狩野尚信

作者名よみかのうなおのぶ
作者名欧文KANO Naonobu
生没年1607 - 1650(慶長12 - 慶安3)

略歴・解説

17世紀前半から半ばに活躍した狩野派の画家。
狩野孝信の次男、狩野探幽の弟として京都に生まれる。
通称は主馬、剃髪して自適斎と号した。兄・探幽の江戸移居により父の家督を相続したが、寛永7年(1630)24歳時に、幕府御用絵師に任じられて江戸へ下向し、竹川町に屋敷を拝領、木挽町狩野家(のち移転したためこう呼ばれる)の基礎を築く。
寛永9(1632)年に台徳院霊廟、同12(1635)年に日光東照宮、同19(1642)年に御所と、探幽に従って障壁画を制作。御所では、探幽の次席に位置し、障壁画制作に携わった(現存せず)。
44歳で病死したとされるが、失踪したという所伝もある。
寡作であったと伝えられ、実際、現存するものは多くないが、瀟洒な味わいを見せる水墨画は、高く評価され、元禄期の公家、近衛予楽院家煕(1667~1736)は、尚信を「探幽より勝る」と評している。

1999年『狩野派の世界 ―静岡県立美術館蔵品図録―』、p. 54をもとに執筆。

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