山本 琹谷

人物名(ヨミ)ヤマモト キンコク
人物名(英語)YAMAMOTO Kinkoku
出身地石見国津和野藩
生年月日(西暦)1811
生年月日(和暦)文化08年
没年月日(西暦)1873/10/13
没年月日(和暦)明治06年10月13日

略歴・解説

石見国(いわみのくに、現島根県)津和野藩亀井侯の家臣吉田吉右衛門の子として生まれたが、同藩の山本家に養子した。名は謙、字は子譲。藩の家老多胡逸斎(たごいっさい、1802~57)に絵を学び、のち家老出府に従い江戸に上り崋山の門に入った。崋山が蛮社の獄で捕えられると天保11年には、椿椿山(1801~54)に入門した。嘉永6年(1853)には津和野藩絵師となった。人物・山水画を得意とし、後に津和野藩主より帝室に奉献された窮民図巻(難民図巻)を描いたことで知られる。明治6年(1873)にオーストリアで開催された万国博覧会に出品された『稚子抱猫図(ちしほうびょうず)』は好評を得た。弟子として荒木寛友(あらきかんゆう、1850~1920)・高森砕巌(たかもりさいがん1847~1917)等がいる。

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