| 説明 | 字豊見城集落の東北側にある丘陵上に形成されたグスクであり、現在は民間企業によって公園として管理されている。東側に饒波川、北側に漫湖を望む位置にグスクがあり、東側と北側は崖となり、西側は急斜面となっている。南側は穏やかな平地となっている。村史によれば、このグスクの城主は後に山南王となった汪応祖といわれ、最終的には中山によって、火攻めで落城したことが記載されている。さらにグスクの規模や特徴などを記している。これによると面積は11,079 坪(約36,624 ㎡)で、南北に長く、南には南風原門、北には西原門があり、城壁は小さい野面積みとなっていたということを記している。本グスクは、三の郭からなる連郭式のグスクと考えられている。前回の調査では比較的新しい時期と考えられる灰色瓦が採集されている。今回の調査では城趾公園敷地内での調査の許可が下りなかったため、調査を実施することができなかった。しかし、公園周辺を調査することは可能であったため、調査を実施したところ、沖縄産陶器・瓦を僅かながら採集することができた。前回の調査で掲載したグスクの縄張り推定図を第2図に示した。<BR> 『球陽』や『琉球国誌略』、『ペリー提督日本遠征記』でも紹介されている。【出典1 p.33】 |
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