をたすけ万事分限相応ニ/して志を施すへし、己か身を憐み衣喰住ともに質素(下上)倹約を守り但先祖の/恩沢を常に忘るゝ事なく報謝すへし
   嘉永五壬子年祝春第ニ日
        古稀七十翁先父豊商法号福壽院/為当家後代子孫録自筆者也

上部文書(活字)
   預り申金子之事
金拾五両   文ノ字金也
右之金子者私家相求候ニ付御無心申上候所/歩なしニ御取替被下、慥ニ預り申所実正也/則来辰ノ四月中ニ急度返済可仕候、則而/質物私取指ノ家屋鋪并蔵一ヶ所書入/置申候、為後日之預リ證文如件
  宝暦九卯巳年十二月十三日
            桶屋庄兵衛(印)
   右近治郎右衛門殿

裏面(活字)
千万乃莫金を貯る事も/一心の正しきにあると/いへり、子孫多く家を/まもり業をつかさとり/為ん、とくをつんて先祖の/おんをわする事なかれ
 嘉永五子春
受入年度平成20年
所蔵館敦賀市立博物館
大分類歴史
中分類古文書
小分類商業
資料No.0429

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