高安 平田 春(学童疎開・卒業就職)_1_全文

ID1170231
種類記録
大項目証言記録
中項目戦争
小項目住民
細項目学童疎開・卒業就職
資料名(別名)高安_平田 春_「14歳の平田ハルさん。弟と二人、宮崎県に学童疎開します。疎開先で飢えや寒さをしのぎ、学校を卒業後は軍需工場で働きます。本土で迎えた終戦の日とは…」_1_全文
資料内容戦前の高安
高安は向こう(公民館の向い)に駐車場がありますが、池がここにあったんですよ
砂糖製造、車があって、馬がこういうふうにまわってサトウキビをはさんで汁をとって、砂糖を製造して
7号機ぐらいまでありました。高安は

竹やり訓練
毎朝、暁天動員ということで
中国の蒋介石、チャーチル、ルーズベルト、昔の公民館のそばに藁人形を作って
これを竹やりでこうして突きました

軍作業 壕掘り
今、豊見城団地があります。向こうに、こんな小さなザル、竹で作ったザル
ザルを持って行って、防空壕掘りはちょっと行きました
兵隊が防空壕を掘っている土を、出して、運んだりしたことはあります

学童疎開出発
学童疎開は(昭和)19年に私たちは行きました
(学童疎開)船は、海軍の方々が、この船は怖くないから
大きい潜水艦のお母さんだからって。甲板は全部魚雷だったんですよ、魚雷…

疎開地 岩戸村
(疎開地は)宮崎県西臼杵郡大字笹ノ戸。今は宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸です

学童疎開 花田旅館
内地に行くからといってウキウキして行って、寮は大きな旅館だったんですよ
おじいちゃん1人いらっしゃるところに、2階と1階を借りていました
翌日は帰れないものだから、みんな丸くなって泣いたことあります、沖縄へ帰りたいと
全員で89名です。先生の部屋はちょっと区切られて、もう雑魚寝です(大部屋で)
まだ子どもだからドンチャン騒ぎですよ、みんな
(旅館の)1階と2階。おじいちゃん、ガヤガヤうるさくて、寝られなかったはずですよ
偉かったと思います。おじいちゃん
70ぐらいになっていたんじゃないですか

学童疎開 朝ごはん
朝飯は、お汁とご飯と梅干ぐらいです。あんまりおかずも無かったですよ

学童疎開 岩戸国民学校
(学校は)岩戸国民学校です。宮崎県岩戸国民学校。
(授業は)普通の、こっちの、同じ、国語、算数とか地理とかいろいろありましたよ
掃除はありました。水は使わせるなと、今村先生がおっしゃって
(宮崎に)着いた時、この年はとっても寒かったもんですから、学校に掃除する池がありますが
その池も氷溶かして掃除したんですけど
今村先生が、沖縄から来た子どもたちには、雑巾がけをさせるなということで
別の仕事をさせなさい、と。これは覚えています
学校の運動場で朝礼がありますが
藁草履を履いて立っていたら、霜柱がいっぱいあるから
大雨降ったみたいに(足が)水に濡れまして、寒くて

学童疎開 厳しい冬
着いたその年に雪が降っていましたから
40センチぐらい雪が積もっていたんですよ
とても寒い時には、5、6名ぐらい凍傷にかかって、私たちは皮膚が強いもんだから
なにも罹らなかったです。セミがかえる(脱皮)時に、ヒビ割れしますが
あんなふうに腫れて、割れていましたよ
私たちは凍傷にかからなかったけど、5、6名ぐらい腫れて、毎日泣いていました
あれは脳裏に覚えています

学童疎開 はかり飯
寮の食事は、はかり飯なんです。竹のお椀、ご存知ですか。節の。これをずっと並べているんです。
そしたら、何分かたたないうちに無くなっているんです。あんまりひもじいもんだから、食べて、
おばさんたちが、後の準備するまで、このご飯無くなって
ご飯、はかり飯ですから、弁当箱に入れて、お昼の弁当を持たせます
男の子はすぐ食べて、あまりにも、お腹が空いているものだから
空の弁当箱を持って行って、お弁当、開けることもなく

学童疎開 食料調達
トウモロコシも掛けてあります、干し柿も。芋・カライモも、つけてあります。
これもすぐ竿を持って行って、つついて、食べて毒にならないのは、全部口にしました
柿がなってると、柿もこうして、揺すって、落ちているのを食べて
昔は、土手に、よく柿とか栗とか、あったんですよ
こういうふうに大きな柿が、
これを、行った時期、春、一緒に行った男の子が取ってしまって、先生たちはお詫びしに
こんな例がたくさんあったんですよ
ひもじい、いつでも。だから大きい人は、上級生は、男の人は(食べ物を取りに)行きます
小さい下級生は取りにいけないものだから
お昼ご飯はあんたにあげるから、私にこれちょうだいって、物々交換みたいにしていました
「借りたのをなぜ払わないか」とやられて泣く子がいました

学童疎開 窃盗 後日談
あまりに飢えているもんだから、精米所に入って米を盗んで捕まってしまって
上級生は捕まらないで、あとの人は捕まったんですよ
(戦後)何年かして後に、宮崎から、(農家の方が)来ていましたが
あの時は、米、何キロ出すと決まっていたので、米が無くなったから
自分たちは警察に出したんですよ
飢えていることを、わかってはいながら、自分たちが横流ししたと思われたら困るので
こういうふうに、警察に出したことを、ごめんなさいと、詫びていました。向こうの方が

農家の手伝い
口減らしに、何名か農家に雇ってもらって、お世話になったんですよ、各家庭に
男の子は
5、6年生から、人の家に、口減らしで
畑仕事を手伝ったりなんかしていました
私もミシン屋さんにちょっとお世話になったんですよ
向こうから帰ってきて、寮からまたお宅に、お風呂入りに行ったら
帰りは、ステッキ(凍って)になりました、杖になったタオル。そんなに寒かったですよ
各家庭に居候している人たちは、お風呂も入って腹いっぱいご飯も食べてやっていますけど
私たち高等科2年といっても、沖縄では田植えは、やったことないんです
田植えはやったこともないですが、農会に勤めていらした方が
何もできない子どもたちに、田植えさせて、帰りは、御馳走いっぱいくれて
トウモロコシとか柿、持っていって食べなさいと、とてもよくしてもらったんです
農家の方々が、ダゴ汁食わしてあげるからって、向こうの言葉で、ダゴ汁
いっぱい食べたこともあります

学校卒業 軍需工場就職
学校を卒業したらすぐ、軍需工場に行っているから
(延岡市内)旭化成のベンベルグ、私たちは塩素係に配置されました
私は給仕で、あっちこっちお弁当をとりにいって、係長にお弁当を届けにいったり
事務所にいったりしたんですよ
軍需工場の寮でも、とってもよくしてくれましたから、お姉さんたちが
洋服も縫ってもらったし、とてもかわいがってくれました
避難訓練があって、愛宕山で、荷物を持って、夜 避難したこともあります
工場にいる時
空襲は、延岡で、旭化成の寮にいた時に
焼夷弾を落とされて、布団が、寝具が黒焦げになっているのを覚えています
防空壕には行かないで 、寮は大きかったので、どこかに移動したと思います

敗戦 玉音放送
8月15日に、会社の玄関で
天皇陛下の玉音放送がありまして、みんな地べたにこうして伏せて泣いたことがあります
みんなですよ、工場の全体
勝つと思ったのに負けたのかといって残念で
いつまでも勝つと思うんですよ、あくまでも
だけど
ショックでした

帰沖
自分の親戚に引き取られた人たちもいましたが、それ以外は全員一緒に帰りました
家族も全部やられたと思いました。また、この教育だったですから
一人も残らず玉砕したと思ったら、皆さん生きていらしたから
帰ってくる時、私たちより2級上のお兄さんが、
港はどこかわからないですけど、船から降りたらこのお兄さんが立っていたんです
ああ、助かったということで、安心したんですよ
トラックで、私たちは移送されて、降りたら、DDTを全部撒かれて
(沖縄市)インヌミ収容所に行ったと思います。そしてすぐ 豊見城に戻ってきたんです
ここ(高安)の三叉路、そこに信号機があります
向こうで、父も母も待っていました
「元気だったね」って  会えました。

亡くなった兄・姉
戦争の時は、2人。姉が25歳、兄が22歳で、、亡くなりました。
兄は首里の球部隊とか言っていましたけど、はっきりわからないです
姉は、喜屋武のほう、向こうで亡くなったみたいです

亡くなった親戚
母のきょうだいで、おばさんがいたんですけど。豊見城という集落に
私が学校から帰ってくる時に、なにか集落に用事がある時、家に待っていて
私が帰ってきたらすぐ連れて行くようなおばさんだったんですよ、かわいがられて
このおばさんが、向こうは寒いから、内地は寒いから、
自分で新調してくれた丹前、縫ってくれて、持って行って着なさいと
これもおばさんの思い出です
母と一緒に、家族と一緒に壕に入っていたらしいですけど、やられてしまって

子供の頃 将来の夢
将来なりたかったことは
勉強して、なりたかったですけど、できなかったです。先生になりたかったけどできなかった。
(戦争がなければ実現できたかも)そうですかね。やってましたかね。実現したかな

収録日:2017年(平成29年)12月4日
キーワード学童疎開(宮崎県岩戸村)・軍需工場就職、学童疎開
総体1語り継ぐ受け継ぐ豊見城の戦争記憶_映像資料
総体2
総体3
出典1語り継ぐ受け継ぐ豊見城の戦争記憶(映像DVD) disc3、YouTube @TGDA_okinawa
出典1リンクhttps://youtu.be/OS4DlvX34Y4?feature=shared
出典2
出典2リンク
出典3
出典3リンク
国名日本
都道府県名沖縄県
市町村豊見城市
高安
市町村2
字2
時代・時期近代_昭和_戦前
近代_昭和_戦中
昭和_戦後_復帰前
年月日(始)
年月日(終)
年代(西暦)1940年代
年月日(和暦)(終)
年月日(和暦)(始)
年代(和暦)昭和10年代~昭和20年代
始期(年・西暦)
始期(年・和暦)
始期(月)
始期(日)
終期(年・西暦)
終期(年・和暦)
終期(月)
終期(日)
収納分類16行政委員会
収納分類36010604文化行政
収納分類26_01教育委員会_06文化課
収納分類4語り継ぐ受け継ぐ豊見城の戦争記憶

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