消息 (書状 三浦某宛)            

資料名(よみ)しょうそく みうらなにがしあて
時代江戸時代
世紀19
素材紙本墨書
解説 武田耕雲斎が三浦某に宛てた書状です。病気見舞と何かの申し越しに対し承諾を与え、後書きで「何事も天の時、奇々妙々」と幕末の時世について述べています。
 武田耕雲斎(1803—1865)は水戸藩9代藩主・斉昭の藩主擁立に尽力し、尊王攘夷運動を支持し、執政(老中)としてその藩政を支えました。斉昭が亡くなった後は水戸の尊攘運動の中心人物と目されていましたが、藤田小四郎らが筑波山で挙兵した際は、その行動を鎮める立場として、松平頼徳(宍戸藩藩主1831—1864)と共に水戸藩に入りました。しかし反天狗党勢力である「諸生党」が水戸城を占拠していたため、那珂湊に退避し、結果として幕府軍と諸生党軍と戦う事になり、藤田小四郎と共に天狗党首領として敦賀まで行軍し、この地で処刑されます。
 「奇々妙々」な時世の中心人物となり、天狗党行軍の首領となり敦賀で果てるとは、この書簡を書いていた時には、思ってもいなかったでしょう。
受入年度昭和56年 
所蔵館敦賀市立博物館
大分類歴史
中分類古文書
小分類天狗党
資料No.0004

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