平良 嘉数 陽之男(南部避難)_1_全文

ID1170211
種類記録
大項目証言記録
中項目戦争
小項目住民
細項目南部避難
資料名(別名)平良_嘉数 陽之男_「6歳の嘉数陽之男さん。凄惨な戦場を幼い感性で記憶しています。南部避難。収容所。二度、死の間際まで追い込まれます。その時みた母の覚悟、決断とは…」_1_全文
資料内容戦前のくらし
(作物は)サトウキビと主にイモです。あとはキャベツとか野菜。それから大豆。
大豆というのは豆腐作ったり、それから味噌作ったりしていました。
ほとんどが自給自足ですよ、戦前は。だからイモは常食ですよ。
毎日、大きい鍋に、シンメーナービと言ってです、それに炊いて。三度三度出てくるわけです。
ご飯はたまにしか食べられない
イモの場合に、ブタを飼っていたので、ブタのえさ
あとは牛とか馬も。馬は、今の自家用車は無いから、馬車ですよ
だから馬の草刈りした記憶あります。

幼稚園の歌
やはり兵隊さんを讃えるような歌です。そんなのものが多かったです
みんな旗持って、日本の旭日旗というんですか、こうお日様がでたような旗があるでしょう
「兵隊さん 兵隊さん 旗たてて キミはどこへ行きますか」というんですよ
そのあとは分かりませんけど、そんな感じの歌です。
毎日ありました。だから覚えているのです

字の日本兵
(日本軍は)全部ほとんどいました。瓦葺の家を中心にですけど。
小さい家の場合にはいませんでした。茅葺の小屋みたいなところには。
昔の瓦葺というと、上座があって中座があって下座があって、だいたい決まっていたんですよ
そうすると上座のほうにというかっこうで兵隊がいました

字の防空壕
平良の場合、山間の集落ですから、防空壕作れるんですよ。だからいっぱいありました
私の家の周りにも、4カ所 軍隊の防空壕が
軍の都合で全部やってました。勝手に来た所にどこでも防空壕掘ってました

スパイ容疑
私の家の隣りに海軍の防空壕できてしまってまた離れた所に、家の山があったんです。所有の山が。
そこにまた海軍が防空壕作るというので掘り出したんです。
私のおじいちゃんはそれを覗きに行ったらしいです。どういうふうなのか、と。自分の山だから。
それをスパイと疑われて、大騒ぎしたことあります。
私のおじいちゃんも標準語も分からんし、方言しか分かりませんから。昔の人だから

10.10空襲(十・十空襲)
(10.10空襲(十・十空襲))朝は晴れていたと思います。かなり爽やかな10月。
それでなにか朝起きてみたら、凄まじい音がするんです、向こうから。
高嶺というところに山がありますから、向こうから南のほうに
ゴーって轟音です。低音。ものすごい音。
なんだろうと思ってみんなこう見ていました。(家にいた兵隊の)高橋さんも一緒に
この方も一緒に出て庭に出て、なんだ、なんだろうって
最初は、高橋さんはのんびり、あれ友軍だと言ったわけです。
そしたらもう間もなく那覇のほうで、ボンボン爆撃するでしょう。轟音ですよ、凄い音。
かなり夜まで空襲がなくなっても音がしました。ドカン、ドカンと爆発の音が
だから10.10空襲(十・十空襲)というのは、最初の記憶のかなり鮮明に覚えてます

山原疎開
島田知事が疎開政策で、県外ではなくて山原の方にという話があったんです。
一家移民。ところがみんなそれにのらなかったです。
それでなにか強制的に一家に一人は必ず疎開しないといけないことになったらしいです。
誰も応募しないものだから。
私の家はおじいちゃんが一人で行ったんです
大宜味村に。
おじいちゃんは行って、向こうもう本当に平和で何もないから
向こうのほうがいいというので、家族を迎えにきたんですよ
一人歩いて夜、夜間、3日三晩かけて。
ところが大宜味村に行こうとしたら、真玉橋の橋は落ちているし、
だから向こうに行くあてがないんですよ。馬車を用意していったけど
それでまた戻ってきたということがありました。

防空壕生活
それから防空壕生活が始まりました。
防空壕にみんな入りこんじゃって、そうすると、昼ほとんど出られないですよ。と言うのは
昼の間は、トンボと呼んだんですけど、赤いトンボ。偵察機。飛び回っている。ずっと
人を見かけると、軍艦のほうに、合図するらしいんです。するとすぐ艦砲がくるんです
ボンボン。そういうことがあって、昼はほとんどやられない。
夜になって初めてみんな食料調達に出ると
食料調達と言っても、畑にイモ掘りに行くとか、サトウキビ取ってくるとかいう感じですよ

南部避難
(南部避難は)梅雨時でしたから、雨がちょっと降っている時ですから
おそらくもう4月か5月ぐらいじゃないかな。5月初めぐらいじゃないのかな
南部に逃げ出したんです、家族全員で。
味噌と食べ物を担いで、僕たちは着の身着のままでそのまま。裸足で
(避難したのは)兵隊が逃げてきたんです、南のほうに。
なにか家中が浮き足立った感じになってしまって
防空壕から出て、島尻に逃げ出したんですよ。もう米軍がくるという状況になって
アメリカ軍が来ると。鬼畜米英なにをされるか分からんと。なぶり殺しにあうと。
南部に行っても助かるわけじゃないんだけど、とにかく逃げたという感じです
兵隊さんと一緒に逃げたという感じです

避難路の屍
家族みんな一緒に逃げたんですけど、やはり梅雨時だったんです
雨もショボショボ降っていたし、それから道端、死体が転がってましたよ。いっぱい。
水ぶくれしていたのが印象に残ってます。しかし、なんとも思いませんでした
当時はもう「死」というものについては、無感動(無感覚)になってました
人間ってそういうものですよ。怖いとかなんともないです

味噌汁の記憶
ずっと戦争で爆撃逃れて、艦砲射撃に追われているから
(避難中)なにかを食べた記憶ないです。
ただ、避難している時に地元の人が、味噌汁をご馳走してくれたことがあった
喜屋武の爆撃が終わってから逃げ出して、
もうあっちこっち、さまよい歩いている
岩陰にいる時に、こういう事がありました
野菜の入っている普通の味噌汁ですよ。ところが、なんともいえない美味しさ
向こうも避難していて、岩陰で味噌汁を作っているわけですよ、薪で
その時に我々が通りかかって、味噌汁をくれたものだから、
もう恩義感じて、戦後お礼に行ったという、お袋が。
だから凄惨な悲惨な状態なんだけど、やはり人間の恩義というのありますよ。
だから私は食べたって記憶はその味噌汁くらいしかないです。

艦砲射撃
結局どうしようもないわけよ、もう海だから。戻ってきたんですよ。
戻ったと言ってもあの辺。福地・波平って喜屋武とそんなに遠くないですから。
向こうに行ったら、結局、御嶽があって、福地・波平の御嶽です
御嶽だから木がいっぱいありますでしょう。だからそこに逃げ込んだんです、みんな。
シュウヘイ君とトミオ君がいました。その御嶽に。我々が合流したという感じです
ところが、夕方ですよ、艦砲射撃、集中的にそこだけやられた。見つかったんでしょ
おそらく。ずっと偵察機飛んでいるもんですから
集中的にやられたわけ。艦砲射撃を。凄まじいです。木は全部飛び散るし、裂けるし
阿鼻叫喚というのか。人間の肉は飛び散ってくるしさ。
よくあれで生き延びたなというぐらい。近くに爆発しました。
そこにさっき言った友達や本家の人たちもいたけれど
(艦砲攻撃が)終わった後もまだ生きていたトミオ君もシュウヘイ君。
そこで生き残ったんですけど。

自決
(友達の)おじいちゃんが希望なくしちゃって、どうせ死ぬんだから
いっそのこと死んだほうがいいだろうと、ドカンとやったんですよ。
亡くなってました
手榴弾をたまたま持っていたから、みんなこう肩組んで、やったらしいです。
そのおじいちゃんは手榴弾を2個持っていたんです。
「君たちもどうかね」方言で「イッターチャーガ」と言ったのよ。
母が「いや、ここでは死なない」と。生まれ故郷で死んだほうがいいということで
拒否したんです。それで生き延びたんです

帰り道
そこから平良に向かって歩いてきたわけです。
帰り道。夜ですから分からない。道にはいっぱい人が死んでいる
人は死ぬと腐敗でガスが溜まって膨れていくんです。顔もこうなっちゃって。
銀バエがいっぱい。うじ虫がいっぱい。子どもの足で乗り越えられないものだから
死体に足突っ込んだら熱いです。腐敗する時に、腐敗熱があってびっくりするほど熱いです
それでうじ虫がどんどんあがってくるし
途中、腐敗臭はするし、凄まじい中を帰ってきたんです。全部死体だらけですよ、あの辺は

一人の女
今の(糸満)兼城小学校に来たんですよ。1人の女の人に会った
豊見城のほうから(私達とは)逆に島尻の方向に向かって
その女の人は、上半身裸で、下半身を布で巻いたように、なにかこう押えて
そしたら、我々向かって、「アメリカ兵がうようよいるよ」って言うわけ。
我々は一瞬もうそこで凍りついたんですよ、その人見て。どうしようかって
すぐそこにアメリカ兵がいるというわけだから

祖父の死
あの頃、日本軍は斬り込みということで数名でアメリカ軍を攻撃していたの。
それをアメリカ軍は待っていて、パラパラっと撃ったんだよ。おじいちゃん向かって。
激しいくらい。銃撃したんです。機関銃で。
おじいちゃんパタッと倒れて、そこで。
みんな大騒ぎしたわけですよ。それでみんな民間人だと思ったんでしょう。
声聞いて、女の声だから。銃撃やめちゃったんですけど。

捕虜
翌日。とにかく平良に帰ろう、平良に帰ろうということで動き出したら
見つかってね、米兵に、アメリカ兵に
僕はアメリカ兵につっかかっていったのよ、両手こぶしあげて。そしたら向こう笑って
ひょいと抱き上げたの、俺を。俺は叫びながら相手の顔をかきむしったんだろうな
抱き上げたもんだから。そしたら向こうは閉口して地面に置いたんだよ。
僕はお袋を後ろにして、子どもながらにかまえている感じです、向こうがくるのを。
そしたらいきなりお袋から、帯で後ろから首絞められちゃったのよ、こんなぐっと。僕は。
そしたら、かなり苦しいですよ、首絞められているの。
もう少しで窒息死するところだったけど。
そうしたらアメリカ兵が来てくれて。慌てて助けてくれたんだよ。
そうして大声で指差すわけですよ、なんとか叫んで。
そしたらそこに捕虜になっている人間がいっぱいいるんですよ
お袋それでやっと落ち着いて、3人、アメリカ兵は何もしませんでした。
それで向こうまで連れて行ってもらったというのが捕虜のいきさつです

妹の死
それから車に乗って、北中城の仲順という所。そこに収容されました
しかしここが酷かったです。
収容所と言いながら、全く配給とかなかったような感じなんです。
だから、子ども達が次々死んでいきました。そこでは
妹も、戦争で怪我もしているし、戦争中逃げ回っている時にもまともに食事していませんから
息を引き取りまして、亡くなりました。
その妹が2歳ぐらいですけど、亡くなったのは。
印象に残っているのが 落ちているご飯粒を十って口にしたという話
お袋から聞いたことありますけど
それが印象に残っています

死の淵
今のアフリカの子ども達がいますが(栄養失調で)時々テレビに出てくる。僕は、ああなって
歩けなくなったんですよ。やせ細って。お腹こんなに大きくなっちゃって
(母は)このままだと死ぬと思ったんでしょう。この子も
もう一度比嘉さん(日系2世)に(安谷屋収容所への移動を)相談しようと
また司令部へ行って 比嘉さんを呼び出して
死んでもいいから、この子このままだったら死ぬから、脱走すると言ったの。
そうしたら、すぐ司令室に連れて行って、事情話してくれたんだろう
そしたら向こうがジープ出してくれて、安谷屋に連れて行ったのよ
そしたら向こうは天国ですよ。安谷屋は全く違う。
(そこに収容されていた)弟なんかブクブク太っていた、食料事情がよくて。
ヤギ肉まであったんです。安谷屋には
なんでもあった。仲順と全く違っていた。

故郷へ
(平良に戻ったのは)僕が小学校2年の頃ですから
私達は、宜野座村の中川に行って、また漢那に移って、そこから伊良波に行って、そこです。
それから平良です。だから昭和22年頃じゃないでしょうか。
結局、大人も子供も食べることだけです。その他はなにもないんですよ
とにかく食べることに精一杯ですよ

戦争の記憶
人間時間が経てば何でも解決すると言いますけど、あれ違います
70年以上経ってますけど、かえって酷くなっている感じします
自分の人生が残り少なくなってくると昔のこと思い出すんですよ
小学校6年の頃、お袋に
「自分はもう少しで殺されるところだったよな」と言ったわけですよ。
戦争中の話の時に。その時お袋はものすごく怒りました
それから僕はもう戦争の話はしなくなったお袋には
今はもう少しいろいろ話しておけばよかったなと思うけど
おそらくお袋も心の傷になっていたと思うんです。息子を殺そうとしたことを

次世代へ
私は正直なところ、どっちかといったら悲観的です。こういう話はしているけど
僕が話をしているのは、俺自身が生きた証として残せるのならと思って話しているだけ。
しいて言えば、戦争というのは人事じゃありませんよということです。
自分もそうなるということなんだよ。それでいいかということなんだよ。それだけです。
みんなあんまり自分関係ないと思っている人多いと思うんですよ。
僕は。やはり辛いですよ、戦争は。それ耐えられるような覚悟がないとやっちゃいけません。

収録日:2018年(平成30年)10月9日
キーワード南部避難、10.10空襲(十・十空襲)
総体1語り継ぐ受け継ぐ豊見城の戦争記憶_映像資料
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出典1語り継ぐ受け継ぐ豊見城の戦争記憶(映像DVD) disc3、YouTube @TGDA_okinawa
出典1リンクhttps://youtu.be/y7aMtp6G2UM?feature=shared
出典2
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国名日本
都道府県名沖縄県
市町村豊見城市
平良
市町村2
字2
時代・時期近代_昭和_戦前
近代_昭和_戦中
昭和_戦後_復帰前
年月日(始)
年月日(終)
年代(西暦)1940年代
年月日(和暦)(終)
年月日(和暦)(始)
年代(和暦)昭和10年代~昭和20年代
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収納分類4語り継ぐ受け継ぐ豊見城の戦争記憶

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