/38

一掃百態図

指定区分重要文化財
資料名(英題)Isso Hyakutai
作者渡辺崋山
員数1冊
材質紙本著色
制作年代文政元年(1818)
法量 縦(cm)19.5
法量 横(cm)26.4
解説「一掃百態」は渡辺崋山が26歳頃に描いたもので、わずか3日間で仕上げたという。寺子屋、大名行列、書画会、落語、金魚すくいなど江戸時代の人々が生き生きと描かれ、当時の様子をユーモラスに伝える。場面によっては朱線で修正が入れられ、本作は完成作ではなく、画稿(下書き)であったと考えられる。

一掃百態総論
今時、王宮、国都、市肆、 田間の風俗画、多くは閭巷の俗工の手に出ず。 故に人或は之を以て鄙陋の画と為す。固より誤れり。夫れ唐の周古言の宮禁歳時行楽図、王朏の明皇研膾図、宋の李景道の会友図、顧閎中の韓煕載夜宴図、張正道の清明上河図、就中、趙元亨、葉仁遇好んで京城の市肆、車馬を画く。或は本邦の藤原信実の後鳥羽院行粧図、藤原光長の年中行事図、土佐邦隆の五節図、法眼尊海の相撲節会図、飛弾守惟久の奥羽軍記図、僧学猷の風俗戯画の如き豈徒らに玩を世に取るものならんや。実に謂へらく、伝記は以てその寔を形容するに足らづと。則ち此数図、由りて作りし所なり。而して後世善を見て以て悪を戒むるに足るのみに非ず、悪を見て以て賢を思はしむるに足らん而巳。又或は後世冠冕、車馬、宮室、園林における、必ず資すること有らん。天正、慶長の間、岩佐又兵衛なる者有り、専ら時様の風俗を描き、独り其勝を壇ままにす。時人目して浮世又兵(今時又平に作るは誤れり)と為す。後亦法を伝へ、世に鳴る者多し。菱川師宣、宮川長春、其最も著しき者なり。蓋し、世に媚びて悦を容れ、以て俗姿の新艶を極め、而して今一派鄙陋の画態を為す者、此に本づけり。自ら当時守信兄弟の妙手在りと雖も、或は人の誤り見て、鄙陋の画と為さんことを恐れ、敢て画かず。今に迄るも、時様風俗の画を以て、賤工と為して而して之を棄つ。何ぞ過たらざるもの有らんや。近ごろ京師の蕪村、平安の應挙、好んで市肆田間の風俗を状するも、徒らに工思を畢して、製作楷摸の法無し。其濫觴漸く悪道に淪む。故に蘆雪、呉春、月仙、岸駒の如き、所謂画中の郷愿、媵妾にして、直ちに人をして之を見るに嘔せんと欲せしむ。尚後の流弊得て知るべし。安んぞ志士振起して此一派をして生面を闡発せざらんや。然れども、其写法久しく絶え伝はらず。実に古を食みて化する者に非ざれば、必ずしも善く今世の風俗を摸容す可らざらん。噫、余、言ひて而も能くせざるは何ぞや。噫、余言ひて能くせざるは何ぞや。「文政新元青竜宿戊寅仲冬望前二日江戸華山渡辺登識」

<現代語訳>
近ごろ、王宮や国都、市井の商い、あるいは農村の田園風景を描いた「風俗画」の多くは、市井の無名の職人たちの手によるものだ。そのため、人々はこれを「卑しく下品な絵だ」と決めつけているが、それはもとより誤りである。考えてもみよ。唐の周古言の『宮禁歳時行楽図』、王朏の『明皇研膾図』、宋の李景道の『会友図』、顧閎中の『韓煕載夜宴図』、張正道の『清明上河図』。中でも趙元亨や葉仁遇は、好んで都の市井や車馬の往来を描いた。また我が国においても、藤原信実の『後鳥羽院行粧図』、藤原光長の『年中行事絵巻』、土佐邦隆の『五節図』、法眼尊海の『相撲節会図』、飛騨守惟久の『奥羽軍記図』、僧学猷の『風俗戯画』といった作品は、果たして単に世間の娯楽として描かれたものだろうか。いや、そうではない。実のところ、書物の記録だけでは当時の実態をありありと伝えることはできない。しかし、これらの絵画があるからこそ、その時代の真の姿を知ることができるのだ。これらは単に後世の人々が善を見ては戒め、悪を見ては賢を思う(教訓を得る)ための資料にとどまらず、後世の人々が当時の冠や衣服、車馬、建物、庭園などを調べる際の不可欠な資料ともなるのである。天正・慶長の頃に、岩佐又兵衛という者がいた。彼は専ら当時の流行風俗を描き、その独自の境地を独占した。時の人々は彼を「浮世又兵衛」(現在は又平と書くが、それは誤りである)と呼んだ。その後、彼の画法を受け継ぎ、世に名を馳せた者も多い。菱川師宣や宮川長春などがその最も著名な者である。しかし、世俗に媚びて歓心を買おうとするあまり、浮世絵の新しい艶やかさだけを極限まで追求し、今や一派をなして卑しく下品な画風に陥ってしまった者たちがいる。これらは皆、本来の風俗画の精神に基づいているようでいて、実は堕落している。当時、狩野守信(探幽)兄弟のような天才絵師たちでさえ、人々から誤解を受けて「卑俗な絵師だ」と見なされることを恐れ、あえてこうした風俗画を描こうとはしなかった。現在に至るまで、流行の風俗を描くことを「卑しい職人の仕事」として蔑ろにしているのは、なんと大きな過ちであることか。近ごろ、京都の蕪村や平安(京都)の応挙も、好んで市井や田園の風俗を描くが、徒らに技巧を凝らすばかりで、古法に則った正確な模写の法を心得ていない。その弊害は次第に悪い方向へと沈んでいる。だからこそ、蘆雪、呉春、月仙、岸駒といった連中の絵に至っては、いわば「画壇の偽善者(郷願)」や「妾(媵妾)」のようなもので、直ちに人をしてこれを見れば嘔吐を催させるほどである。この先、どのような悪い影響(流弊)が出るか、想像するに難くない。
なんとか志ある者が奮起して、この一派(風俗画というジャンル)に新たな命を吹き込み、本来の姿を蘇らせることができないものだろうか。しかしながら、その正確な描写法は久しく途絶えて伝わっていない。古人の画法をしっかりと理解し、それを自分のものとして消化できる者でなければ、現代の風俗を正しく描写することはできないだろう。ああ、私はこうして偉そうなことを言っておきながら、自分自身はそれを実行することができない。なぜなのだろうか。ああ、私はこうして偉そうなことを言っておきながら、自分自身はそれを実行することができないのだ。

Isso Hyakutai was painted by Watanabe Kazan when he was around 26 years old, and was completed in only 3 days. The work humorously depicts people of the Edo period, including a Terakoya(a private elementary school), a procession of feudal lords, a calligraphy and painting party, Rakugo (comic story),and a goldfish scooping contest. In some scenes, corrections have been made with red lines. Therefor, it is thought that this work was a draft.

PageTop