ジャン=バティスト・カルポー

作者名欧文Jean-Baptiste CARPEAUX
生没年1827 - 1875

略歴・解説

ヴァランシエンヌに生まれる。父は石工。1842年パリに出、いわゆるプティト・エコール(小校)で建築を学び、カリエ=ベルーズなどを知る。1844年エコール・デ・ボザールに入学、ロマン派彫刻の代表者リュード、また少々アカデミックなデュレに学ぶ。1854年ローマ賞を得てローマに滞在、ミケランジェロに驚嘆してダンテ『神曲』に取
材した《ウゴリーノ》(1860)を発表した。1861年に帰仏した後はナポレオン三世に迎えられ、皇族・廷臣たちの肖像を多数制作。1863年から66年にはルーヴル宮フロール館の浮彫装飾《フローラ》、1867年から72年リュクサンブールの噴水《世界を支える四つの部分》、1869年オペラ座正面のための《ダンス》を完成した。晩年は迫害妄想に悩み、48歳でクールブヴォワに没する。カルポーの作品は、前代のロココ的優雅さと新古典主義の堅実な構成感覚を基調としながら、そこにロマン派流の放縦で官能的な躍動美を加え、かつ生命感にあふれる鋭い写実精神を開拓している。その生新な作風は定型化されたアカデミズムを打破し、ロダンの生命主義に先駆するものとして、19世紀のフランス彫刻界に際だっている。生地ヴァランシエンヌの美術館やパリのプティ・パレ美術館に多くの作品が所蔵されている。

1994年『ロダン館』、p. 177

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