伊藤鳳山

人物名(ヨミ)イトウ ホウザン
人物名(英語)ITO Hozan
国籍日本
出身地羽後国酒田
没地田原
生年月日(西暦)1806
生年月日(和暦)文化03年
没年月日(西暦)1870/1/23
没年月日(和暦)明治03年01月23日

略歴・解説

羽後国(うごのくに)酒田本町三丁目の町医伊藤維恭(いきょう)(医業のかたわら鹿鳴塾を経営、儒学を指導)の家に生まれた。名を馨、字は子徳、通称大三郎。鳳山・学半楼と号した。江戸に出て朝川善庵(1781~1849)塾に入り、諸大名に講書に出る儒者となる。名古屋の医師浅井塾に入り、医を学び、塾頭となる。天保9年(1838)崋山の推挙により、田原藩校成章館教授に迎えられ子弟の教育につくす。2年にして辞し京都-江戸にて塾「学半楼」を開くが、元治元年(1864)田原藩主より要請を受け、生涯を田原に終える決心をもって応じる。明治3年1月23日田原に没す、65歳。著書多数あり。田原藩には過ぎたる大儒であった。

この作者の資料一覧[全1件]

件ずつ表示

PageTop