重要文化財渡辺崋山関係資料 喜多武清「顔回像」

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孔門十哲像

員数10幅
材質絹本着色
公開解説孔子像とともに、田原藩校成章館の釋奠の際に掲げられた。孔門十哲とは、徳行・言語・政事・文学の各分野に通じている門人10人をさす。徳行は顔淵(回)・閔損(びんそん)【子騫(しけん)】・冉耕(ぜんこう)【伯牛(はくぎゅう)】・冉雍(ぜんよう)【仲弓(ちゅうきゅう)】、言語は宰予(さいよ)【子我(しが)】・端木(たんぼく)【子貢(しこう)】、政事は冉求(ぜんきゅう)【子有(しゆう)】・季路(きろ)【子由(しゆう)】、文学は言偃(げんえん)【子游(しゆう)】・卜商(ぼくしょう)【子夏(しか)】が挙げられる。孔子像は、天保9年(1838)、孔門十哲像は、文化13年(1816)から嘉永元年(1848)の年紀が記され、同時に制作されたわけではない。さらに十哲像の一部の像は孔子像より早くに制作されているものがある。崋山の手になる孔子像完成以前は、他の者の筆にかかる孔子像か、拓本のいずれかが存在したと思われる。十哲像の作者は、いずれも当時の江戸における著名な儒者や画家によるものである。

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